第3話
——翌日。この日は職員会議があるとかでどの部活も休みもだった。
帰りの会も終わり、生徒たちはぞろぞろと帰路に着いた。私は人々の流れを見つめながら、正門近くの木に寄りかかっていた。桜が半分ほど咲いたその木からは時折花びらがひらひらと舞い落ち、紺色のブレザーにアクセントを加える。3月のなめらかで暖かい風がふわつく私の心をそっと撫でていった。ふと眠気がこみあげ、小さくあくびをする。
「ごめん。待たせちゃったね」
ふいに声をかけられ、私は思わず舌を噛みそうになった。横を見ると、絹川くんがはにかんだ笑顔で立っていた。
「ううん。大丈夫だよ」
私はドキドキ鳴る心臓の音を感じながら、なるべくいつもの私と変わらないように振る舞った。
「それじゃ、行こっか」
「うん」
私たちは正門を通り抜け、目的の魚島山へと向かった。道中の町並みは既に見慣れているはずなのに、不思議と新鮮さを覚えた。
10分ほど歩いたところで魚島山の麓に到着した。『山』という名前がついてはいるが、実のところ、とても小ぶりで道も整備されていることから、数分もあれば登り切ることができる。しかし、頂上からは町を軽く一望することができ、この辺りでは隠れた名スポットとして知られているのだ。
私たちは軽々しく頂上まで登ると、ベンチに腰掛け、ミニチュアのように小さく見える町を眺めた。ここは緑に覆われており、春風もとても心地よかった。私たちはしばらく、景色や学校についてのたわいもない話に花を咲かせた。
(ずっと、こうしていられたらいいのにな)
絹川くんと二人っきりで新緑の風を浴びながら談笑する。その幸せが心にゆとりをもたらした。
ふと、視界がぐらっと歪んだような気がした。最初は気のせいだと思ったが、だんだん歪みが大きくなってくる。それと同時に、強い眠気も襲ってきた。
(なんでだろう。すごく、眠い。けど、なんだか、すごく気持ち良い)
周りの景色がゆっくりと歪んでいくなか、絹川くんの姿だけははっきりと捉えていた。彼が楽しそうに話しているのを見ながら、私のまぶたは徐々に徐々に重くなり、ゆっくりと落ちていった。
*********************
「んっ……」
私はあくびをかみ殺しながらそっと目を開いた。見慣れた町は黄金色に染まり、麓からは車やバイクのせわしなく走る音が微かに聞こえてくる。どうやらまたベンチでうたた寝をしていたようだ。
「起きたかい、咲希」
私は声のする方に目を向けた。すると、パシャリ、とスマホのカメラの音が鳴った。急な出来事に私がキョトンとしていると、その人はスマホを降ろし、いたずらっぽく微笑んだ。
「ししっ、寝起きの顔ゲット~♪」
「あ!ちょ、もう、翔くん何撮って――」
私がほっぺたを膨らましながら彼のスマホを取ろうとすると、彼は慌てて自分の人差し指を唇に当てた。それを見て私も急いで口を手で覆う。そして、そのままベンチの手前の方にそっと視線を移した。
そこには新品のベビーカーがひとつ置いてあり、中では赤ちゃんがすやすやと寝息をたてていた。その様子を見て、私たちは胸をなで下ろした。
「そろそろ帰ろっか」
「そうだね、帰ろう」
赤ちゃんを起こさないようにベビーカーをゆっくり押しながら、私たちは思い出のベンチを後にした。
今日は3月14日。世間ではホワイトデーとして親しまれている。そして、この日は私たちにとって、思い出のつまった大事な記念日でもある。
思い出のホワイトデー 杉野みくや @yakumi_maru
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