フォルトゥーナの見解
佐伊
然様なら
教室だ。
空いた窓から入り込んだ風が、白いカーテンを揺らしている。
人影は、少女は美しかった。
首筋まで伸びた黒髪が、絹のように優美にたゆたう。その狭間からのぞく肌はさらりと柔らかな印象で、添えられた血色の良い唇を際立たせた。
長い睫毛に囲まれた目は、手元の文字を追い、いまだ伏せられている。
雪景色の湖畔を思わせる、清廉とした乙女である。
宗宮は彼女を知っていた。
そしていつものように声をかけようとした。
笑顔で伸ばしかけていた手を止める。
声がでない。かける言葉がわからない。
宗宮未知は、彼女を知らない。
宗宮は人と縁が薄かった。
生来からの鷹揚とした性格からか、人間関係での執着が薄く、自身のペースを変えてまで人間と密になることはなかった。あいさつを交わし、雑談に応じ、険のない雰囲気で接する様子は、周囲に溶け込んでいるように見える。ただ宗宮は、先ほどさよならと別れたクラスメイトの連絡先を知らないし、共に弁当を食べることも、トイレに連れ立つこともない。
宗宮は人間関係で独立していた。
ただ、最近妙だった。
通学中、ふと話のネタを考えていた。教室に入ってから、誰かと盛り上がる話をしようと頭の隅で身構えている。しかし宗宮には具体的な相手は思いつかない。
教室を移動する際、誰かを探していた。お昼時、どこで食べるか相談をしようと、無意識に考えていた。何かいいことがあったとき、喜びを共有することに期待を抱いていた。
誰と。誰に。
宗宮の記憶にそんな人間はいなかった。宗宮は一人でいた。
馴染みのない美術館に行くときも、初めて学校帰りにゲームセンターに寄ったときも、遠回りでゆっくり帰宅したときも、遠方までスイーツを食べに行ったときも、普段縁のない世界を、宗宮は一人で歩いていた。
そして日々のいたるところに、主語の抜けた思考がまとわりついていることに気付く。
ああ、きっとあれは好きだろうな。
この話、後で言おう。
あまり興味ないだろうけど、誘ってみようかな。
無意識に浮かぶそれらを、追えば追うほど輪郭が消えていく。
隙間風が胸をすり抜けるような感覚がした。
宗宮は唐突に、孤独になっていた。
「気付いてしまって、気付いちゃって……。わたしにはキュートで優しくって、わたしのこと大好きな大親友がいたはずなのに…………いない……!」
「うーん? うん。そうだね」
「なんだろな。年頃なんだろうな」
顔も名前も、存在すら覚束ない友を思って、宗宮は両親に泣きついた。返ってきたのは慰め。困惑の表情で肩を抱かれ、それが当然の態度と理解しながらも、宗宮は納得できなかった。
もしかして、もしかしたらイマジナリーなフレンドかもしれないし、脳みそのエラーか、はたまた邪悪なサブリミナル的なもので差し込まれた罠かもしれない。だが普段から重宝している六感からのささやきを、このままふわふわさせておくわけにはいかなかった。謎の気配を、大切な友達だったのだと訴える自身の直感を。
「それでねー、そのお店のね、お店のあとに寄ったコンビニでぇ」
無心で宙へ独り言を散らせる。下校途中だった。
もし友人がいたなら話すだろうなと思うことを、宗宮はひたすら並びたてていた。
ふとしたとき、そちらに意識を向けていない時だけ、その謎の友人の影がちらつくものだから、宗宮はそれが存在する体で振る舞う合間の癖から、その姿を浮かび上がらせようと画策していた。
胸の隙間にのたうつ焦燥感を、なんとかしなければ。
無意識の狭間に誰かがいる。
会わなきゃ。
この話のオチ、滑りそうかも。
うまく話をずらせないものかな。
映画化された本の話を……いやこの前意見の食い違いを察知して、軽く流したんだった。変なとこで強情になる……。
授業中の、きっと向こうの席からは見えなかっただろう笑えるハプニングの話を。
あと課題の自信ないところ手伝ってもらえないかな。
だから半歩進んだ先で足を止め、彼女の反応を伺うべく振り返る。
「でね、
カラだ。誰もいない。
最初から分かっていたはずのことを脳みそが理解する前に、そのカラは空気を震わせて笑った。
『あーあ。かわいそうなミチ』
「…………有間さん?」
『そうなの。さよなら宗宮さん』
幻影だ。
なにかが脳裏に揺らめき消えていく。
「いやだ」
「神の名を口にしてはならない」
真後ろに現れた人影。
何が、と疑問を口にする暇もなかった。
二つ現実があった。
一つ、歩いている宗宮にバンが横付けしてきて、そこから人が飛び出してきた。
一つ、何もない場所から忽然と人が現れた。
二つの現実が一瞬眼前に揺らめき、不自然な経過が是正され、統合されていく。
何かが突然現れるのはあり得ない。車がそこにある。現実は一つ。
この流れも、幾度となく繰り返されてきた気がする。よく見る現象で、いやだ、やがて記憶は正されて、いやだ、筋道の立った正しい世界に。いやだ。
何か恐ろしいことが起きようとしているはずなのに、宗宮の思考はいまだ友の幻影に囚われていた。
記憶が蘇ったわけではない。虚ろから零れ落ちた断片が、運よく手のひらに落ちてきた。なのにそれらは雪の結晶のように、わずかな寂しさを残して消えようとしている。
さよならがあるのはしかたないよ。でもさよならすらできないのはいやだな。
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