学校イチの人気者が筋肉フェチな話

凪野海里

学校イチの人気者が筋肉フェチな話

「はぁ〜、いいわぁ……」


 放課後の視聴覚室。今どき、どの学校にも存在しなくなってしまった移動教室の1つだが、明治の頃に前身を学習塾として設立されたという伝統を誇る私立で中高一貫のマンモス校には、令和となった今でも3日に一度は使われていたりする。

 塩原しおはら海香うみかは自身の隣で、恍惚な表情を浮かべながらモニターを見つめる少女――砂糖さとう甘夏あまなつを一瞥し、嘆息を1つ。

 立てば芍薬、座れば牡丹。動く姿は百合の花。ツヤのある黒髪を背中まで流し、きっと同世代の少女ならば誰もが悩むようなニキビでさえ、きっとできたことがない砂糖甘夏は、この学校に通う者ならば誰もが憧れる超がつくほどの美少女である。

 ただ、海香だけは甘夏の本性を知っている。彼女は超美少女であると同時に、超がつくほどの筋肉フェチなのだということを!


 今だって個人的に視聴覚室を借りているから何をしているかと思えば、我が校の野球部の練習試合を撮ったビデオを鑑賞している。

 で、そもそも甘夏は野球部員でもなければマネージャーでもないし、他校のスパイというわけでもなく。ただただ野球部員たちの白いユニからでている、日焼けに染まった上腕二頭筋を鑑賞しているのだ。

 そしてこの部屋に入ってから何度ついたかわからないため息を、再びつくのだ。


「はぁ~、めっちゃ良い……。この上腕二頭筋。特にうちのエースの笹森ささもり先輩。あれこそ理想だよぉ。ねえ、海香見てよ。このがっしりと鍛え上げられた筋肉。日焼けによって黒くなった肌。勇ましすぎると思わない?」

「ああ、はいはい。すごいすごい」


 隣に座る海香はもはやモニターなど見向きもせず、スマホを開いてソシャゲをやり始めた。今日のログボは受け取ってないし、来週からイベントだからレベル上げのためにも周回は欠かせない。


「ちょっと! ゲームなんてしてないで、現実の筋肉を見てよ!」

「何が現実の筋肉だ、アホっ! こんなよくわからんことに付き合わされた私の身にもなれ! わざわざ視聴覚室借りてやることじゃないだろ。家でやれ、家で!」


 毎日毎日、学年主任の泉先生に視聴覚室の鍵を借りているが、普通に考えてこんな私的欲望丸出しで、学校の貴重な部屋を借りられるわけもない。ましてやこの学校は伝統を重んじるがゆえに校則も厳しいのだ。

 だからこの部屋を借りるとき、甘夏はとにかく言い訳をする。「このあいだ授業中に見た、映像資料をもう一度見たくて」だの、「もうすぐ試験が近いので、実験映像を復習したくて」だの。


 全ては筋肉を見るために。


 その執念たるや、ある意味恐ろしい。もっと他のことに活かせないのだろうか。顔の割に残念な中身をしているなと、海香はつくづくそう思う。

 甘夏はムスッと白い頬を膨らませると、手元にあったリモコンで映像を早回しを始めた。どうやら好きなシーンまでスキップでもするつもりらしい。

 海香は起動したソシャゲに視線を戻す。今彼女がやっているのは、バケモノが襲来したことにより、崩壊寸前となってしまった世界で運命に抗う少年少女たちの物語だ。

 海香にとって、筋肉とかそんなのはどうでも良い。ともかく推しを育てる。推しが育てば、その分。キャラクターボイスも解放されるし、運営に「このキャラは人気ですよ」というアピールにもなって、グッズ展開も増えるのだ。

