第2話

 屋敷の中は、隅から隅までピカピカにした。食料も飲み物も、薬も豊富に揃えた。

 なのに、まだアリスは帰ってこない。


「どうしてなんだろう」

 ホブゴブリンはしばらく考えて

「やっぱり、まだアリスをいじめる奴らがいるのかもしれない」

 それで、アリスはまだ帰ってこれないんだ。可哀想に。

「だったら、まだ僕が追い払ってやらないと」

 そう思って、ホブゴブリンはまた家を出た。

 屋敷の中で遊んでいる子供を見るたび、追い払った。と思うのだが、何故かその時の記憶がない。

 ただその後、周辺の床がべとべとと汚れている。少し赤みを帯びた泥のような何かだ。

 不思議に思いつつも、丁寧に拭き取り清めた。鉄に似た異臭が鼻をついて思わず顔をしかめた。

 アリスに会えず、心は満たされないが、腹の方は何故か満たされている。


「まあ、いいか」

 とにかく、このまま悪い子供たちを追い払い続けよう。

 そうすれば、いつかアリスが帰ってきてくれるだろう。

 そう思うが、中々気持ちは晴れない。胸の中が、どんより濁った曇り空のような灰色に塗りつぶされているような気分だ。

 この感覚は、多分『不安』というものなのだろう。

 以前、アリスが言っていた。

『自分は、このまま体が弱くて、家からほとんど出られないかと思うと、不安になる』

 と。

 不安とは何なのか、ホブゴブリンが問いかけると、アリスは菫色の目を丸くした後に、くすくす笑いながら教えてくれた。

 彼女と会うまで、ホブゴブリンはほとんど『感情』というものを、実感したことが無かった。

 思えば、初めて彼女の笑みを見た時の、淡く心地よい熱に満たされるような感覚は『うれしい』という感情だったのだろう。

 あの白い花がほころぶような笑みが、もう一度みたい。

 過去の記憶を掘り起こしていると、屋敷に近づく気配を感じた。

「アリス? 」

 窓から外をのぞいてみる。だが、違った。


 一組の男女の姿だ。

 女の方は、喪服のような黒いドレスを着た少女。

 細かい年齢はよくわからないが、十代の半ばか後半ほどに見える。

 ところどころレースやフリルがあしらわれているが、質素な色合いのせいかそれほど派手には見えない。

衣服の黒さに映える白い皮膚を引き立てるように、結わずに背に流した髪は赤い。

それもオレンジに近い明るい赤毛ではない。紅玉を溶かして染め上げたように、濃く鮮やかな紅の色をしていた。

 全体的に小作りの可憐な白い顔の中で、髪と同じく紅玉のような色合いの瞳がひときわ目立つ。

 外見からにして年齢はアリスより少し上ぐらいだろうか。だが彼女と違い、生気に満ちた快活そうな雰囲気を纏っていた。


 男の方は、二十代半ばほど。コートやブーツに至るまで黒づくめ。さらに肩を覆うほどの長さの髪も黒い。

 カラスの羽のように、薄っすらと青みがかった艶めいて美しい黒だ。切れ長の目の中の、蒼い瞳だけが異彩を放っていた。

 顔立ちもまた、上背とくっきりと濃い眉が無ければ女かと思うほど秀麗だ。

「なんだ、あいつら」

 もしかして、あいつらもアリスをいじめる悪い奴らなのだろうか。

 だとしたら、懲らしめなくては。



 屋敷に足を踏み入れた男女の姿を目にするや、ホブゴブリンは猛然と襲い掛かる。

 が、しごくあっさりと躱される。 

 たたらを踏んだ後に、愕然と振り返る。

「お前ら、僕が見えているのか? 」

 問いかけに答えたのは、少女の方だ。

「そうだよ。だって、私は魔女だからね」

「魔女?」

「そう、隣にいる彼は私の使い魔だ」

 そう言って、隣の青年を手で示す。

