抜け穴
世界が振れている。すべてを手中に収めた気になったのもつかの間、実のところに
「なんか、こう……なんかこううまい具合に。うん……うん?」
現状、世界は一ミリも変化してはいない。目の疲れやちょっとした加減で、周囲がぶれて見えることはまれにあることで、目に見えるものだけを信ずるような主義者でも、それを受けて世界に異変が起こっているとは思わないだろう。
だが、宗宮の世界の見方は変わってしまった。
友人有間(暫定呼称)の存在を本格的に認めるために、世界観の許容幅が広がった。色の名前を知って、身の回りにあるその色に気付くとか、花の名前を知って、路傍に花が咲いていたことに気付いたりとか。あり得ないことを現実として認めたために、あり得ないものが意識に留まるようになっただけだ。この世が不確かであるという認識が、世界の不確かさをより鮮明に感知している。
これはただの視界不良ではないと、頭の中の空白が知っている。
すべては頭。頭の中。
「こう……こんな感じで……なんか……なんか、ねぇ?」
麻袋を小脇に抱え、一定の間隔で頭を小突く。
直接頭を刺激して、なにがしかの変化を期待した。
進む。鉄格子を影響圏に収め、なお進む。体を押し込み、どうにか抜けれないものかと足掻くが、そこでふと思い至り、一瞬体を鉄格子から放す。
無心。頭に刺激を与えながら無心で前を見て、視界をぼやけさせ、なるべく鉄格子を意識しないようにする。もしかして、そこにはなにもなかったかもしれないという考えが一瞬浮かび、我に返る前に足を二歩三歩進めた。抜けた。
「おぉ~……」
壁抜けバグ、という単語が一瞬頭に浮かんだ。これは世界のバグなのか、仕様なのか。仕様なら、牢屋なのに壁抜け対策していない向こうが悪い。
さて。ありがたいことに、こちらにまったく意識を向けない監視ではあるが、さすがに前を通り抜けるのはきついだろう。廊下があるであろう壁面に向けて再び壁抜けを試みるが失敗。なにかコツがあるのか、向こう側が見えている必要があるのか。それとも宗宮自身が、流石に『なんかいけそう』と思えないことが原因なのか。
ひとまず、小脇に抱えていた麻袋を持ち直す。
角の先、ちらちらと肩が覗く見張りの元へ、足音を殺してそっと近付いた。
「(…………こいつ)」
監視がこちらに無関心だった理由が判明した。
スマホでリズムゲームやっていた。
有線イヤホンを付けている。椅子に座り背中を丸め、感心するほどの指捌きで画面をタップしている。上級者のようだ。
誘拐犯と同じ目出し帽をしているが、年齢はこちらの方が若いだろう。濃緑のブレザーを着て、足元には大きく校章の入ったスクールバッグが立て掛けられている。校章を目に焼き付けつつ、若干の期待を膨らませる。
「(いける……いけるか?)」
いけるといいなぁ。
もしかしたら、気付かれずに行けるかもしれない。
無意識に、手に持った麻袋の中身(おまる)をとんとんと指で突く。
可能性はどれくらいあるだろうか。
ふわっと脳内でシミュレートしてみたが、半分くらいは可能性あるのではないか。気付かれたらその瞬間、おまるでゴツンとすれば、穏便に進めるのではないか。
相手はおそらく学生で。でも誘拐犯の仲間で。危機感なくゲームしていて。きっと状況もよくわかっていなくて。このグループに家族か友人でもいるのだろうか。ここにいる以外は普通に過ごしている。普通に生きている。
そしてそれを、振り下ろして壊す。
宗宮は、先ほど決心して行動を始めた。行動には、良くも悪くも結果が伴うとわかっている。この危険を伴うチャレンジは、もしもの時に悲しむ家族友人、その人心を切り捨てる行為だという認識で前進している。しかし相手には決心も覚悟もなさそうだ。今日は昨日と同じで、それが明日に続くと思っている。
