女神様の生活補助係
束白心吏
※主な業務は扉の開閉です
筆のはしらせる音だけが耳朶を打つ。
このような生活を始めて早一ヵ月。一ヵ月前の自分が見たら驚くだろう生活に、少し苦笑してしまう。
事の発端は聖職者として迎えた初日のこと。その日は神に仕えることを宣誓する儀式『紹介の儀』が行われており、僕は神職の一つ、
元来より歌は好きだ。それが職業に出来るのなら、と給金の良さや良い人からの推薦もあって僕は教会に身を置くことにした。まあ俗に云う出世街道からは外れてるんだけど……外れていた筈なのだ。
なのに僕はその日、司祭になった。
自分でも何言ってるのか意味がわからない。急展開過ぎて
正直、僕は大勢いる信者の一人でしかない。貴族でもなければ秀でた何かがあるわけでもない凡人。出世なんて以ての外、司祭の補佐である
なのでこうも容易く出世すると喜びよりも胃の痛みが勝るというもの。要は小心者なのだ。まあ替えが利かない役職らしいから、しっかり働くけど。
「――アルミスー、扉を開けてー」
「はーい」
外から聞こえた筆を置いて席を立つ。
彼女の声に応えるのは特別司祭の最重要の仕事だ。それがただ扉を開けることだとしても、他の仕事は些事となる。
「やっぱり、家の一部と湖、繋げた方がいいんじゃないですか?」
外開きのドアを開けながら、僕は人と何ら変わりない見た目の――強いて特徴的な部分を挙げるなら透き通った蒼い髪だろうか――女性にそう提案する。
すると決まって女性は、両腕で溢れんほどの魚を水ごと持ったまま、首を横に振って口を開く。
「駄目よ。折角の聖域が腐りやすくなるわ」
「ただの木造の家に聖域とまでつけられると聞いてるこっちがむず痒くなってきますけど……」
それにあなた、いくら人と姿かたちは同じだからって、構成要素水オンリーですよね? まあそこまでは言わないけれども。痛い目は一度見れば十分だ。
「それより、今日と明日の朝分のお魚、取って来たわよ」
「ありがとうございます。タニア様」
「様はいらない、って言ってるでしょ? ――ああ、お風呂に入るから、扉、開けて」
「かしこまりました」
「敬語も禁止、でしょ?」
「はい。ごめんなさい」
「及第点」
外から帰って来た女性――タニアさんの言葉通り、僕は脱衣所の扉を開ける。
敬語は――うん。報告書を書いてたから仕方ない、と思いたい。癖になっているのか、このやり取りは毎日してる気がする。コレだけは治りそうにないなぁ。
なお何故彼女が開けないのか……傍から見られればそう言われること間違いない。
これには大きな理由がある。繰り返すようだけど、彼女を構成する物質は水だけなのだ。
勘が良い人ならもうわかるだろう。タニアさんは扉を開けられないし、物を持つことも出来ない。要は《筋力と呼ばれる物が一切ないのだ》》。
なぜそうなのか、僕は知らない。理由はいくらでも想像できるし、それが真実かどうか、僕が知る気はない。興味ないのかと問われるとあると答えるけれど……神様とはいえ筋力なしでどう立ってるのなんて日常茶飯事のように思ってるし本当にないわけではないのだけど、タニアさん自身がその話をしないから、僕も聞かないようにししてるだけなのだ。責任転嫁と云うなかれ。
タニアさんがお風呂に入っている間に、僕は魚を調理する。今日は無難に焼き魚にでもしようかなあ。
特別司祭になってここで暮らすようになってからお魚を食べない日は一日もなかった。お陰で嫌でも魚をさばく技量は上がったし、料理のレパートリーも増えた気がする。
まあ食べるの僕だけなんですけどね。タニアさんは実は食事も睡眠も必要ないんだとか。それでも一緒に食事するのはタニア様が生活する上で必ず守ることとして決めたことだから。どうも彼女は人間の生活を疑似的にでも体験したいよう。
ただまあ――
『アルミスー、上がったから扉開けてー』
「きちんと服は着ましたー?」
『着ましたー』
――神様の感覚があるせいか、ヒトの感性とすこし離れてるところは、どうにかしてもらいたいなぁ。
これまでにあった幾つかの事件を思い出すと共にそう考えながら、僕はいい感じに焼けたお魚をお皿に乗せて、タニアさんの生活を補佐するために扉を開けた。
女神様の生活補助係 束白心吏 @ShiYu050766
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