お題『筋肉』

腹音鳴らし

『力のあとに残るもの』

 生物の運動器官である筋肉は、収縮によって力を発生させている。


 話を始める前に、断っておくことがある。

 以下に記す内容について、私は何も保証しない。これを読む者へのいたわりや、気分の高揚を狙ったプロットや配慮などを一切排除した、ただの独白である。


 ありふれたサラリーマン家庭の長子として生を受けた私には、三人の弟妹がいた。 

成人するまでに両親が離婚したわけでもなく、また、家に隙間風が吹き込むほどの貧困でもない。まさに私は、どこにでもある家族の一構成員にすぎなかった。


 ただし、私という人間に両親が施した教育は、今を以てしても常軌を逸していた。

 家庭内での待遇や要求においては、他の兄弟との徹底的な差別化が行われ、その事に対する不平不満の発言および思考は禁止。反抗的な兆候が見られた場合には罰が与えられ、無論要求値を下回る成果にも、必ず罰が与えられた。


 他人が感じるストレスを察する私の能力は、人生の早期に養われた。しかし、前述のような事情から、私が両親の機嫌を損ねることなく会話ができるようになるまでには、膨大な時間を必要とした。


 たとえば中学の頃、仕事帰りの父にアルコールを仕込み、奇跡的に会話が成立した事がある。

 拳以外のアクションが自分に向けられるのは久しぶりだったので、私はこの機会を逃すまいと、父へ問うた。


 何故、私の扱いは他の弟妹とは違うのか、と。


 父は赤ら顔で陽気に笑った。


「お前は弱い人間だな、本当に俺の息子か? いいか、周りの人間が悪いわけじゃない。すべてお前が悪い。長男のくせに、期待に応えられないお前が悪い。弱いお前が、すべて悪い」


 会話はそれで打ち切られ、父の口は缶ビールの相手を再開した。

 無駄話に気付いた母は私に勉強を命じたが、机に向かうのが遅れたため家の外へ締め出された。弟妹はそんな私の後ろ姿を楽しげに眺めつつ、あたたかな食事を貪っていた。いつものことだった。


 その後も様々な出来事があったものの、私の扱いはそのままだった。


……今にして思えば、このようなイベントの積み重ねは、ある種の筋トレのようなものだったのだろう。私に与えられたすべてのストレスは、いずれこの体が凶悪な力を発揮するための、訓練課程に過ぎなかった。


 しばらくして、私の脳に記録された映像や音声は、暗転とノイズを繰り返すようになる。特定の物事を思い出そうとするとき、それらは白黒映画のように面白可笑しく私を楽しませた。


 ただし、私の中のあらゆる筋肉は、常に力の矛先を探し続けていた。なるだけ善行はこなしてきたつもりだが、私には思い出せないほどの悪行もあっただろう。張り詰めた筋肉がやっと脱力を覚える頃、私に何かを命令する者は誰もいなくなっていた。


 両親は健在である。弟妹も生きている。顔を会わせればちゃんと笑える。


 要求された内容も、与えられた罰も、すでに遠い過去のことである。多くの人間が過去を風化させるが、これは人間の脳が都合よく出来ていて、実生活を守るために大抵の記憶を希釈するからだ。


 ゆえに私は、己の中にあるものが真水に変わるのを、今も静かに待っている。


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お題『筋肉』 腹音鳴らし @Yumewokakeru

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