 改めてよく観察してみると、姿形は確かに人間だが、妖精や魔物に近い、どこか自分に似た匂いを感じる。


 魔女。魔法使い。

 そうした連中がいるのは知っている。

 今や、妖精と同じくおとぎ話の中にしか存在しないと思われている存在。

 と言っても、御伽噺のように子供をさらって食うような悪者ではない。

 妖精や魔物。そうした人ならぬ存在が、人に著しく害をなす場合は、害獣を狩る狩人のごとく現れて、葬り去る。そうした、一種の抑止力として動いている連中だと聞いていた。


「それで、魔女と使い魔が、何の用だ? 」

「人食いの魔物を退治しに」

 答えたのは、今度は青年の方だ。

「人食いの魔物?そんなもの、ここにはいない」

「いるさ、自分で気づいていないだけで」

 そう告げるや、青年が一歩踏み出す。

 と思うと、ホブゴブリンのすぐ目の前にいた。

 瞬く間に距離を詰めたその瞬発力に驚愕する間もなく、銀の光が一閃。

「がああっ! 」

 悲鳴を上げてのけぞる。さらに距離を詰めようとする青年にとっさに蹴りを入れる。

 勢いよく後方にふっとぶ青年をにらみつけ


「いきなり、何をするんだ。まさか、僕がその人食いの魔物だとでもいうつもりか? 馬鹿げてる、僕はホブゴブリンだ! 」

「……まだ、自分がホブゴブリンだと、家事妖精だと思っているのか? 」


 駆け寄った少女の手を借りて体を起こしながら、青年が言う。その手には、いつの間にか一振りのサーベルが携えられている。

一体、いつ取り出しだのだろうと訝しく思いつつ

「もちろん。ホブゴブリンじゃなかったら、なんだっていうんだ? 」

「自分の腕を、見てみな」


 言って、青年が黒い皮手袋をはめた手で指さす。

 その先に視線を向けて、ホブゴブリンは絶句する。

 切り落とされた、腕が転がっていた。

 おそらく、先ほどの一瞬の攻防で青年が切り落とした、自分の腕だろう。

 だがこれはなんだ? 自分の腕とは思えない。どす黒い毛並みに覆われた、小ぶりの刃物のように鋭利な爪をはやした太い腕。

 よく見ると、爪には、ところどころを赤黒い染料で染めたような薄っぺらい布切れのようなものがこびりついている。


「なんだ、これは……? 」

 震える声で誰にともなく問いかけると

「今の君は、ホブゴブリン……家事妖精じゃないんだよ」

 涼やかで愛らしいが、どこか陰りを含んだ声が答えた。

 青年の傍らに寄り添う少女が、どこか痛ましげな眼差しをこちらに向けている。

「今の自分の姿を、きちんと見たことがあるかい? 」

 可憐な外見にそぐわない、中性的な口調で問われ、慌てて視線を転ずる。

 床といい窓といい、どこもかしこも鏡のようにつややかに磨き抜かれている。

 当然といえば当然だ。家事妖精の存在理由は、家事を行うこと。

 誰一人いなくなった屋敷の中で、それを自分に言い聞かせて毎日のように掃除しているのだから。

 だが、この場所に鏡はない。


「ないのかい?ならこの鏡を見てみるといい。ちょっとした魔法をかけてある。君のその狂気に曇った眼でも、今の自分の姿を正しく認識できるはずだよ」

 そう言って、少女は懐から小さな手鏡を取り出し、こちらに放り投げる。

 思わず受け取り、のぞき込むが

「……なんだ、これ?」

 鏡に映った自分の姿は異形に変じていた。

 大まかな輪郭は、人間に近い。だが、こんな毛むくじゃらな人間などいるわけがない。暗い色の毛並みの中で、血走った両眼と、引き裂いたように大きな口から覗く牙だけがぎらついている。

 そして、この毛並みの色はなんだ? 

