危なっかしいどころの騒ぎじゃない彼女

秋雨千尋

彼氏「約千回は自殺を止めたと思う」

 知っているのはこの空だけ──。



 歩道橋の真ん中で、手すりの上にヒラリと乗って彼女は言う。


「わたしと付き合ってくれる?」


 セミロングの髪を部分的に三つ編みにして、清楚な雰囲気を醸し出しているにも関わず、やっている事は脅迫だ。


 断れば、後ろ向きに飛び降りてやるぞと。



「付き合うからさ、こっちに降りてきてよ」


「やったあ」


 抱きとめるポーズを取ったら、グッと膝を折って一瞬だけパンツを見せつけて飛びついてきた。


 ぼくは筋肉隆々ってタイプじゃない。

 女の子とはいえ同級生の体重を完璧に受け止める事なんて出来ない。

 クルクル回転する事で勢いを殺し、根性で何とか耐えきった。怖かった。危うく二人まとめて階段から落ちるところだった。

 しっかり抱きしめたままヘナヘナと座り込む。


「心臓の音、すごく大きいね」


 間近で見る大きな目に吸い込まれて、呼吸を忘れた。がっちり首をホールドされた状態で唇を奪われる。意識を無くすぐらいに柔らかい。

 うっとりしていたら、鋭い痛みが走り、鉄サビの匂いが広がった。


った。何で噛むのさ」


「えへへ、忘れられなくなったでしょ?」


「忘れる訳ないだろ」



 彼女は厄介な病を患っている。目を離すとすぐ死に近付いてしまうんだ。

 初めて会った日も回送列車に向かってフラフラ歩いていた。


「危ないよ」


 手を引いて止めたら、すごくビックリした顔をして振り向いた。こぼれ落ちそうな目がぼくを捉えて、ポロポロと涙をこぼした。


「生きていていいの?」


「はあ? いいに決まってるじゃない」


「わたしは悪い子なんだよ。罰を受けないといけないの」


「何をしたのか知らないけどさ、電車に飛び込むと更に罪が重くなるよ。たくさんの人が困るから。迷惑をかけない死に方は老衰だけなんだよ」


 彼女はキョトンとし、引き続きポロポロと涙を流しながら、それでも笑った。



「屋上から飛び降りたら、鳥みたいに飛べるかな」


「雨上がりの泥だまりになるよ」



「お風呂に浸かって手首を切ったら、ポカポカしながら眠れるかな」


「ふやけて凄いデブになるよ」



「永遠にキレイなまま時間を止める方法があればいいのに」


「生きている以上のキレイは無いよ」



「歳を取ればシミもシワも増えるし、髪も減るし、腰も曲がるし……今がピークじゃない。どうしていつも止めるの」


 睡眠薬の過剰摂取で入院した彼女を見舞い、うさぎリンゴを剥きながら質問に答える。


「君はキレイな目をしているから、きっとおばさんになっても、おばあさんになってもキレイだと思うよ。ずっと見続けていたいから生きてほしい」


 はい、とリンゴを手渡したら、何十回目か分からない涙を流しながら口に含んだ。


「えへへ、ワガママな彼氏で困っちゃうな!」



 彼女は妻になり、二児の母になり、元気な百歳になった。周りはみんな言う。「自分を大切にしているから長生きなのだろう」と。


 そんな事ないのにな。

 八十年以上も自殺を止めてきて、先にうっかり死んでしまったぼくに言わせれば、こんなにも自分を粗末にする人はいないよ。


 だから、知っているのはこの空だけなんだ。

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危なっかしいどころの騒ぎじゃない彼女 秋雨千尋 @akisamechihiro

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