3-6 婚約の終わり

 神喰いの花嫁になる件について椿咲が女学校で話したところ、友人たちもまた皆祝福してくれた。

 神を食せば死ぬことになる椿咲を誰も可哀想だとは言わず、むしろ強い興味を示す。

 彼女たちにとって椿咲の人生は、異国の映画や小説と同じ、退屈を忘れさせる物語の一つであった。


 だから椿咲が神に嫁ぐために婚約者である隆司と別れることも、現実を離れた叙情的な出来事として勝手に語られていく。

 友人たちは同情はせずに好奇心で接するのに、将来が約束していたはずの人と椿咲の関係が終わることは、切なくて悲劇的なものであってほしいと願っている。

 しかし実際のところは、隆司と椿咲の別れはそれほど物悲しいものにはならない。


「今日は朝からずっと、ありがとうございました」


 会って二人で過ごす予定を終えた、隆司が運転する帰りの車の中で、椿咲は特に気負わないでお礼を言う。

 サファイア・ブルーの車体のフェートンのハンドルを握る隆司も、表情を曇らせることなく朗らかに応えた。


「うん。僕も最後に、椿咲さんに会えてよかった」


 宇迦尊に嫁ぐことになってから「最後」という言葉を様々な人から聞いてきたが、隆司が言うものには特に深みがない。

 最初からわかっていたことではあるものの、隆司も椿咲もお互いを代替可能な存在としか考えておらず、ささやかな好意があったとしてもおそらく明日には忘れてしまうのだろう。


(結婚相手が従姉妹になったところで、きっとこの方は気にも留めないのでしょう。それは私にとっても、好都合なことですが)


 罪悪感を抱かずに婚約を解消できることに、椿咲は黙って感謝する。

 隆司は誰と結ばれても良いのだとしても、椿咲は選ばれた今はもう相手が神でなければ嫌だった。


 座席の背もたれに頬を寄せて、椿咲は頭上の幌以外には何も隔てるもののない薄暗い車の外を見た。

 車窓から吹き込んでくる風は冷たく、道から見える宵闇の迫る冬の東都のビルに囲まれた通りでは、師走の用事を済ませるために外に出てきた厚着の人々が、薄鈍色の空の下で忙しそうにしている。


 自分は何一つ動くことなく、軽油で動く鉄の駕籠に乗って運ばれながら、椿咲はもうすぐ終わろうとしている今日を振り返った。

 午前中は、赤煉瓦の建物が立ち並ぶ中心街にあって、白いテラコッタの壁が一際まぶしく目立つ大劇場で、騎士が真実の愛を探して死ぬよくわからない内容のオペラの昼公演マチネを見た。


 それから午後には新装開店したばかりの宮殿のように立派な百貨店に行き、輸入品のブローチや香水を特にほしいわけでもないのに眺めて買った一日は、どちらも大財閥出身の二人らしい贅沢で退屈な時間だったと思う。

 こうして椿咲が自分の食に関すること以外の事柄への興味の薄さを確認していると、隆司は進行方向に目をやったまま話しかけてきた。


「相手が神様ならきっと、僕よりもすごいんだろうな」


 何か言いたいことがあるわけでもない様子で、隆司はただ思いついた言葉を適当に言っていた。

 本人も考えていないことを他人がわかるはずはなく、椿咲には隆司が神をどう超越した存在だと捉えているのか理解できない。


(すごいの種類によっては、人間の方がすごいことだってあると思いますが)


 椿咲は隆司に言っても仕方がないことを飲み込み、とりあえず会話を成立させようと口を開いた。


「宇迦尊様がどんなお方だとしても、私はその隣にふさわしい花嫁になります。私は他のありえた未来をすべて賭けて、宇迦尊様のもとへ行くわけですから」


 ほんの少しは残っていた隆司への真心を込めて、椿咲は宇迦尊に嫁ぐ覚悟を語った。

 だがやはり隆司は、椿咲の意図を把握できていない顔をして、混み合った通りが進むのを待っていた。

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