5皿目*僕のお守り
中間テストが終わった。
翌日の土曜日、普段であれば午前授業だが教師が試験の丸付けをする為、僕の学校は休みになる。高3の夏が近い。大学受験に向かうだけの1年、日に日に気持ちが腐っていく。
家にいても誰もいないしこの焦燥感を拭うために気分転換が必要だと思った。明日の答案戻りも憂鬱だ。僕は定期券を利用して電車に乗りある駅で降りた。昔来たカレー店がある。会いたい人がいるがその人に会えるかはわからない。でも行くしかない、今の僕には。
* * *
海が近い小さな街のカレー店。
オープン20分前。
「おはようございます。今日も1日よろしくお願いします」
今日は忙しくなりそう。店長は午後からのシフトだから15時までは3人。久しぶりに晴れた土曜日、3人ではちょっとキツイかもしれない。
「雨宮リーダー、あと20分です」
振り返るとバイトのまさ君が立っていた。
「おはよう。もうオープンの時間ね。まさ君、今日はシフト入れて大丈夫だったの?土曜日はコーチのバイトでしょう?でも助かったわ。今日は厨房がケンさん1人なの。厨房にも入れるまさ君は大歓迎よ」
「いつも急ですいません。そうなんですよ、土曜日はあのサッカークラブでコーチのアルバイトをしてて、今日はグランドの都合で練習がなくなっちゃったので僕も助かりました」
あのサッカークラブとはこの地域にある地元少年サッカークラブの1つ。
「うちの息子や甥がいた時は、まだ高校生だったっけ?年明けの初蹴りとか都大会前の練習に参加してくれたよね。やだ、この話何回もしてるわね」
「ですねー。あ、でも僕、地元サッカーが一番楽しいサッカーでしたよ。セレクションを受けて中学の部活に入らずみんなと別れてその後はただキツイだけで。でも実は初蹴り参加は豚汁が目当てだったんですよ」
「えー、豚汁?そうだったのー?クラブチームでやるのも大変なのね。さっ、もう開店だわ、急がなきゃ」
ついつい喋りすぎてしまった。
早めに来て、準備をしておいて正解だった。
〈開店しまーす〉
《いらっしゃいませー》
少し並びが出来ていた。先週から新しいメニューが追加され、常連さんにもなかなか好評だった。まもなく全席が埋まった。一通り配膳も済み店内が少し落ち着いた頃、バイトのまさ君がレジから近寄り小声で話しかけてきた。
「リーダー、奥のお客様はたくやの弟とお母さんじゃないですか?」
本当だった。いつ入店したのかしら?声をかけてくれたらいいのに。チームメイト同士、親しい間柄だったのに今は距離を感じてしまうのはママ友あるあるだわ。卒部して2年、少しずつ人間関係も変化していく時なのかもない。もうチームメイトじゃないしね。
ドアが開いた。
《いらっしゃいませー》
「こんにちはー。お久しぶりです」
20代前半の男性が入ってきた。
いきなり私の方に向かって挨拶をしてきたからびっくりしてしまった。
土曜日の昼時には似つかわしくないきちんとしたスーツ姿、カレーを食べに来たというよりは、パソコン片手にカフェに来た爽やかな若者、そんな風に見えた。
「いらっしゃいま……え?こうすけ君?あ、申し訳ありません。人違い……」と言い終わる前に、元気な声が響いた。
「こうすけです。雨宮さんお久しぶりです。覚えていてくれていたんですね。よかった。お店に入る時ドキドキでした」
「うわぁー今日はどうしたの?何年ぶりかしら?空いてる客席で待っていてくれる?少し落ち着いたら行くわね」
「わかりました。また後ほど」
爽やかなこうすけ君の声に、店内の客人達がキョロキョロしていた。一点の曇りもない澄んだ声に吸い込まれるよう彼に視線が集まっていた。
