掌編小説・『筋肉』

夢美瑠瑠

掌編小説・『筋肉』

 

 影山裏子は常にイジメに遭っていた。

 生まれつきに気が弱く、繊細なので、自己主張というものがおよそ無理な、「生きるのに向いていないような」タイプだった。そうしてこの世界というもの自体にどうも馴染めないでいた。いつのころからかすべての現実に非現実感と違和感を覚えるようになっていた。

 周囲の現実は灰色で、生気に乏しくて、存在する理由も意味もあいまいだった。

 意地の悪い冷たいヒトばかりが自分を四六時中白い眼で見て、蔑み、嘲嗤う。汚らしいもののように侮蔑してくる。

 学校でいい成績をとっても、長距離走で優勝しても、報酬はせいぜいが嫉妬と、かえって酷くなるイジメだった。

 だんだんに裏子は何もかも嫌になってきて、ひきこもりになった。

 「この世界に対する違和感」の原因を知りたいと思ったので、いろいろな本を読んでみたりもした。

 小説家や心理学者は周囲の意味の分からないくだらないことばかりをしゃべっている人たちよりもはるかに「分かり合える」し、面白い話をしてくれる人たちだった。

 「ことば」というものが、だから本来のよいもの、わかりあうためのもの、すごくいろいろな考え方や不思議な出来事などを教えてくれるという素晴らしいものだということが、本が無ければ裏子にはわからないままに死んでしまったかもしれない。


 つまり物事には光と影の両面があって…あらっゆることにはそういう二律背反?矛盾しているような多義性がつきものなのか?ミラーボール効果?…読書でだんだんに難しい言葉を覚えて、裏子はそんなことも考えるようになっていった。

 つまり今の自分は「影」の側面ばかりを見させられて「影」として生きることを強いられているのかもしれない…

 表と裏、善と悪、美と醜、好きと嫌い…物事にもそれに伴う感情にも陰翳にも相貌にも、無数のTPOやフェイズがあるのだ…まだ自分には決定的に人生経験というものが不足しているが、人生というものを単純に悲観して諦めてしまうよりも、ひきこもりになって寄り道をして、いろいろと読書をしたりする経験を積む方がいい場合もあるかもしれないということは確かにあった…裏子はそう思った。

 「負けるものか!」


… …


 学校や世間からドロップアウトしてしまったので、食い詰めて、一人暮らしの裏子は思い余った挙句にソープランドに就職した。

 19歳で、器量や肉体は普通だったので、処女だったが、一番手軽でコスパのいい職業を選んだのだ。世間を知らないおぼこだからこそ客が喜ぶという逆説ゆえの需要もあった。

 最初の客が訪れた。長身で、サングラス、やくざ風の黒いスーツ。蓬髪痩躯。向こう傷すらあった。何をされるか怖かったが、話すと穏やかでっ優しかった。

 有線放送でテレサテンという歌手の昔の曲が流れていた。その歌のタイトルに合わせるように、全裸になって打ち解けた男は「問わず語り」を始めた。


…「おれはね、”JOKER"なんだよ。否定された存在。昔から誰もまともにものを言ってくれない。「無理問答」ってのがあるだろ?何か言うと全然見当はずれの答えをわざとする遊び。コミュニケーションが全部それだったんだよ。純真な子供だったからそれが普通だと思っていたんだね。見事にビートルズの歌の「NOWHERE MAN」そのものになっちまった。世界中がおれを敵視して、のけ者扱いする。右と言えば世界中が一斉に左という。ネガティヴな観念の象徴がおれで…天皇の逆みたいなものかな?フフフ…被害妄想とかそういう風になにか解釈を与えることすらタブーなんだ。公然の秘密にして誰知らぬもののない無名人。「どうして死なないんだろう」と全員からずっと思われて忌み嫌われている。どこにも居場所が無くて、キャンプ生活さ。やくざな小説を書いてやっとのことで口を糊している。」…


 男は、着やせするほうらしくて、黒ずくめの覆いを取り去ると、素晴らしい筋肉が露れた。肉体労働者の筋肉だった。男は荒々しく裏子を犯した。男は性行為の間中も憑かれたように低い声でしゃべり続けた。


 「こうやって初対面に思えてもね、みんなおれのことを”例のJOKER野郎だな”と知っているんだよ。マイナスの象徴だからずっとまた「無理問答」で疎外され続ける。ちょっとカラダに自信が無いオンナは「いいからだねえ」と筋肉を褒めるんだよ。カラダがいオンナはかえって「普通かな」とか言う。自分の属性にしたがらないんだね。一事が万事で、アプリオリに頭の上に見えない「異人フラグ」が立っている。それがおれなんだ。普通に知り合うとか「出逢い」とか到底不可能だなって達観してしまったよ…」


 男は裏子を仰臥姿勢にして、オンナの秘めやかな部分を露にして覗き込んだ。

 ”JOKER”の背負っている運命、見えないカルマのような匿名の集団の塊の視線、そうしたパブリックな感覚が裏子に異様な羞恥と昂奮を覚えさせた。

 ピンク色に、異様なくらいに肉芽が尖って、「いやいやいや!」と裏子は真っ赤になって首を振って悶えた。


 エクスタシーに浸りつつ、裏子は、男のたくましい大胸筋の上に彫られた蛇と蠍のタトウーを眺めていた。これは多分「蛇蝎のごとくに嫌う」のアイロニーだろう、と裏子には見当がついた…


<了>




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