偉大なる王


 引き寄せられた勢いのまま、宗宮は床を転がった。

 絨毯がふかふかで助かった。力なく伏せたままでいると、誰かが椅子に腰掛ける音がする。ゆっくり様子を伺う。


「まったく誰が出したのやら」


 十二畳ほどの、全体的に茶色い色味の部屋だ。天井は高く電球のついた小ぶりなシャンデリアが二つぶら下がっている。壁には細かな柄が入っていて、同じ柄のカーテンに彩られた窓の先には、湖と森林が見えた。

 部屋の中央には、会議室にあるような長机が二つ、向かい合わせで置かれている。

 机の上には乱雑に置かれた紙の束、湯飲み、ノートパソコン。

 人は二人。グリーンのニットを着た女性と、最初の不審者だった。

 当然覆面である。


「最初の説明会で念押しされたかと思うんだ。我々の悲願はね、みんなで協力してなしとげるものなんだよ。どこからかの紹介だか知らないが、弛んできてるよねぇ。自覚がね、足らないっていうか」


 うすうす気付いていたが、なにか認識が食い違っているようだ。効率よく情報を得るためには、指摘した方がいいのか、素知らぬ顔で話を合わせた方がいいのか。


「容易く口にすべきではないんだよ。最近特に物騒だからね」

「その、何か誤解があるっていうか……」

「はぁ」


 口をはさみ、そろそろと起き上がる。女性の方は、我関せずといった風にパソコンで作業をしている。


「わたしただ友達の名前出しただけで、でもその友達がなにかこちらに関係してたりするのかなぁ、なんて思ったり」

「いやいやね、そういんじゃないんだよこの業界は。うちの『サイ』っていうのはね、そういう表層ではなく、本質的なトコで探知しているのであってね。それを紐付けて言わなきゃ反応したりしないの。あんた反省足らんわ、反省。偉大なる我が神を、我らが王を侮辱しとる」

「じゃあ有間さんのこと知らないんですかぁ。神の名って言ってたのに」

「誰だよ。シランシラン」


 言葉荒く、不審者は立ち上がる。


「もう一度反省部屋だ。掲げし御旗の尊さを、よくよく考えるのだ」


 一歩後ずさる。その時宗宮は気付いた。

 壁もカーテンの柄も、なんか髑髏だ。趣味悪。


「我らの神の慈悲を。素晴らしき破滅を。偉大なる死の王の、顕現のときを!」

「(見事に邪悪なワードのラインナップ)」


「お待ちください」


 前のめりにこちらに向かう不審者の足を、作業の手を止めた女性が呼び止める。


「会員データに彼女の記録がありません」

「……ガチャガチャしただけで言い切れるものなの?」

「お気付きでしょうが、一定以上のサイの技師です。彼女の特徴に該当する技師は、我が会にはおりませんでした」

「…………技師? 技師なのかこいつ。だとするならば」


 胡乱な眼光が、宗宮を捉える。


 だとするならば、しかしまったくの無関係と断じてよいのだろうか。

 宗宮は、この時無知を強烈に自覚していた。認識できない空白を追い、手探りで物理法則を淘汰し、珍妙な団体に関わろうとしている。だが必要なピースを手に入れていない。目の前の連中は、おそらく一連の不思議現象を、『技術』として認識している。なにがしかの体系を見出し、解している。彼らは敵となるのだろうか。しかしこのままでは、よちよち歩きのベビーが陸上選手と徒競走をするようなものではないか。

 不審者の口が開く。考えるより前に、足が半歩出口へ向かう。

 周囲が威圧的に振れ始めた。


「貴様何者だぁ?」

「じゃしつれいしまっす!」


 優先は技術への理解。証拠不十分であろうが、友人有間の失踪は、この団体あるいはその保有する技術に起因とすると前提して行動しよう。

 ひとまずは身の安全の確保だ。逃げて、技術を磨いて、そして正体を突き止めるのだ。


 体当たりするように扉を開け、階段めがけて走り出す。その身を捉えんとする手がすかさず迫ってくる。通り過ぎる際、視界の端に武器(おまる入り麻袋)が映る。しまった拾えばよかったと思い、そしていや拾ったはずだととっさに思い直す。今を探れ。あるはずだ。つかめる距離にあったのだから、数多ある現在の中に、拾った可能性があるはずだ。緊張で飽和しかけた頭をぶん回し、振れる世界からその断片を見出さんとする。

 手に何かを持っている。それは飛び掛かるように掴み、転がるように拾った武器。スロットの絵合わせのように、一瞬定まった可能性に縋り、それ以外を脳内からそぎ落とす。浮足立った心地のままで、その手にあるものを追手へと投げ飛ばした。


「ア痛ッ!」


 距離を稼いだ。階段を駆け下りる。


 振れが重なる世界を見せる。窓から覗く壮大な景色の先に、一般住宅地がある。現実が振れに伴い波打ち、別の世界の可能性をのぞかせている。異なる現実を映すいくつものスクリーンが、折り重なって揺れている。


 ええい、と気合の入った掛け声のあと、パチンと手を打つ音がした。

 宗宮は踊り場を抜け、出口を睨む。


 気が先走る中、行く手を阻むように壁が動き始めた。ぐねぐねと身を歪ませ、先を狭めていく。階段が跳ね上がり、出口が遠のいていく。

 しかし、その光景はあまりに現実離れしていた。


「なしなしなしなし。この展開、なしでーす」


 半ばパニックのまま、宗宮は世界を剥ぐ。数多の世界でも、極端な動きはすごく目立つ。揺れ動く世界から、意図してそれを省いて見ていく。不自然が過ぎるという理由だけを盾に、これは幻だと思い込む。幻の先に現実があると、そういう世界を想定し、波打つ階段を踏み抜いた。

 視界は馬鹿げたまま、それらを引き裂きすり抜けて、宗宮は玄関ホールに降り立つ。最初見たときより、随分手狭になっている。


「そこ、止まれ!」


 扉を開け放つ。涼やかな空気が頬を撫でた。

 眼下に広がる長閑な庭。


「もう、そういうのいいから!」


 ここは境であるのだし。

 思い付きの理屈を展開しながら、宗宮はカーテンを払うように手首を動かす。

 モザイクのようなな切れ目がそこに見えたので、そのまま踏み込むことにした。

 世界が振れで崩れている。視界がモザイクで埋まっている。


 そっと振り返ると。閉じた扉が見えた。立派ではあるものの、城とはいえない住宅が歪みながらも建っている。世界が定まろうとしている。しかしまだ余地がある。

 ならば、より自然な落しどころを。




 地に手をついていた。アスファルトのごつごつとした感触が、妙に生々しい。

 少し離れたところに、投げ出された鞄がある。見慣れた通学路を、静かに見回す。


 さてどうしたものか。ただただ白昼夢を見ていただけか。


「よかった……覚えてる。おぼえてるよ、有間さん」


 今度は不審者は飛んでこない。向こうも状況を把握してはいなかった。なにかの不具合があったのかもしれない。正された世界に、一見振れは見当たらない。向こうからもこちらを探り当てることは難しいだろうと、宗宮は直感した。


 だが今大事なのは、そこではない。より確固とした友人の存在する可能性、それを失わずにすんだことが、宗宮にとって何より得難いことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フォルトゥーナの見解 佐伊 @all_e

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