となりの古城

「神の名を」


 さも車から飛び出してきたという体の不審者は、宗宮の背後を取って麻袋を頭に被せる。通学鞄がアスファルトに転げ落ちる音がした。


「口に」


 宗宮より体格のいいその不審者は、全身黒ずくめ。ゆとりあるコートに胸元までの目出し帽で、その容姿は知れない。顔面だけが白い生地で、一際目を惹く。

 小さく飛び跳ね、動きを止めた宗宮を、力任せに車に押しやる。


「してはならない」



 スライド式のドアは全開で、そこから車内へと転がされる。

 大きな音を立ててドアが閉められて。




 暗闇の中でなにかを見た。

 スープの表面にできた膜のように、世界をなにかが覆っている。

 細かい皺ができている。この膜を突き抜けた先を、きっと宗宮は知っていた。




「そこで反省しなさい」


 固い床を歩く足音が遠ざかっていく。

 想定した車の振動も、エンジン音も聞こえない。

 転がった先は固く冷たい。

 成り行きに身を任せていた宗宮も、ようやく危機感が頭をもたげてきたようで、動悸と冷や汗に身を震わせた。

 麻袋の下で視線をさまよわせる。


「誘拐? なるほど……なるほど?」


 身構えてみたものの、人の気配はしない。すぐすぐ痛めつけられるようなことはなさそうである。

 警戒して縮んだ体を脱力させて、宗宮は上体を起こした。

 麻袋は簡単に脱げた。


 牢屋だった。


「え、なに……なに? ファンタジー?」


 壁と床は石造り。木製の簡易なベッドと陶器製のおまるというシンプルな内装。そして廊下に面した鉄格子から、古典的な牢屋であることは明白であった。

 恐怖は、圧倒的噴出力で生成される疑問符に駆逐されていく。

 行儀悪く足を組み、どうにか状況を理解しようと観察を続ける。

 対面に並ぶ牢屋はどれも空。左右にも人の気配はない。今牢に入れられているのは宗宮だけだ。角の向こうなのでよく見えないが、おそらく出入口であろうところには、監視であろう椅子に腰掛けた人影がある。

 ギリギリ目線が届くところに格子付きの小窓から、陽光が射しこんでいる。

 そこから外を覗くと、風に揺れる梢が見えた。ここは大規模な建築物の上階で、庭にはサッカーの試合でもできそうなほどの芝生が広がり、その先には高い塀がめぐらされている。塀を越えた遥か先では、イギリスの田舎にありそうな古い建物が並んでいる。その光景は空気感からしても日本離れしている。


「なるほどな~」


 なにもわからないが取り合えずそうつぶやき、指先で顎をそっと撫でた。


「なんか……なんか夢かな」


 それか異世界転生。

 でも違うだろうな。天井にある通気口プラスチックぽいし。全体的に憧れで作られたみたいな雰囲気。古い建物改修しましたとかじゃなく、アトラクションみたいな目的をもって作られた空間。これが自分の妄想だったなら、妄想内でも文明手放し切れないの、現代っ子の限界を感じる。利便性とかマジカルで補ってほしい。ファンタジーに浸れ。


「(こまったね。どうする有間さん)(そーね、寝ればいいんじゃないかな)(いやこの返事はなにか違和感が)(こんなところに有間さんでてきても困るけど)」


 類似の状況を経験していないためか、架空の友人人格も空回る。パッとでてきたので宗宮は直感的に決めつけてしまったのだが、彼女の名前は本当に有間であっているのだろうか。それすら定かではない。

 なにかを思い出した訳ではなかった。どちらかといえばひらめいたほうに近く、そのひらめきも時間が経つほど覚束なくなっていっている。


 フー、と深いため息を吐く。


 ただ夢を見ているのならいい。そうではなかったら。

 懸念すべきは二つ。宗宮がおかしいか、世界がおかしいかだ。

 いまだ道に立ち、白昼夢のようにこの光景を見ているのなら、動かずに収まるのを待たねばならない。歩き回って知らず知らずに道路に出たら危ないし、暴れたりしたら近くの人にケガをさせてしまうかもしれない。身に危険を感じても、耐え忍ぶしかない。

