筋肉でおこせよムーブメント

水乃 素直

筋肉でおこせよムーブメント

 世の中にはたくさんの手段がある。

 それは、仕事でも筋トレでもそうだ。全ての手段は、一つの真理に近づくのだ。

 私がまだ、筋肉を手にしていなかった時の話をしよう。



      ******



 私は働き始めたばかりのサラリーマンで、何か特別な能力もなく、知識もなく、経験もない。

 研修の後は、営業部にいたのだが、半年が経過した時、新事業推進部に大抜擢された。私の成績はそんなに良くなかったが……。

 しかしながら、せっかくのチャンスを無駄にしてはいけない。まぁ、才能のある私のことだから、人事は全て知っていたに違いない。

 ともかく異動した先でも頑張ってみよう。

 事務所の一室に掲げられた『新事業推進部』。ずいぶん狭い部屋に机や仕事道具が押し込まれているように見えた。

「おはようございます!」

 挨拶は誰も返さなかった。

 目つきが鋭い、小太りの新事業推進部長が、こちらを一瞥し、鼻を鳴らして、机の上に広げた新聞に視線を落とした。



 ……この部長、実は支店の営業所の所長だったらしいのだが、パワハラが原因で職員が何人を辞めたらしく、色々あって新事業推進部に来たらしいのだ。

 人事の人曰く「いや〜、能力は優秀な人だから」とのこと。

 他にも新事業推進部には、3人いる。しかし、3人とも、目の奥の光が失われ、机に座ってずっとパソコンの画面を見ていた。こちらに気づいてる様子は無い。

 私は、ここで頑張るのだ!



      ******



 それから3ヶ月後のある昼下がり。

「おい! お前! こっち来い!」

 いきなり呼び出されたが、いつものことだ。

「は、はい。なんでしょう」

「なんでしょうもあるか! 自分で考えろ!」

 いつものパワハラだ。何に対して怒っているか分からない。私はいつもの謝罪をして、いつものとおり時間が過ぎていった。叱られた内容は、覚えていなかった。話など聞いても意味がないからだ。

 3ヶ月間ずっとこの調子。ひたすら怒鳴られ、バインダーや書類を投げつけられ、私の自尊心を傷つけた。

 そして、とうとう私もそろそろ限界が来ていた。

 くそ、なんでこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。


 ……よし、今日こそは、今日こそは言うぞ。

「あ、あの、お言葉ですが…」

「うるさい! お前の話は聞いてない!」

 一瞬で封じられてしまった。


 ふと、オフィスに置いてある鏡に目が入った。私の身体。細い線で、ヒョロヒョロで、風が吹けば飛ばされてしまいそうな身体。

 ……もしかして、私の身体が原因なのかもしれない。鍛えれば、私はガツンと言い返せるかも!



      ******



 そして、私はジムに通うことにした。

 まずは「BIG3ビッグスリー」と呼ばれる筋肉から鍛えよう。スクワット、デッドリフト、ベンチプレス。

 筋肉にストレスを与え、少しずつ鍛えていく。

 次の日、体はきつくなる。筋肉痛だ。それでも鍛錬は怠らない。

 食生活も気をつけよう。とにかく筋トレ。

 筋肥大だ、この未来は、世界中を筋肉に変えて仕舞えば良い。

 俺は努力して、未来を、美しい星のようになるんだ!

  --それから3ヶ月が経った。

 見事な上腕二頭筋。見事な僧帽筋。見事な広背筋、大臀筋…etc.「BIG3」を鍛えまくり、最強の身体を手に入れたのだ。

 私はもう最強なのだ。部長を倒せる。



      ******



 新事業推進部にて。

「部長、話があります。俺、この職場には耐えられません」

「ん? なんだお前…?」

「部長には、この場で退職していただきます!」

「!? 俺を馬鹿にしてるのか!」

 怒りに任せた小太りの部長の右ストレートを俺は冷静に左手で受け止めた。

「な、なに!」

「こんなものですか、部長」

 突然の私の変化に驚き、思わず後ずさる部長。左手が机の上のコップに触れ、

「良い加減にしろ!」

とコップを投げつけた。しかし、

「フッ、そんなもの大したものじゃないな」

 時速150キロ(推定)で飛んできたマグカップを私はやすやすと受け止めた。手を離すとマグカップが粉々になり、下に落ちた。

「ひ、ひぃ!」

 部長は慌てふためき、逃げ出した。

「これが、これが力か…! 筋肉の力だ!」

 私は椅子を投げつけ、パワハラ部長の動きを止め、部長ごと窓から投げ捨てた。部長は退職した。

 この時、私はこの新事業推進部のトップになったのだ。

 どうすればこのようになれるのかって?

 簡単な話だ。「BIG3」を心に刻むのだ。



      ******



 --数年後。道場に変わり果てた新事業推進部にて。

 身体の細い部下は、私に向かって質問をした。

「主は『筋肉をつけろ』とおっしゃったのですか、それとも『筋肉を鍛えろ』とおっしゃったのですか?」

 私は経典に基づき答えた。

「筋肉をつけるのではない。筋肉を鍛えることこそが至上の命題である」

 ひょろひょろの身体をした信者たちが私に向けて、座り込み手を合わせ、頭を深々と下げた。

 太った別の信者が問うた。

「経典にある『全ての筋トレは2セット』と書いてありますが、本来は『3セット』の間違いでは?」

「2セットだ」

「それはなぜですか?」

 私は目をかっと開いた。

「信仰に『なぜか?』という問いはあってはならない。お前は教祖である私を疑うのか?」

 太った信者が狼狽えた。

「い、いえ、それは」

「お前には、信仰が足りない。精神が弱い。腕立て伏せ100回だ」

「申し訳ございません! 一! 二! 三!」

 男はその場で腕立て伏せを始めた。

 時計を見ると唱和の時間だ。

 信者たちが目を瞑りながら一斉に唱えた。


「「ベンチプレー、クワート、ダードリフト」」


「「ベンチプレー、クワート、ダードリフト」」


 世の中にはたくさんの手段がある。

 それは、仕事でも筋トレでもそうだ。全ての手段は、一つの真理に近づくのだ。

 私が筋肉を、真理を手にしたのである。

 さぁ、唱えることとしよう。



      ******



 この会社は、コンプラ的に炎上し、まもなく倒産した。





【参考文献】

「筋トレ 動き方・効かせ方パーフェクト事典」

 監修者 石井直方 著者 荒川裕志

 発行 株式会社ナツメ社

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