大けがをするかも。死ぬかも。泣かれるかも。恨まれるかも。取り返しがつかないかも。状況からして向こうが悪いはずなのに、あまりに悪意を感じないために躊躇してしまう。いや、仮に相手が悪意を持っていたとしても、暴力という手段は、宗宮の価値観で最善の選択ではない。
しかし認めるべきだ。表立った倫理観や感情論で躊躇はしようと、他の手段を講じるほど、相手を重んじてはいないと。自身が抱く悪意を、浅慮と、怠惰と、傲慢を。
もしもこの世に無知と悪者しかいないなら、これは後者の考えだ。
宗宮はそっと一歩踏み出す。
「(気付くな気付くな気付くな気付くな)」
気付かれないルートを熱心に頭に浮かべながら、そっとそっと、見張りの目の前を通り過ぎた。
行けた。よかった。
狭い下りの階段があり、降りて廊下に出る。
小さな解放感にそっとため息を吐いた後、宗宮はその口を真一文字に結んだ。
品の良い絨毯が敷かれた廊下はクラシックな雰囲気ではあったが、その続く壁には白面に黒頭巾を被った人々の写真が連々と飾られている。繊細な彫刻が施された椅子に、体格の良いスーツ姿の男が腰掛けて入る。集合写真なのか、どこぞのパーティー会場なのか、シャンデリアの吊られた広々とした空間で、多数の人間がカメラに向かって列をつくっている。男女とも同質のブラックスーツ。
どの写真の人々も、白面と頭巾は共通している。
目出し帽下っ端説をにわかに胸に抱え、警戒をしながら中心部を目指す。所詮素人の警戒など吹けば飛ぶようなもので、前触れなく開いたドアから出てきた人物と、普通に鉢合わせた。
「わっ」
「わぁ」
「きみ、きみどしたのその恰好」
「わぁ……」
「あと帽子どうしたの。忘れちゃったの?」
怒られちゃうよ~? と苦笑交じりの声で目の前の目出し帽は言う。新手だ。
ちょっとした混乱の後、宗宮は聞かれたままに答えていた。
「あの、あの。これはバトルモードで、帽子は持ってません」
「バトルするのぉ。あ帽子、予備に新品持ってたからあげるよ?」
「ありがとうございます」
目出し帽から覗く目は、にこにこと皺をつくって細められている。
「(この、このこいつらほんと、誘拐してきたくせに、妙に警戒心がないぞ)」
「それじゃ、もうじき暗くなるから気を付けてね」
「わ、どうも。おつかれさまです……?」
堂々と歩けば意外と何とかなるかもしれない。
しかしまぁ、せっかく頂いた新品目出し帽(薄い透明袋に包まれている)だったが、宗宮は全然被る気になれない。
いやだ。とにかくいやだ。
敵に変装して潜入なんて、お約束みたいなものなのに心底いやだ。
この胸底から湧き上がる忌避感はなんだろうかと、宗宮は顔を渋らせる。世のスパイたちは、どうやって折り合いをつけているのか。
言い訳を連ねてもたもたするのも無駄なので、さっさとあきらめて進む。
唐突の鉢合わせを経て、ドアを警戒するようになった宗宮。
その先にあるドアは、これまでより一層大きく両開きになっている。
流石の宗宮もそのまま突入するほど無鉄砲ではない。周囲に気を配る。
少し先に階段がある。豪華な手すりの階段は、どうやら一階ホールに通じているらしい。踊り場まで降りてその先を除けば、玄関らしきものも見えた。
一瞥し、戻る。
現状の最優先は友人の情報を得ること。武器とシーツを脇に置き、中の様子を探るべく、壁に耳を押し当てる。神経を集中させて、指先で軽く叩き続ける。向こう側の様子がなんとか知り得ないものかと、また『振れ』を広げていくうちにふと気付く。
「(わたしのじゃ、ない……?)」
振れ方の違いに自分以外の干渉を悟った宗宮は、すぐに壁から身を剥がす。しかし間もなくその壁を、見覚えのある腕が突き抜けてきた。振れを越えてきた手のひらに、顎をがっしり掴まれる。
「(そういうのもありなのか)」
新たな知見を得つつも、そのまま力任せに引き寄せる手によって、宗宮は壁の内側へと引き込まれたのである。
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