4-10 祭りの夜に

 収穫が終わった神無月の半ばには、翠古村でも行われていたように蔦倉村でも秋祭りが行われていて、お神楽や相撲の奉納が村のあちこちで開催されて賑わっているらしかった。

 土地の神に捧げられる神酒は見物客にも振る舞われ、空き地では男たちが酒宴を開くこともある祭日である。


 だが倫之助は祭りには出かけず、自宅の居間に置かれた箱火鉢で栗を焼いて食べていた。

 熱された栗の甘く香ばしい匂いに包まれた部屋の片隅であぐらをあき、倫之助は分厚い本を片手に剥いた栗を頬張っている。


 障子の外からは、祭りの神楽の笛の音が微かに遠く聞こえていたが、それ以外はまったく日常通りの家の様子であった。

 特に何をすることもない葵依も倫之助の隣で、焼けた栗を火箸を使って箱火鉢から出して食べている。


「あなたはどこにも行かないんだね」


 葵依は火傷しない程度に冷ました栗を手で掴み、剥きながら倫之助に訊ねた。焼く前にあらかじめ皮に切れ目を入れてある栗は、素手でも簡単に剥くことができた。


「ああ。別にお神楽も相撲も興味ないからな」


 文字がびっしりと並んだ本のページをめくり、倫之助は本当に祭事についてどうでも良いと思っている様子で座っていて、もう日が落ちて暗くなった窓の外を一瞥もしない。

 しかしよそから来たばかりの葵依に対しては多少の配慮を見せて、本を読みながらでも一応提案をしてくれた。


「お前が行きたいなら連れて行ってもいいが、俺と行くより一人の方が良いかもしれないな。餅とかも配られてるし、行ってくるか?」


 他の住民から好かれていないことをヤブ医者として自覚している倫之助は、葵依に秋祭りに出かけるなら一人で行くことを勧める。

 ただの疑問で話しかけただけで、別にどこかへ行きたいと思っていたわけではない葵依は、濃い黄色が綺麗な栗の実を割って質問に答えた。


「出かけたいわけじゃないからいいよ。私も別に、お餅もお神酒も興味ないから」


 倫之助の言葉の真似をして、葵依は軽く微笑む。

 裕福な倫之助の家には常に食べ物がたくさんあるので、味は二の次でただ空腹を満たせれば良い葵依が餅の配布に惹かれることはない。


 一方でもしかすると倫之助と違って、葵依はまだ誰かと仲良くなるチャンスがあるかもしれない。

 疫病のことがどう思われるかは忘れて、試してみれば良いのかもしれない。


 だけど葵依は祭りには出かけず、倫之助の家にいることにする。


(だって倫之助が良い理由もないけど、他の人が良い理由もないから)


 葵依は特に現状を変える必要性は感じず、今の生活に満足をしているわけではないが、不満を抱いているわけでもなかった。

 だから葵依は、すぐそこにいる倫之助から離れて、他の誰かを探そうとは思わない。


 倫之助は自分のそばに座り、栗を剥き続ける葵依を横目でちらりと見ると、すぐにまた本のページに視線を戻して呟いた。


「そうか。なら良い」


 竿縁の天井に取り付けられた電灯は明るく、親子でも兄妹でもない他人同士の倫之助と葵依を照らす。

 その人工的な光にも似た、冷たくも温かくもない倫之助の距離感に、葵依は不思議な居心地の良さを感じ始めていた。

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