MMM・マスト・ダイ

鳥辺野九

戦え、MMM!


「チカラこそっ、パワーッ!」


 わかってる。そんなの。嫌というほどに。


「マックス・マッスル・マムート!」


 筋肉は巨獣の咆哮。荒ぶる野生。破壊する理性。筋肉の収縮により発生した波動はマンモスのよう。剛毛に覆われた長い鼻で僕たち悪役モブを薙ぎ払う。一溜りもない。


「シックスパック・スパイラル・レーザー!」


 筋肉は鋭利な光の刃物。無知の科学。残忍な結果論。煌めきの筋肉から放たれる六本の光の束は左ねじれの螺旋を描く。空気分子さえも分断する光線は僕たち悪役モブをバラバラに切り刻む。これでは筋肉という名の虐殺だ。


「パワー・ボルケーノ!」


 破裂の火山は地球の筋肉。地球最大のパワー。溶岩は美しき筋肉汁。滅びの象徴。えも言われる破滅。僕たち悪役モブに抗う術はすでになし。笑ってしまうほど圧倒的暴力。彼こそ暴君筋肉だ。いや、筋肉暴君か。

 『力こそパワー』を体現する正義のヒーロー、その名もマックスマッスルマン。MMMと呼ばれている。

 肉ダルマのごとき筋肉に手足が生えたような男は、いやむしろ筋肉は、ピチピチタイツにブーメランビキニパンツ、真っ赤なマントをひるがえし、仮面舞踏会によく似合う蝶を模したパピヨンマスクを強張った笑顔に貼り付けて、フロントダブルバイセップスのポーズで仁王立ちした。上半身は裸。彼には筋肉がある。コスチュームなど不要だ。


「どうした、悪の組織諸君! そんな根性では筋肉も泣いているぞ!」


 筋肉の爆流の前に、僕たち悪の組織イビル・ニビルの下級構成員たちは無様にくたばるしかない。

 誰が彼をヒーローと呼ぶ? 娯楽に飢えた一般市民? 陰謀好きな軍関係政治家? 歪な拳を振りかざすマスコミ? いいや、僕らだ。悪の組織である僕たちに仇なす存在だから相対的に正義のヒーローと称されているにすぎない。

 MMMこと正義の筋肉は傍若無人なまでに筋トレを強要するただの筋肉好き男だ。

 悪の組織イビル・ニビルと筋肉大好きMMMがたまたま同じ時間同じ場所に存在したってだけだ。戦争の理由なんてそんなものさ。僕たちモブは歴史という時間に抵抗する運命なんて持ち合わせていない。モブはモブらしく主役を引き立てるだけ。


「モブモブ! こいつには敵わない! 逃げて!」


 モブ奈ちゃんが叫んだ。

 身体のラインがぴっちり見える全身タイツがよく似合う僕の幼馴染だ。この戦いが終わったら、僕は彼女に……。

 モブ奈ちゃんはきりっと勇ましく、しかし無謀にもMMMの前に立ちはだかった。

 ダメだ。それはいけない、モブ奈ちゃん。僕らモブは目立つ行動をしてはいけないんだ。

 MMMは情けも容赦もない完全筋肉体だ。それを見過ごすわけがない。


「雑魚モブがイキってんじゃねえ」


 誰にも聞こえない健全なる筋肉ヒーローの囁き。それは僕の耳にだけ届いた。ヒーローが何を言っているんだ。モブ奈ちゃん、逃げ──。

 MMMはフロントラットスプレッドのポーズを取った。逆三角形の惚れ惚れする人体。まるで東京ビッグサイトを胸に抱いてるかのよう。

 上空に一筋の飛行機雲。真っ白い昼間の月に重なろうとしている。破壊されたカフェのオープンテラスに一匹の白い猫。亀裂が入った琥珀のような瞳で僕を見つける。艶かしいラインを描くモブ奈ちゃんの全身タイツはぴっちりと揺れず、MMMの大胸筋がかすかに揺れた。