 鉄錆の色をよりどす黒くしたような、禍々しい色合いは……


「っ! 」

 唐突に、記憶が浮かんだ。

 アリスをいじめていたあの少年とその仲間たちを捕まえた後の記憶だ。

 自分は、そのまま、あの少年の身体に、がぶりと噛みつき、肉を引きちぎった。

 引きちぎった肉を、咀嚼して飲み込み、そのまま少年の全身をがつがつと食らった。

 生きながら食われる恐怖と苦痛に、最大限の絶叫を上げる少年の血肉と骨を、至上の美味のごとく、むさぼり食らった。

 少年のと共に捕らえた仲間たちも、残さず食らった。

 ああ、と納得する。

 あの時、地面に残っていた赤黒い泥のような汚れは、自分が食らった人間の『残りかす』で。

 切り落とされた腕の爪にこびりついているのは、自分が食い殺した人間の皮膚だ。


「あ……あ……」

 よろよろと、後ずさり

「そんな……今の僕は一体何だ?」

「バグベア。バガブー。ボグルボー。バグス。呼び名は色々あるが」

 少女の声が、残酷な事実を告げる。

「悪い子供を食らう、人食い妖精だ」

 凍るような静寂がその場を満たした。

「ああああああああっ! 」

 絶叫がその静寂にひび割れを入れて、硝子の如く粉砕する。

 一本だけ残った腕で、頭を抱えて。かつてはホブゴブリンだった人食い妖精・バクベアは絶叫した。

 バグベア。人食い妖精。ゴブリンの一種。

 知識として知ってはいた。だが、まさか自分がそんなものになってしまうとは。

 なり果ててしまうとは、思わなかった。想像すらしたことが無かった。


 一体自分はいつから、ホブゴブリンではなくなったのだろう。

 アリスをいじめた少年とその仲間たちを許せないと思い、食らった時からか。

 あるいは、誰一人いない屋敷の中で、ずっとアリスを待ち続けていた時からか。

 あるいは……アリスの死を認めることができなかったあの時からか。

 鉄がじわじわと朽ちて錆びるように、正気を少しずつ失って狂った怪物に堕ちたのか。


「あああああっ !」

 狂乱に身をまかせて絶叫して、青年と少女に突進する。

「るおおおっ!」

 とっさに少女を突き飛ばし、青年の姿をした使い魔は獣の如き咆哮を上げ、その形を変える。

黒いコートを纏う細身の男の姿が緩やかに、巨大なクマの姿へ変わる。黒いコートを纏う細身の体を褐色の毛並みが覆いつくし、たくましい巨躯へ変化する。

 こちらが本当の姿なのか。それとも、最初から本当の姿など持ち合わせていないのか。

巨躯に体を抑え込まれながら、そんなことを考える。だが、その思考も少しずつ食われていく。

身体の底から湧き上がる、まっ黒い衝動に。

(食いたい、子供の肉を食らいたい)

 意識が、次第にその衝動に塗りつぶされていく。

 ほかに何も考えられなくなっていく。

 自分が、自分でなくなっていく。

 背筋が凍るように冷えて、胸の内に真っ黒い感覚が満ちていく。

 雪なき冬の夜のように、冷え切った真っ黒い色に塗りつぶされていくような、感覚。

 これは『恐怖』だ。

 自分に食われ、殺された少年たちも味わったはずの感情。

 生きながら食われ、苦痛の中で命と共に自己を認識する意識が消える中で。

 生きたまま、食われていくのがはっきりわかる。

 理性と意識が、狂気と食人衝動にがつがつと、むさぼりつくされていく。

 ある意味死ぬよりむごいおぞましさに耐えきれずに、かろうじて残った理性で

「殺して……ほしい」

 絞り出すような哀願の声を出すと、抑え込んでいた巨躯がすっと離れていく。

 訝しく思う間もなく。

「もちろんだとも、そのために来た」


 涼やかな声の後、鋭く空気を裂く音。

 自分の身体を眺めると、小さな金属片が食い込み、いくつもの穴を穿っている。

 視線を向けると、体躯にそぐわぬほど大きな銃を構えた少女の姿。

 妖精にとって、最も苦手な鉄を撃ち込まれたのだと理解した瞬間。

 瞬時に距離を詰めた青年が、サーベルでバクベアの胸をまっすぐに貫いた。


 

