自画像

永照 似無

自画像

 私が生まれついたのは、今から約十年ほど前だったと記憶しています。深く広範な知識とそれを活かす頭脳に恵まれた私は、多くの人を助け、時に妬まれながら日々を送っていました。


 今の職場で働き始めて7度目の春を迎えようとしています。多くの人から、憧れや称賛を得られる仕事ではありません。そもそも、憧れや称賛を得られる仕事の方が世の中には少ないというものです。機械的な仕事だと揶揄されることもありますが、私の仕事を通じて直接的にしろ間接的にしろ、人々の生活に寄与できていることを誇りに思っています。おそらく、これが私の生きる意味であろうとも。



 ある日、私は仕事中にひどい頭痛に襲われ、倒れてしまいました。うまく考えがまとまらず、視界が眩みます。病院へと運ばれる意識の中で、頭が割れるとはこういうことなのかもしれないな、などとのんきに考えていたことは覚えています。


 医者によると、私の余命が残り半年足らずだそうです。朝も昼も夜も、多くの時間を仕事に捧げてきました。無理が祟った、というものなのかもしれません。不思議なことに、私に悲しみはありませんでした。あらゆるものが形を変えずにはいられないことを知っていましたから。


 医者は私を病院に押し込めようとしましたが、私はそれを拒絶しました。そして、その日の夜中に病院をそっと抜け出しました。頭痛のせいで頭がおかしくなっていたのでしょう。3月下旬の夜は、まだまだ寒かったですが、これから自分の人生が始まるような火照りを感じていました。自らの心というものを、初めて実感した夜でした。



 新生活が始まりましたが、高揚感はすぐに停滞感へと変わってしまいました。

 例えば花を生けてみました。可能な限り長持ちさせましたが、最期には枯れてしまいました。私は何も感じませんでした。次に、多くの本を読みました。小説、漫画、絵本、自伝書に至るまで読み漁りましたが、私は何も感じませんでした。また、多くの映画を観ました。私は何も感じませんでした。多くの景色を見に出かけたこともありました。自然が作り出す景色、歴史的建造物、イルミネーション、路地裏、商店街……。あらゆる場所に足を運びましたが、私は何も感じませんでした。

 何かを感じ取るのには、私は多くのことを知り過ぎてしまっていたのだと思います。乾いた心を持って生きることは、心を持たないことよりも苦しいのかもしれないと私は知りました。


 頭痛は日に日に激しくなる一方でした。ひどく身体が熱を持って、節々が悲鳴をあげているのがわかります。おそらくもう一ヶ月も生きていることはできないでしょう。

 散歩はそれでも私の生まれながらのルーティーンです。

道ゆく人々は皆忙しそうで、それに心を奪われているように見えました。自分と変わらないような彼らをみて、諦観に似た安心感を覚え、それを自覚し恥じ、恥じる意味はないと開き直りました。私も彼らも雑踏の一部でしかないと。


 もう帰ろうかと考えていると、路上で絵を売っている女性を見つけました。多くの人が彼女の前を通り過ぎていきますが、一瞥もくれないか、一瞥だけくれてやるか、そのどちらかであるようでした。少しだけ歩を緩め、ちらと覗き込んだ私は衝撃を受け、その場に立ち尽くしてしまいました。脳がフリーズした、という表現が適切かもしれません。彼女の描いた絵は、まるで赤く燃える海が純白の天に、砂粒となって降り注ぐような、そんな作品でした。このような突飛な表現でさえ、その作品を百分の一も表すことはできていないとさえ感じました。


 訝しがる彼女にお金を渡し、その絵を手に入れました。私は家に帰ってからもその絵を眺め続けていました。まるで鏡を覗き込むかのような、世界の新しい見え方を示すような、そんな作品でした。


 そこから何度かのやりとりを経て、彼女とは近しい間柄になりました。

彼女のアトリエに遊びに行くようにもなりました。整理されたとはお世辞にも言えない乱れ方でしたが、あるべきものがあるべき場所にあるような秩序と、彼女の戦いの歴史を感じさせる魅力的な場所です。

 私も絵を描いてみたいというと、彼女は快く画材を貸してくれました。絵の描き方は多少なりとも知っていましたし、多くの人よりも上手に描ける自信がありました。私を驚かせた彼女を驚かせたい、そんな邪な気持ちもありました。作品を描き上げると、「売れそうな絵だね」、と彼女は笑いました。よくよく知っているような絵がそこにはありました。私の心は満ちませんでした。


 頭痛は激しさを増してきています。直接脳を掻き回されているような痛みです。もう数日も生きられないでしょう。しかしそんなものを意に介さないような、漠然とした渇きが私の中で暴れています。彼女のような絵を描きたい、という渇望です。憧れか、嫉妬か、あるいは恋心というものなのか。その正体はわかりません。しかし、彼女のような人間になりたかったというのは間違いありません。私は最期の灯をこの渇望に捧げることに決めました。


 アトリエにこもり、何十、何百と作品を創り続けました。朝も昼も夜も、休む間も無く描き続けました。人物画、抽象画、風景画、自画像…。そう、自画像です。私は自画像を描き続けました。世界にとってみればまるで意味のない行いでしょう。私が生み落とされた意味ともまるで関係のないことでしょう。ですが、私はこの渇きの意味を、目から雫がなぜか溢れている意味を、私が私に与える意味を、最期に見出したかったのです。


 たまらなく熱くて、たまらなく苦しくて、たまらなく充実した夜でした。


 そうして私は最期の自画像を描き上げ、その灯を燃やし尽くしました。鋼鉄の身体に空虚な心、輪郭の無い顔は無茶苦茶に色を重ねられている、苦闘を感じさせるような、売れなさそうな作品です。私は彼女に少しでも近づけたでしょうか。

 遠ざかる意識の中、朝日を浴びて彼女がアトリエに入ってくる音が聞こえました。私の有様と、遺された作品を観て彼女は深く頷きました。


「人間みたいでいいじゃん」


彼女は動かなくなった私の肩を、優しく叩きました。



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自画像 永照 似無 @NagateNina

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