 ちなみに海香の今の推しは、赤色の短髪と耳にしているヘッドフォンがトレードマークの青年だ。日常パートでは黒縁メガネをかけているというギャップも非常に愛らしい。


「って待った。何その筋肉!」


 突如、隣で叫ばれて、海香の耳はキーンと耳鳴りがした。思わず耳をおさえて隣をにらみつけると、甘夏は「ごめん、ごめん」と笑いながら謝り、海香のスマホを覗き込んだ。

 そこに映し出されているのは、海香の推しキャラ。


「この上腕二頭筋といい、ズボン越しからでもわかるよ、この足の筋肉の隆々さ! ねえこのキャラの足ってどんな感じなの? ほぼ布で隠れてるじゃない!」

「布言うな。えっと、たしか去年の夏イベででた水着があったはず……」


 付けられっぱなしのモニターの映像の存在も忘れ、あまりに食い気味に迫ってくる甘夏に若干押されつつ、海香は推しの服を通常の戦闘服から水着に変えた。

 すると甘夏は「ふぉぉぉぉっ!」とおよそ全学年女子の憧れの的だとは思えないような、獣のような雄叫びを発する。海香はかなり引いた。


「え、何この子。二次元にこんな理想的筋肉キャラいたの!? 脱いだらもっとすごいじゃない! 足はわかる。やっぱり思った通り、ふくらはぎはがっしりしてるし。腹筋は理想のシックスパック。筋肉全体から色気ムンムン過ぎない? なんでこれが二次元なのよ!」

「ちょっと。人の推しを邪な目で見んじゃないよ」


 早口になって人のスマホの画面を横取りしようとした甘夏から、海香はスマホを隠した。

 だがそれで甘夏の暴走は止まらない。目をギラつかせながら、「ねえもっとよく見せてよ」と鼻息荒く迫ってくる。


「そんなに気にいったなら、同じゲームやれば良いじゃない。少なくとも私は、笹森先輩より、ホムラくんのほうが鑑賞に値すると思うわ」

「ホムラくんっていうのね! はぁ~、こんな理想な筋肉を作り出してくれるなんて、何者なわけ? すごいわね、そのゲーム!」

「……担当絵師のバンブーさんは、青い鳥でも見られるよ。ほら、この人」


 海香はSNSを開いて、海香の推しであるホムラを描いてくれた絵師の公式アカウントを甘夏に見せる。

 甘夏はますます奇声を発した。


「すごいすごいすごいぃぃ! 他にも素晴らしい筋肉がそろってるじゃない!」

「まあ、筋肉フェチとかで言うなら、あんたと同格だと思うわ。しょっちゅう、筋肉描いてるし、去年のホムラくんの水着イラストだって『めっちゃ筆速くてほぼ一日でラフから仕上げまでやりました。一発オッケイでした。筋肉サイコー!』って叫んでるし」