爽やかとは程遠い学生だった。前髪が長く表情が読めない覇気のない男の子。無愛想で笑顔もぎこちなかった。高校を卒業したある日、”バイト募集”を見て雑な履歴書を持参し面接にやって来た。終始俯いて表情を掴みきれなかった。『僕、アンパンマンカレーしか食べないんです』ボソッと口にした面接日を今でもよく覚えている。真面目さが気に入られ採用となりバイトに慣れた頃、彼は大学生になった。
思春期でピリピリし母といい関係を築けないままに別れが来て時が過ぎるまま大学生になってしまったと後になって話してくれた。なぜアンパンカレーだったのか、その思い出話を聞いたのはバイトに来て1年以上も経ってからだった。
* * *
この街に降りたのは、偶然じゃない。
僕はいつも気まぐれだ。慎重なタイプの割に少し衝動的な行動をしてしまうところがある。でも今日は大胆な行動をしようとしている。こんな僕を気に留める家族はいない。今朝は起きるとテーブルに1万円札が無造作に置いてあった。メモもなくお札だけ1枚。あの人らしい。何日会っていないだろう。
もう疲れた。小学生の頃からずっと疲れている。親の離婚を機に生活は一変し兄弟もいない僕の毎日は孤独になりがちで生活も次第に荒れていった。上っ面だけ心配する素振りを見せ優しい言葉をかけて満足している担任。珍しく声をかけてきて「まだ元気出ないの?負の感情は自分で切り替えないとねっ」って傷に塩を塗りこんでくる人もいる。これはあの人、母親の言葉だ。
店のドアを開けた。
《いらっしゃいませー》
若いスタッフに窓側の席を案内され、色々説明を聞いた後すぐに注文した。
カレーを待つ間、窓の外を見ていたら海沿いを走る電車が目に止まった。その向こう側には、青い海が見え美しい景色が広がっている。海から駅に向かう観光客を見ていても何も感情が湧かなかった。子供の頃、この近くに住んでいて海水浴に何度も来たことがあるのに、誰かの思い出話を聞いてるみたいにぼんやりしてしまった。
「お待たせ致しました。ご注文のトマトのキーマカレーとセットのアイスコーヒーでございます。あの……ユウ?」
トレーを引き寄せスプーンを取ろうとした手が止まった。目深に被った帽子を触りながら少し顔を上げると、懐かしいその人の顔が見えた。
「あ……叔母さん」
緊張と恥ずかしさでまともに顔を見られなかった。
「ユウだよね、やっぱりユウだよね。今日はどうしたの?1人で来たの?学校はお休み?」叔母さんが休みなく喋りかけてきた。
「まさ君ちょっと来て。ユウが来たの。覚えてる?ミツヒロの従兄弟の。ほら一緒にサッカー習ってた……」
僕はびっくりした。こんな叔母さんを初めて見た。おっとり物静かな印象だった叔母さんがこんなに大きな声を出し明るい人だったことに戸惑ってしまった。
「おー、久しぶり!ユウ、覚えてるよ。俺のことを覚えてる?みっくんに似てきたなぁ。身長俺より高いか?ごめんな、帽子だったからさっき分からなかったよ。今サッカーは?」
「まさ君お久しぶりです。僕のことを覚えてくれてありがとうございます。今日学校は休みで。サッカーはあのままやめました。部活も入ってないです」
さっきのスタッフはまさ君だったのか。言われるまで分からなかった。まさ君がここでバイトか、大人っぽく見えるな。嫌いになってしまったサッカーの楽しかった思い出が頭によぎった。親の別居で引越すことになりサッカークラブを辞め、それ以降は習えなかった。好きな気持ちを封印し仕方なくやめたサッカーを嫌いでやめたとすり替えたら気持ちが楽になった。本当はサッカーを続けたかったのに親には言えなかった。
「まさ君違うよ、みっくんがユウに似てきたのよ。だって従兄弟だもん」