 一瞬で張り裂ける全身タイツとモブ奈ちゃんの身体。

 ゲームコントローラーの攻撃ボタンを軽くポチッと押すような簡単なパンチ一発でモブ奈ちゃんの身体は弾けて消えた。

 彼女は跡形も残らなかった。


「ちっ。パワーゲージも溜まらねえな」


 モブ奈ちゃんがいた場所に星のかけらが散らばる。MMMは息を吸い込むみたいに当たり前に回収して舌打ちした。

 パワーゲージが溜まれば筋肉必殺技を使えるようになる。だが、モブ一人分の星のかけらじゃ筋肉は温まりもしない。


「痛っ」


 MMMの側頭部に瓦礫がぶつかった。

 気が付けば、僕は瓦礫を握りしめて、MMMに投げていた。


「油断したよ。ハートが一つ減っちゃったじゃないか」


 瓦礫のかけらだろうと、悪の組織幹部モンスターさんの必殺技だろうと、一発は一発だ。どんなに堅牢な筋肉を誇ろうと、MMMは二回攻撃を喰らえばミスに繋がる。MMMは倒れる。モブである僕の貧弱な攻撃だろうと、二回当てさえすれば……!


「モブ奈ちゃんを返せ!」


 次の瓦礫を投擲攻撃しようと振りかぶった瞬間、MMMの荒ぶる上腕二頭筋が繰り出すパンチが僕の胸を貫いた。


「知らねえよ」


 MMMの声が朧げに聞こえた。

 ああ、終わった。僕はあっけなく観念した。モブの人生が終わる時なんてこんなもんさ。ごめん、モブ奈ちゃん。

 身体の力が消えていく。僕も星のかけらになるんだ。MMMに吸収されてパワーゲージを増やすのは癪だけど、モブ奈ちゃんと一緒になれるのなら、何だか消えるのも怖くはない。できれば、別の形で、モブ奈ちゃんとひとつに、なりた、かっ……、た。




 僕が最期に見た光景は、ようやく戦闘の場に舞い降りた幹部モンスターさんがMMMに一撃喰らわせて、MMMがもんどりうって倒れるシーンだった。モブである僕の投じた一石が、決して無駄ではなかったというわけだ。やったよ。僕はやってやったよ、モブ奈ちゃん。




「チカラこそっ、パワーッ!」


 何が、起きた?

 わかってる。そんなの。嫌というほどに。MMMの決め台詞だ。わかってる。


「マックス・マッスル・マムート!」


 筋肉は巨獣の咆哮。荒ぶる野生。破壊する理性。

 僕は生きている。MMMの筋肉も眩しく輝いている。モブ奈ちゃんも、まだ、生きている。何が起きているんだ。


「シックスパック・スパイラル・レーザー!」


 筋肉は鋭利な光の刃物。無知の科学。残忍な結果論。筋肉という名の虐殺が始まった。

 これは、この光景は前に見たことがある。僕が死ぬ前だ。モブ奈ちゃんを失う前だ。


「パワー・ボルケーノ!」


 破裂の火山は地球の筋肉。地球最大のパワー。溶岩は美しき筋肉汁。滅びの象徴。えも言われる破滅。筋肉暴君の笑ってしまうほどの圧倒的暴力が僕たち悪の組織モブに襲いかかる。時間だ。時間が巻き戻ったんだ。

 MMMが倒れる前、僕が死ぬ前、モブ奈ちゃんが死ぬ前に!

 空を見上げる。一筋の飛行機雲はまだ昼間の白い月にかかっていない。破壊されたカフェのテラスに佇む白い猫も琥珀色した瞳でまだ僕を見ていない。


「どうした、悪の組織諸君! そんな根性では筋肉も泣いているぞ!」


 MMMの筋肉がまたモブ奈ちゃんを狙う。死なせるものか。モブ奈ちゃんを再び失ってたまるか。


「モブモブ! こいつには敵わない! 逃げて!」


 モブ奈ちゃんが健気にもMMMの前に立ちはだかる。MMMは不敵な笑みを浮かべてフロントラットスプレッドのポーズを取った。美しき逆三角形の虐殺が始まろうとしている。

 上空に一筋の飛行機雲。真っ白い昼間の月に重なろうとしている。破壊されたカフェのオープンテラスに一匹の白い猫。亀裂が入った琥珀のような瞳で僕を見つける。今だ。MMMは油断しきっている。今しかない。