 世界がおかしくて、人が唐突に現れ記憶が書き換えられたり、車内が牢屋に変化するような摩訶不思議な仕組みがそもそも存在し、現在の不当な監禁が現実であるのなら、今すぐ行動に移らなければならない。仕組みを解明し、ここから抜け出し、言葉の意味を問いたださなければならない。


「えっとえっと。どっちかな。どうするかな。うーん」


 都合のいいのは後者だった。

 宗宮は、友達に会いたかった。そもそも、存在がすっぽり消えた人間なんて不可解な現象を、実際あるものとして対応しているのに、後から出てきた不可解な現象を否定するのは筋が通っていない。宗宮はきちんと覚えていた。友人の名を口にしたこと。そのすぐ後に事件が起きたこと。不審者の言った言葉。


 ──神の名を口にしてはならない。


 もしも友人が消えたのが事実で、不審者や瞬間移動も現実で、不審者が友人の名を『神の名』と称しているのなら。

 これは前進だ。好機だ。

 『友人』を察知している人間が増えた。不思議現象を掌握しているなら、友人が消えた原因にも心当たりがあるかもしれないし、または原因そのものかもしれない。不当な手段を最初に取ったのは向こうなので、ある程度の無法にも言い訳が立つ(と思っている)。

 最悪の事態は。

 対処すべき優先度の話だ。危機が降りかかり得るとしたら、切迫しているのは友人の方だ。おそらく宗宮には猶予がある。どんな事態でも、ここが永遠の夢の中でも、命を疎かにするわけではないが、命を賭してでも選び取りたい未来はある。


「よし……よし!」


 まずはここをでなければ。

 宗宮は周囲を見渡し、おまるに目を付ける。中身は空で、新品のようにピカピカだ。助かる。

 それを被らされていた麻袋にいれて軽く振り回す。少しふらついたが、踏ん張ればなんとかやれそうだ。

 ベッドののシーツをはぎ取って腕に巻き付ける。巻ききれずに垂れ下がってて危ないが、多少でも盾代わりになるだろう。


「よっしゃ」


 勇者宗宮の完成である。

 そこそこ騒いだが、見張りはピクリともしない。関心がなさそうで何よりだ。

 宗宮には楽観していた。これだけなんでもありなら、壁抜けの一つや二つ起こっても許されるだろうと。トンネル効果なんて単語も、動画投稿サイトWeChannelウィーチャンネルで又聞きした記憶がうっすらある。


 とにかく。




「いくよ、有間さん」


 背後で何かの気配がくすりと笑いをこぼした。

 カラっぽのなにかは、宗宮の視界ギリギリを横からすり抜け、カーテンを開けるように手を払う動きをした、気がした。


『おいで、ミチ』


 トクリと心臓が跳ね上がる。

 何かが宗宮に囁いた。世界は決して確かなものではなく、虚空に張られた幕のように揺らいでいることを。昨日と今日は地続きでないことを。現実は複数あり、過去は一つであること。未来は無数に枝分かれし、同じ結末を持つこと。『わたし』は常に『わたし』でいられるわけではないことを。

 自身を中心にすべてが振れていく。目で見た世界ではなく、目で見て脳内に投影された世界が、まるでいつでも改変が可能ですと言わんばかりに振れている。スマホの撮影機能のフィルターを通して、映像をみているような、ARゴーグルでもつけているような。ごく当たり前に、世界は二重で存在する。


 宗宮は事態を大雑把に総括して俯瞰し、都合のいい道を信じることにした。

 都合のいいとは即ち、仮にその選択ですべてが崩れ去り、虚無と断絶が待ち構えていたとしても、自身が選択分の報いを引き受けるに値する道ということである。


 だから一歩踏み出したとき、警告を発する直感に微笑みかけるのだ。

 結局宗宮はイマジナリーフレンドを信じたわけではない。友人に会いたいと願うことが、正しいことだと心底信じることにしたのだった。

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