「へえ。あ、しかもこの人。年わりと近いじゃない!」

「ああ、うん。1個上だね。たぶん学生やりながら絵も描いてるんだと思う。すごいよね」

「へえ。で、ツイートしてることはほとんどスポーツのことばかり。でも野球のほうが好きなのかしら」

「こないだ、所属している学校で練習試合をしたって言ってたわよ。それで疲れたけど、他校の生徒の筋肉見たら元気でたって」


 思わず海香は、絵師のつぶやきと甘夏を見比べる。

 ホムラ担当絵師・バンブー、ちょっと変態入ってるな。めちゃくちゃ甘夏と同じ匂いがする。

 まあ絵師がどんな性癖をしていようと、その性癖のおかげで推しのホムラは生まれたのだ。そこは感謝するべきだろうと、無理やり自分を納得させる。


「あれ。しかも来週、野球部の公式試合が始まるから。しばらくイラストのお仕事依頼はストップさせていただきます……だってぇ」

「つぶやきから推測するに、野球部のエースなんだよね。この人」

「何それめっちゃ最高じゃん! あぁ、この人と同じ学校だったらなぁ。絶対応援行くわ。試合風景ビデオに撮って、いつまでも眺めてたいぃぃ」

「いい加減黙れ変態」


 こんな甘夏の姿など、たいして彼女の美貌に興味がないから良いものの。自分以外の人間が知ったら、ショックで一ヶ月は学校を休む羽目になるだろう。

 海香は大きくため息をついて、甘夏の膝の上からリモコンをとり、モニターの映像を消した。


***


「先週の練習試合さ、めっちゃかわいい子来てたよな。あれ、誰? たぶんネクタイの色的に2年だと思うんだけど」


 練習終わりの野球部のロッカールーム。そこで防具をはずしていた3年捕手の質問に、2年は答える。部屋にいる者は誰も彼もが頭を丸刈りにしている。


「ああ、あいつっすか。砂糖甘夏ですよ。めっちゃかわいいっすよね。全校あこがれの的。1000年に一度の美少女を見事体現してるっていうか。ルックスも最高。胸もデカいし」

「ああ、あれが2年の砂糖なのか。カノジョにしたら一気に敵増えそうだな」

「わかります。だからみんななかなか手だせなくて。笹森先輩はどすか? 砂糖甘夏みたいな美人に声かけられたら、さすがにオッケイしちゃうでしょ」


 話しかけられた、エースの笹森ささもりみやびはアンダーシャツを脱いで上裸になりながら、「……別に」とつぶやく。


「えぇ、まじすか」


 あまりにそっけない態度に、後輩はあきれる。彼とバッテリーを組んで長い捕手は、それを見て笑い飛ばした。


「やめとけ、こいつにそんな質問は無意味だよ。こないだだって、練習試合で行った他校のめっちゃかわいい女子に告白されて、即フッてたし。俺なら絶対オッケイするのに」

「おまえと一緒にすんな。興味ねぇよ」


 馴れ馴れしく肩に腕をまわされたのを払いのけて、雅は制服に着替えてさっさと荷物をまとめる。


「そんじゃ」


 部室をあとにした彼の後ろ姿を、2年の後輩はあきれたように見送った。


「チームのエースで、クールってだけで。なんで先輩、あんなにモテるんすか?」

「女子って生き物はチームで1番目立って、なおかつクールなキャラが好きってことだよ。まあ笹森にいたっては、女子よりも団子タイプだから。しょうがねえよ」


 高校入学以来の付き合いだが、笹森雅についてはバッテリーである自分でさえ、たまによくわからないことがある。

 放課後は寄り道せずにさっさと家に帰るし、成績が特段良いわけでもないから勉強なわけがないだろうが。


 一方、その頃の笹森。帰りの電車でスマホを開きながら、1人。心底、マスク常備生活になった今の世に安心していた。そうでないと、にやついている口がバレてしまう。

 彼が今、見ているのは先週の練習試合で撮影した他校選手の写真フォルダである。監督やチームメイトには、「情報収集になると思って」と言っておいたが、真っ赤な嘘。その実、彼らのユニからでている腕の筋肉。首回りの筋肉。ユニ越しからでもわかる足の筋肉。とにかく筋肉、筋肉、筋肉を楽しんでいた。


 来週からは公式試合だし、そしたらまた色々な筋肉を見られるのだろうと思うと、今から興奮が止まなかった。なるべく目に焼き付けて、マネジにも試合映像をもらっておこう。

 笹森は続いて、SNSの青い鳥を起動した。今日最初のつぶやき。


「練習つっかれたけど、筋肉が見られたので満足。ただそれだけ」


 すると、すぐさま見ず知らずの人たちから返信が来た。日本語だけではない、英語や中国語の人たちまでいる。


「おつです!」

「練習お疲れさまです! 自分も今、練習あがりです!」

「お疲れ様です。いつもイラスト拝見しています。先日あげていたホムラくんのイラストも最高でした!」

「さすがバンブー先生!」


 バンブー。それが笹森のもう1つの名前だ。

 現役高校野球部員でありながら、あるスマホ向けソーシャルゲームにて、ホムラというキャラクターのイラストを担当している絵師なのである。

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