 僕は咄嗟に鋭い瓦礫を一個拾い上げ、MMMへ投げつけた。


「痛っ」


 MMMの側頭部に瓦礫がぶつかった。


「モブ奈ちゃん! 逃げるんだ!」


「モブモブ! あなたこそ逃げて!」


 僕とモブ奈ちゃんは同時に叫んだ。どうすればいいのかわからず、二人とも動けないでいた。情けない。せっかく獲得できたチャンスをみすみす見逃すのか。


「ハートが一つ減っちゃったじゃないか。油断したよ」


 フロントラットスプレッドのポーズから滑らかにサイドトライセップスのポーズへと移行する。


「逃すかよ」


 ギチギチと金属を捻じ切るような音が聞こえる。


「モブ奈ちゃん!」


「モブモブ!」


 僕たちには僅かな時間さえ残されていなかった。


「ストレングス・イズ・パワーッ!」


 より近くに立っていたモブ奈ちゃんは筋肉衝撃波の直撃を食らった。バラバラに弾ける全身タイツとモブ奈ちゃんの肉体。

 僕も吹き飛ばされる。もはや何も感じられない。どこに飛ばされたか。何にぶつかったか。何故空が真っ赤に滲んでいるか。何故空が斜めに傾いているのか。何故、何も感じないのか。

 赤く滲む空を何かが横切った。幹部モンスターさんだ。大技を放った直後のMMMの隙を突くのだろう。

 視界の隅っこで幹部モンスターさんが爆ぜるのが見えた。崩れ落ちるMMMの筋肉も見えた。相討ち、か。

 音も聞こえない。風も感じない。終わったのか。終わったんだな。

 やはり僕はモブだ。ただのモブだ。時間が巻き戻ったというのに、一度何が起こったのか知っていたのに、モブ奈ちゃんを救うこともMMMを倒すこともできなかった。

 モブはモブらしく、惨たらしく死ぬだけか。

 ふと、赤く滲む空に信じられない文字が見えた。


 continue?

 →Yes.

  No.


 ヒーローの特権だ。噂に聞いたことがある。正義のヒーローは、たとえ敗れた戦いでも途中から時間を巻き戻してやり直すことができる。くそっ。こんなのってあるか。僕は再びモブ奈ちゃんが砕け散るのを目の前で見なければならないのか。

 Yesが選ばれた。




「チカラこそっ、パワーッ!」


 わかってる。嫌というほどにわかってる。


「マックス・マッスル・マムート!」


 筋肉は巨獣の咆哮。荒ぶる野生。破壊する理性。

 やるしかない。やるしかないんだ。


「シックスパック・スパイラル・レーザー!」


 筋肉は鋭利な光の刃物。無知の科学。残忍な結果論。筋肉という名の虐殺が始まる。

 たとえモブ奈ちゃんの死を目の前で見続けることになろうとも。


「パワー・ボルケーノ!」


 破裂の火山は地球の筋肉。地球最大のパワー。溶岩は美しき筋肉汁。滅びの象徴。えも言われる破滅。筋肉の暴君が降臨する。

 MMMを一撃で倒すのは僕には不可能だ。だが、一発だけ傷をつけることはできる。あとは幹部モンスターさんの一撃に頼ろう。

 そうすればMMMは倒れ、コンティニュー画面でYesが選択され、時間が巻き戻る。モブ奈ちゃんの死もキャンセルされる。

 何度僕の死を繰り返してでも、何度モブ奈ちゃんの死を目の当たりにしてでも、永遠に近い時間を消費すれば、いつかはMMMに二発食らわせてやることができるかもしれない。

 やってやる。

 やってやるよ!

 上空に一筋の飛行機雲。真っ白い昼間の月に重なろうとしている。破壊されたカフェのオープンテラスに一匹の白い猫。亀裂が入った琥珀のような瞳で僕を見つける。

 何度でも何度でも、繰り返し繰り返し、死んでも生き戻ってやる。モブ奈ちゃんのために!

 この戦いが終わったら、僕は彼女に……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

MMM・マスト・ダイ 鳥辺野九 @toribeno9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