第2話 プロフェッショナル達

全く、信じられない。

私がそんなこと言われるなんて。


私、先崎玲子は総合病院に勤めている外科医だ。

中堅と呼ばれる年代になってきて、大きな手術も任せてもらえるようになった。

私は腕に自信があった。

医師という仕事に誇りを持っていた。

誰よりも勉強して、どんな小さな手術や処置であっても、誰よりも熱心に取り組んできた。

腕の良さは、患者に安心感を与えられる。そう思っていた。




「安西さん、主治医の先生を変えてくださいとおっしゃられて・・・。」

「はぁ!?なんで!?」


今日の夕方。

午後1件目にオペした患者のバイタルも安定しており、よしよし、帰ろうと思っていたその時、病棟師長に呼び出され、信じられない言葉を投げられた。


「その・・・先生は話を聞いてくださらないからと・・・。」

「・・・。」


安西さんは明後日手術をする予定で入院してきた60代の男性だった。気が弱そうで、とてもそんなことを言ってくるような人だとは思えない。

確かに、回診の時に私は痛がりだからどうこうとゴニョゴニョ言っていた気がするが。


「外科部長に相談して、安西さんの主治医は阿部先生になりましたので、申し訳ありませんがよろしくお願い致します。」

「あっそ。じゃあそれでいいんじゃない?じゃ、私帰りますから。」

私は踵を返し、ナースステーションを去った。


阿部は私の後輩の医師で、体が細長くていつもヘラヘラしている男だ。

正直私から見ても手術の腕が良いとは言えない。

そんな男に取って変わられるなんて。

私は怒りが収まらなかった。


病院を出て、まっすぐ家に帰る気にはならなかった。

そうだ。いつも買っている外科医師向けの月刊誌と、読みたかった本が昨日発売になっているはず。

玲子は、ここら辺では大きめの本屋である有隣堂へ向かうことにし、その後赤レンガ倉庫でも寄って気分転換して帰ろう。そう考えながら電車に乗った。



「あったあった。」

玲子は月刊誌と本を手に取り、レジへ向かった。

購入後、有隣堂を出ると既に辺りは薄暗くなっており、街灯がキラキラと華やかに横浜の街を彩っていた。


イラついた時は美味しいものを食べるのに限る。

玲子はお気に入りのイタリアンを食べに行こうかな、と考えながらスマホを見ていると、キラキラした街に似つかない、甘じょっぱい匂いが漂ってきた。


「うわ・・・。いい匂い。」

玲子の脳が欲していた料理がイタリアンから居酒屋へ瞬時に切り替わった。

今日のオペ患は阿部に任せてきているし、一杯飲んでやろう。

「たまにはこういうのもいっか。」


〝居酒屋仏五郎 営業中〟


ガラガラと引き戸を開けると、こぢんまりとしたカウンターの奥に、2人の男女が座っていた。

そして、なんと奥からミミズクが出て来たのだ。


「はぁ!?あ、やっぱ私帰ります・・・。」

「ちょっとちょっとお客さぁん!せっかく来たんだから!!」


ミミズクはバタバタと羽を動かし、

「ちゃんと保健所通ってるからぁ!」とゴリ押ししてきた。

保健所通ってるならしょうがない。

今日は昼もぶっ続けでオペをしていて、お昼ご飯なんて食べる余裕がなかったため、玲子の胃は早急に美味しい食べ物を欲していた。



「店主のブッコローでぇす!お客さん、すげー美人っすね!お通し、ちょっとサービスっすよ!」

このミミズクはブッコローというらしい。ひょうきんな動きでお通しのカリカリに焼いたベーコンの入った山盛りポテトサラダを私に差し出した。



カウンターの奥では2人の男女(特に女の方)がやたらと盛り上がっていた。

「私、情熱大陸に出るのが夢ですよ!ブックカバーかけで!あはは!」

どうやらこの2人は書店員らしい。

向かいにある有隣堂の書店員なのだろうか、ブックカバーを早く上手にかけるにはどうしたらいいのか、熱く語っていた。



そんなことはさておき、お通しのポテトサラダの塩味がとても程よく、いつもあまり飲まないのにビールがよく進んだ。


