4-9 居候

 他に行くあてがない葵依は、そうと決めたわけではないものの、流れで診療所を兼ねた倫之助の自宅に居候することになった。

 倫之助の自宅は、洋風の診療所部分は白塗りの清潔感のある木造建築だが、住居部分はごく普通の畳張りの民家になっている。


 裕福な地主の家の三男である倫之助は、診療所で閑古鳥が鳴いていても食べていけるようなのだが、ささやかな世間体を守り近くために田畑を耕して自給自足の生活を装っていた。

 だから葵依は家に置いてもらう代わりに、倫之助の農業の真似事を手伝った。


「鍬も鎌も苦手なんだが、一人で百姓をやっていれば、少なくとも人殺し扱いはされないからな」


 きっと陽気な自虐で言っているのであろう笑顔で、患者を死なせた医者である倫之助は、三日月型の鎌を手に紺染の野良着を着て秋晴れの田んぼに立っていた。


 葵依は倫之助から借りた同じぶかぶかの野良着を着て、冗談に対する反応に困りながら稲の刈り取りを手伝っている。

 若干使い古されていても綺麗な紺色に染まっている野良着は、葵依が知っている野良着よりも随分立派で、育ちの違いというものを感じさせた。


(翠古村からほんの少し離れただけで、もうこんなに知らない世界があるんだ)


 真剣に働いていないのに貧しさとは無縁で、他人を養えるほどの余裕を持って生きている倫之助は、葵依にとってまったく未知の存在だった。

 危なっかしい手付きで稲穂を刈り取る倫之助を横目で見ながら、葵依は慣れた早さでさっさと刈る。


 金色に色づき頭を垂れた稲は豊作で、狭い山間にきらきらと輝いていた。

 葵依は背を屈めて稲の根元を握り、その清々しい匂いをかいで、今はもう誰もいない自分の家や村の田畑のことを思い出した。

 葵依は鏡のように水が張られた田んぼも、まっ白な雪に覆われた田んぼも、どの季節のものも綺麗で好きだった。


(お米の味は全部一緒だとしても、あの田んぼのお米をもう誰も食べられないのは寂しいな)


 結局倫之助に説明してもらっても死病が流行った理由はよくわからなかったが、あれだけの人が死んだ土地で育ったものを食べることが危険であることは何となく理解していた。

 だから人の家の田んぼを手伝うのには思うところがあったが、仕方がないことだと割り切って鎌を手にする。


 それから葵依は、一列、二列と刈り終わったところでまったく進んでいない倫之助の方を振り向き、手の速さに反した遅さで先程の冗談に反応を返した。


「稲穂の命なら、たくさん刈り取っても怒られない?」


 葵依は鋭い鎌を手にしたまま、赤くなった目に倫之助を映した。

 しかし倫之助はまったくその色を恐れることなく、葵依の冗談を受けて少々意地の悪い微笑みを浮かべる。


「そうだ。むしろ逆に働き者って言ってもらえる」


 少し離れたところにいる倫之助は、近くにいるときとは違う調子で声を張って答えた。

 謎の死病から生き残り、人と違う見た目になってしまった葵依はおそらく、蔦倉村の他の村民と会ったら恐れられて嫌われるはずだった。


 しかしそもそもまず頼った先の倫之助が村民から除け者にされているので、葵依はある意味では心が傷つく機会から守られている。

 それゆえにこそ、ただ真面目に悲しむのが難しいほどの大量の死に触れた葵依は、現実を受け入れるために自分の生きている意味を考えることがあった。


 欲しいのは、涙を流して悲しむ時間ではなく、生きていても良いのだと思える理由である。

 倫之助が言ったように自分が聖女のような特別な存在として生きているのなら、葵依は何かこれから意味のある役目を果たさなければならないような気がしていたのだ。


(でも死病のことを調べて後の世のためになるとかは、私には絶対無理だから)


 近くにいる人間が一応は医者なので、医者になって人のためになると思いついたこともあったが、葵依は勉強が得意ではないし自分の限界を知っていた。

 葵依は苗を植えたり、雑草を抜いたり、脱穀したりする以外のことができない。


 だから葵依は倫之助に背を向けまた作業に戻ると、稲を根から綺麗に刈り続けた。

 居場所は変わっても、ほどよくかたい稲の感触は幼い頃から知っているものと変わらず、葵依は田畑ではとりあえず役に立つ人間でいられた。

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