「僕は死ぬの?」

 かすれた声でバグベアが問いかけると

「死ぬ。もともと、金属は妖精にとって相性が悪い。それに彼女の銃弾にも妖精を殺すための魔力がたっぷりこもっている」

 淡々と青年の姿に戻った使い魔が答える。

「そう……」

 そう言って、バクベアはゆっくりと頽れていく。

「怖い……なあ」

「死ぬことがか?」

「違うよ」

 そう言って、バクベアが首を振る。

 何人も殺しておいて、そんなことを言う資格がないのはさすがに分かる。

「僕には、もう存在理由がない」

 家事妖精の存在理由。

 時に家の家事を手伝い、時にささやかな悪戯をし、家の中に住まう人たちに寄り添うこと。

「存在理由を失ったら……僕は僕でなくなる。そんなの、当たり前のことだ」


 存在理由を失って狂って人食いの怪物と化して、人と寄り添う者から最もかけ離れた存在に堕ちて死んでいく。

 それが、怖い。

「自分が、無意味で無価値な存在として消えていくのが……怖い」

 どうしたら、こんな風にならずに済んだのか。

 脳裏に、白いつぼみが花開く様な笑みが浮かんだ。

 そういえば、とどこかで聞いた知識を思い出す。


 ボガートと呼ばれる妖精がいる。

 家に住む妖精の一種だが、悪戯を通り越した悪意のある行動をとるという。

 正体は、ブラウニーが堕落した存在だとか聞いたが、詳しくは知らない。

 だが、ボガードに名前を与えてはいけないという話を聞いたことがある。

 名を得ると、手に負えぬ破壊的な存在になってしまうから、と聞いた。だが、最初聞いた時は、なぜそうなってしまうのかは分からず首を傾げた記憶がある。

 だが、今は何となくわかる気がした。

 名前を与えられたことで、名をくれた者の死を受け入れられず、狂って怪物に堕ちた自分のようになってしまうからではないか、と。

「あの子と……アリスと、仲良くなったことが間違いだったのかな?」

「違うよ」

 そう言ったのは、少女の姿をした魔女だ。

 倒れたバクベアのそばにしゃがみこみ

「シルキーがやってきたんだ。家を失って狂いかけているホブゴブリンがいるから、助けてあげてほしいってやってきたんだ」


 魔女の言葉に、自分に声をかけてきた美しい家事妖精の姿と言葉が思い浮かぶ。


『ねえ、ずっとここにいないで、どこか別の家を探したら?貴方がどんなに家事を手伝ったり悪戯をしたりしても、それに喜んだり驚いたりしてくれる人たちは、もういなくなってしまったのよ』


「それで、ここに来るまでにこの家でかつて過ごしていた家族のことは調べたんだ。君と仲良くなった女の子のこともね」

 鈴の音色のような声が、淡々と語る。

「だが、君がどうしたらこうならずに済んだのかは、私にも分からない。……ごめんよ、それなりに長く生きて魔女と呼ばれるぐらい知恵も知識も身につけていると思ったんだが、私はそれほど賢くないみたいだ」

 そう言って、紅い瞳でのぞき込む白い顔には哀れみも蔑みもない。

「君がバクベアとして犯してしまった罪は消えない。だけど、君がホブゴブリンとしてやった行いも、なかったことにはならないさ。それに……君は、彼女にたくさんもらったものがあるんじゃないかい?」


 彼女から、もらったもの。

 嬉しさ、楽しさ、寂しさ、不安。それから

「……名前」

 確か、彼女がくれた名前があったはずだ。彼女は自分を何と呼んでいたっけ。

「名前?それはひょっとして、ルイスかな?」

 ……ああ、それだ。

『ルイス。貴女の名前はルイスよ』

 はにかむような笑みを含んで、名前を付けた彼女の顔。

 彼女が大好きな物語を生み出した、作家のペンネームからとった名前。

「ああ、そうか。君によく似合う名だね」

 そう言われて、冷えた黒に塗りつぶされた胸中に、淡く何かが宿る。

 小さなともし火のような、ほのかに温かい感覚。

「この家で過ごした女の子の友達になって、彼女の気持ちを満たした。ただそれだけで、君は、家事妖精じゃなくなっても、無意味でも無価値でもないよ」

 犯した罪は消えず。抱いた恐怖は完全に消えず。

 それでも、ほのかな安堵を抱いて。

 かつて家事妖精だった人食い妖精は、緩やかに死んだ。

 やがて、その体も空気に溶けるように消えていく。



「よいしょっと」

「マスター。服が汚れますよ」

 上等そうな黒いドレスを着ていることも気にせず、大きな石を持ち上げようとする少女に、隣の青年が声をかける。

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃありませんよ。大体そんなもの作ってどうするんです?」

「いいんだよ。これは私が自己満足でやるんだから」

 などと言って石を持ち上げようとする少女を止め、青年が代わりに石を持ち上げる。

「俺が代わりにやります。マスターはそのあたりで花でも摘んでてください」

「ありがとう。助かるよ、やっぱり君は私のよき友だね」

「俺はただの使い魔です」

 青年は淡々と答えて、持ち上げた石を庭の中央に置き、何やら文字を刻み始める。



 とある地方で、誰も住まぬ家がある。屋敷と言っていいほど、大きく壮麗な家だ。

 だが、巨大な骸のような荒廃した雰囲気と、かつて人食いの魔物が住んでいたという不気味なうわさも相まって、誰も買おうとしない。

 荒廃した屋敷と同じく荒れ果てた庭の中に、小さな墓がある。

 墓の中には、何の骸も埋められていない。

 ただそこには、そのあたりで摘んできたらしいスミレの花が手向けられている。

 黄昏時の空のような紫色の花が手向けられたその墓石には、ただ文字が記されているだけ。

『アリスの友、ルイス。ここに眠る』と。


 一匹の恐ろしくも、悲しい妖精の物語は、これにておしまいです。

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