「いやでも雅代姉さん、テレビに引っ張りだこっしょ!?情熱大陸いけるって!細川さんも雑誌の紐かけで一緒に出ちゃいましょうよ!」


「うわぁ〜、楽しそうですね!」


店主のブッコローとやたらテンションの高い女が無我夢中で楽しそうに話している。眼鏡の男の方は2人(1羽?)を微笑ましい目で見ていた。



「お客さん、聞いてくださいよ!雅代姉さんはね、ブックカバーかけのプロフェッショナルなんすよ!こっちの細川さんは雑誌の紐かけのプロフェッショナルなの!すごいっしょ!めっちゃ早いのよ!」


「へぇー、そうなんですか。」


ブッコローがくるっと体ごと私の方へ向きを変え、やや興奮気味に話しかけてきた。


プロフェッショナル?

笑わせないでよ。

人の命を預かってる私とあんなヘラヘラしてる書店員、

プロフェッショナルと呼ばれていいのは私の方に決まってる。


「お客さん、なんのお仕事されてるんすか?」


「・・・医者ですけど」


「えぇー!?マジっすか!すごいっすね!」


「わぁ!お医者さんですか!何科?何科?」


ブッコローと私との間に雅代姉さんと呼ばれる女が割って入ってくる。

このテンションの高さ、相当酒を飲んでいるに違いない。


「お医者さんも、医療のプロフェッショナルですよね。」


眼鏡の男がハイボールのグラスをカラカラと鳴らしながら話しかけてきた。



「・・・一緒にしないでください。私は人の命預かってるんですよ。」


酔っているからか、今日のモヤモヤが晴れないからか、気づいたらそのまま思ったことを口にしていた。

でも本当のことだ。私は自分の職業に誇りを持っているからこそ、いい気がしなかった。

店内がしん、と静まり店主が煮ている煮物の音だけがグツグツと音を立てている。


あぁ、もう帰ろう。

そう思った瞬間、


「ごめんごめんお姉さん!そうだよね!でも、私たちもお客さんのことすごく考えて働いてるのよ!私たち、ただの書店員かもしれないけど、誇りを持って働いてるよ!だからさぁ、そういう意味ではプロフェッショナルってことにしといてくんない!?」


雅代姉さんと呼ばれる女がバンバンと私の肩を叩きながら笑っている。


「お客さんの生活に身近な本や雑誌を大切に守るために、私たちの仕事は大切なことだと思ってますよ。あ、まぁ俺は紐かけが面白いから極めたいなって思っただけですけどね。」


眼鏡の男も椅子に座ったまま、ニンマリと笑っている。



そういえば今日買った雑誌、綺麗に紐かけされていた。

店員さんは丁寧に本にカバーをかけてくれていたことを思い出した。



「クゥ〜2人ともいいこと言うねぇ〜!じゃあ3人のプロフェッショナル達にビールでも奢っちゃおうかな!」


ブッコローがデカい目を閉じながら、腕組み(羽組み?)して言った。




あぁ、私はなんてちっぽけな人間なんだ。

自分ばかり頑張っていると勘違いして。

見知らぬ人に当たってしまったのに、なんでこの人達はこんなにも優しいんだろう。


「・・・すみませんでした。私、勘違いしてたみたいです。」


「そんなことないって!そんだけ自分の仕事に誇りを持ってたってことでしょ!はい、ビール!」

ブッコローがひょうきんな動きでビールを差し出してきた。


「あ、ブッコロー!私飲めないからビールじゃなくてジンジャエールね!」

「はいはい!」



どうやら雅代姉さんはシラフだったらしい。

だとしたらすごいテンションだな、と思った。

でも、嫌いじゃない。


「お互い明日からまた頑張りましょうってことで。」

細川さんがビールのジョッキを掲げ、全員で目配せし、カチンと鳴らした。




明日、安西さんと師長へ謝りに行こう。

そして、また有隣堂に本を買いにこようと思った。

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居酒屋仏五郎 お茶の間のデンキウナギ犬 @keinueno

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