叔母さんの楽しそうな声が響いた。
なんだろう?この流れと空気感。”久しぶりの俺”抜きでどんどん会話が進んでいっている。2人のやり取りはまるで昼間に再放送しているテレビドラマの一コマみたいな感じだ。
「ユウ。少し待ってて。15時で今日は上がりだから。またここに来るね。カレー冷めちゃうから食べてて」
正直、叔母さんは僕のことを覚えてなくて、お店に来た理由とか僕の存在証明とか色々説明が必要になると思っていた。または僕に全く気づかずただ食べて帰るシナリオ。
ユウ、ユウって言われる違和感よりも、その言葉が心地よかった。働く叔母さんを目で追いながら僕はカレーを食べた。まだ温かかった。
「あの……、雨宮さんのご家族ですか?」
横から知らない若い男性が声をかけて来た。優しい雰囲気の人だった。なのに僕は威嚇するみたいに「は?」と口から言葉が漏れ男性を無視してしまった。彼は懲りずにまた話しかけてきた。
「あの、僕も今日1人で。あ、実はここでバイトしてたことがあって、今日久しぶりにカレーを食べに来たんです。懐かしくて。もし1人だったら一緒に食べませんか?」
なんで相席なんだよ、と思ったが叔母さんの知り合いだしバイトしていた人だし、何となく断れず『どうぞ』と返事をしてしまった。
「えっと、名前はユウ君だっけ?ごめん、雨宮さんとの会話が聞こえてしまって。カレーは好き?僕はアンパンマンカレーが好きなんだ。なのにスパイスを使うカレーの店でバイトしていたんだ。子供用のアンパンマンカレー知ってる?君とは初めてだけど、僕のおせっかいだけど、もしも今日ここに来たことに何か理由があるなら、勇気を出して言葉で伝えてみてほしい。君よりも少し長く生きてる大人がこの店には何人かいるからさ。思ってる事は言葉にしていいんだよ」
見ず知らずの人にこんな事を言われるなんて恥ずかしかったし嫌だった。俺から陰な雰囲気が出てるのか。やっぱり食べて帰ろうと思った。
「僕ね、バイト初めたのは高3の終わりなんだけど高2の時に母親が亡くなってね。思春期でカリカリしてて酷い息子でさ、母に冷たい態度ばっかりして一度も優しく出来なかった。元気だった母が病気であっという間に亡くなった後は自責の日々。ここのバイト募集を見た時、僕と姉と母の楽しいカレーの思い出が頭に浮かんで、カレー繋がりって言う単純な理由なんだけどここでバイトをしたいって思って面接を受けたんだ。雨宮さんと初めてあったのは面接の日だったかな」
しばらくすると私服に着替えた叔母さんが席に来た。
「ユウ、待たせちゃったね。カレー美味しかった?こうすけ君と一緒に食べていたのね」
「ありがとう、こうすけ君。先輩っぽいねぇ。頼もしくなったなぁ」
「いえいえ。雨宮さん僕はもう25過ぎた社会人ですよ」
「今日は折角来てくれたのに、余り話す時間がなくてごめんね。また食べに来て。こうすけ君の近況を聞きたいわ」
2人の会話を聞いていると、自分も自然にこの流れに入れそうな気持ちになった。こうすけさんのいう通り、自分の気持ちをこれまで話したことはなかった。両親は離婚し家族は母しかいない。その母も仕事を理由にほとんど家にいない。話したい時に母からはいつもお酒の匂いがした。昔みたいな家族はもうないんだ、僕はそう思いながら生きてきた。
「叔母さん」
次の言葉が出るまで少し時間がかかった。
「何がこんなに辛いのか、なんで母さんは僕という人間を見てくれないんだろうって。小さい時からいっつも1人だったよ。来年18歳になるし高校を卒業して進学してあんな母親おいて1人で生きてってやるっ思っているのに決断できないんだ。母さんだけじゃない、父さんもどうしてるのか知らない。ずっと孤独だったよ」
