第3話 和子と雅美

                   *

                   

 和子はいつも娘の英会話教室の帰りに人気の少ない落ち着いたこのカフェでお茶とケーキにありつくのが日課になっていた。

 娘の雅美は不釣り合いな大人のソファーチェアにちょこんと座りながら、オレンジジュースをズルズルと音を立てながら飲んでいた。

 

 和子はふと周りを見渡した時、登山用のリュックを背負ったサラリーマン風の男がキョロキョロしながらトレイを持って席を探していた。なんとなく、その風貌がカフェの風景とアンマッチだったので視界に入っただけだった。


 そんなことより和子はコーヒーを飲みながら、昨日から元気がない雅美に視線を戻す。

 和子は弁当屋でパートをしていた。特にこれといって特別な学もなく、やりたいこともなかった和子は、名前もそうだが平凡な人生だった。そんな和子でも料理だけは好きで、弁当屋の仕事で看板メニューのおまかせ弁当を考えて作るのに生きがいを感じていた。お客さんの中でも何か楽しみにしているような人もいたりと、そこに生きがいを感じていた。


 しかし、職場には色々な人がいて、先輩の年配の方が和子にかなり強くあたってくる人で、パワハラじゃないの?って思いながらも、雅美の塾代を稼ぐため、中学に私学に行かせたいこともあって、職を失うわけにはいかなかった。

 帰宅する頃には、仕事の疲れと心労で愛想笑いも頬の肉が疲れて奇怪な空気を醸すほどだった。

 

 そんな和子にとって娘の雅美と過ごす時間は大切なものだった。底抜けに明るく、帰ると玄関まで走ってきてまるでご主人様に甘えるペットのように抱きついてくる。そしてその日学校であったこと、お友達と遊んだことなどずっと話してくれる。和子にとって雅美が寝る時間までの間が、その日頑張った自分へのご褒美になっていた。


 それなのに昨日から何か元気がなかった。


「雅ちゃん、今日の英会話どうだった? 楽しかった?」


「うん、ジュリー先生がね、トランプゲームでズルしたんだよ?雅美、いけないんだぁ!って言ったの! 日本語で……」


——————やっぱり、なんか、どこか元気ないなぁ……


「あははは、頑張って英語話そうよ、雅ちゃん」


「うん……」


 雅美は苦笑いを浮かべてオレンジジュースに手を伸ばす。

 やはりどこか上の空な感じで無理しているところが見え見えだった。そんなことを話したんじゃない!って雅美が必死に訴えかけているように和子は感じていた。

 和子はなんでも雅美が話してくれていたので、話したいのに話そうとしないのがショックでもあった。

 雅美は小学校一年生。それでも学校という別社会で一人で生きている。先生に怒られたり、お友達と喧嘩したり、他愛も無い事が今の雅美には大事なんだと、だから和子は親が口を出すことは避けたかった。

 

 自分がしゃしゃりでてはそれだけ雅美の成長の機会を失うことになると思っていたからだった。しかし、そんな理屈抜きでいつもの明るい雅美でいてほしかった。和子は禁を破ることにした。


「雅ちゃん、どうしたの? 昨日からなんか変よ。何か隠してるの?」


雅美はビクッとして和子の顔を見つめる。和子は雅美がなんでわかったの?って言っている気がした。


 雅美はオレンジジュースを見つめながら、和子の眼を見ようとしなかった。


「どうしたの?雅美ちゃん。話してごらんなさい」


和子は雅美に怒っていると勘違いされないように、笑みを作ってうつむき加減な雅美をわざと覗き込むような仕草をした。雅美の顔に少し笑みが戻り、和子に怒られはしないかと心配しながらではあったが、少しづつ語りはじめた……


それは小さな雅美にとって重すぎる試練だった……

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