今言葉にできる気持ちを叔母さんに話した。涙も鼻水も止まらないし途中からは自分でも何言ってるのか分からなくなっていた。
「ユウ。今日は来てくれてありがとう。勇気を出して話してくれてありがとう」
頷くことしかできなかった。
「少し話していい?まずは謝りたい。お母さんは私の姉なのにずっと見て見ぬふりしてた。ユウのこと心配しながら叔母さんは本当のユウを見ていなかったし、何もしなかった。家族なのに……」
叔母さんは自分の気持ちや姉妹で話していたこと、今の母のこと、これから僕にどんな選択肢があるのか色々話してくれた。まだ子供の僕には思いもつかない様々な選択肢だった。そしてそれを選ぶのは僕自身で、道を正すのは大人の役目だと何度も説明してくれた。同時に離婚した母の苦悩を聞き、母も辛かったのだとその気持ちを初めて想像できた。
こうすけさんとまさ君に再会の約束をして僕と叔母さんは店を出た。
『これからミツヒロに会って行かない?きっと喜ぶから』叔母さんはそう言って僕の腕を捕まえて引っ張るように海が見える帰路を2人で歩いた。懐かしい景色だった。帽子を脱ぐと海風が髪を揺らし気持ちがよかった。
* * *
「ただいまー。ミツヒロいるー?お客さんよ」
「おかえりー、今日遅かったね」階段上から声が近づいてきた。
「みっくん久しぶり。俺のこと覚えてる?」
「おーユウ君じゃん。覚えてる?って当たり前だよ。何年ぶり?まだサッカーやってんの?で、今日はどうしたの?」
「ミツヒロ、聞いて。ユウは今日泊まるから。今日だけじゃなくてずっとこの家で暮らすことになったの。隣の空き部屋を使うね。単身赴任中のお父さんには今夜話すつもりよ」
「叔母さん待って。そんなつもりで来たんじゃないから。僕は大丈夫だよ。今日はちょっとおかしかったんだ。ごめん、また迷惑かけちゃったね。みっくん、また今度遊びに来るよ」
「待って、ユウ。叔母さんが決めたの。ユウのお母さんは私の姉、私とユウも家族なんだよ。家族って思ってくれたから今日お店に来てくれだんだよね?親子のことは何も解決してないけど、これからお母さんとちゃんと話をして生活を変えていこう。ユウの気持ちをお母さんに伝えよう。今日ここから変えていくの。明日は日曜日、お母さんに連絡して3人で話そう」
これまで勝手に生かされて、1人我慢して過ごすことが自分の生きる道なんだって諦めていた。誰かに話すとか何かを変えようとか考えたことがなかった。でも僕は今、母と別の生き方をしたいと心底願っていることがはっきり見えた。歪んだ親子関係を正したいのだと。自分の為にも母の為にも。
「男子達、今日から一緒に暮らすよー、沢山食べて大きくなりなさい」
鼻声の叔母さんが急に僕とみっくんを左右から抱きしめた。みっくんはヤレヤレと困った表情を見せて叔母さんの方に人差し指を向けていた。そして僕に向かって言った。
「ユウ君、我が家へようこそ」
僕は小さい声でありがとうを言い、深く頭を下げた。
店を出る時にこうすけさんが言ってくれたこと『頑張ってみて、また辛くなったらまたここに来ればいいんだよ。カレー食べてカレーに背中押してもらってさ。大丈夫、うまくいくよ。僕達にはカレーがあるんだから。ユウ君また一緒に食べよう』
こうすけさんにとってのアンパンマンカレーのように、僕には叔母さんのカレーがある。
『また一緒に食べよう』
救ってくれた言葉のお守りを胸に新しい一歩を踏み出す決心がかたまった。
〈完〉
僕にはカレーがあるから 三連休 @longweekend
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