【KAC20235】風と花が奏でるスイング

尾岡れき@猫部

それが何気ない一言だと分かっていたけれど――


「女子サッカー部の足の筋肉、見たか?」

「……ありえないくらい、すごいよね。そりゃ、強いワケだ」

「俺は、やっぱり、文系のお淑やかな子が好みだね」


 ジョギングで走っていると、そんな言葉が飛び込んできた。思わず、足が止まる。その手に持っているのは、楽器ケース。吹奏楽部のメンバーであることは間違いない。


風花ふうか?」

「……あ、なんでもない」


「いや、何でもないって顔じゃないよ」

「ちょ、ちょっと調子が悪いだけ。少し、休んでいく。メニューは、ちゃんとこなすから」

「ちょ、ちょっと、風花?」


 私は、チームメートから背を向けるように、走り出す。

 吹奏楽部のなかに、奏汰君の姿を見てしまった。

 楽しそうに、副部長と話をしている。

 当然だ。だって、奏汰君は吹奏楽部の部長なんだから。




 ――文系のお淑やかな子が好みだね。

 あの声がこびりつく。


 筋肉がついて、擦り傷だらけ。決して、綺麗とは言えない、そんな自分の足を見やりながら。私は、ますます情けない気持ちになっていく。


 ――なにを言っているのさ。サッカーのうまいヤツが、一番格好良いに決まってるじゃん。男も女もないでしょ?


 そうやって、笑ってくれた奏汰君はもういない。


 私がサッカーを辞めても、君なら続けていると思ったのに。視界がぼやける。どうしてこんなに感情が攪拌されてしまうのか、自分でもよく分からなかった。





■■■




 槙原奏汰さかきばらかなた君と、初めて出会ったのは小学校3年生の、地域のサッカークラブでだった。地域のプロサッカークラブ、サニーフレッシュ安芸が、少年少女にサッカーをより知ってもらおうと行っている、サッカーの普及活動の一環だった。


 ここで見定めた選手を、サニフレの下部チームにスカウトするという発掘目的もある。 奏汰君は、サッカーが下手だった。

 いや、他の男子もみんな下手だったが、奏汰君はナンバー1だったっと思う。

 でも、仕方ない。私はお兄ちゃん――サニーフレッシュの選手、荒井高広、通称アライさん――と、ずっとサッカーをしてきたのだ。今から始める子と一緒にされても困る。


(……本当に下手くそ)


 そう横目で見ながら、私は年上と練習をしていた。

 お兄ちゃんは、目を細めて奏汰君を見ていたことを、今でも憶えている。


 憧れの人を前にしての高揚感。どの子も先立つのは、そんな感情ばかり。でも、奏汰君は、一心不乱にお兄ちゃんに指導を思い出しながら、ボールを蹴っていた。


 ――練習が、苦にならないのは何よりも才能だよ。

 お兄ちゃんが、そう笑っていたことを思い出す。そして……。


『お前、女のクセに生意気なんだよ!』


 うまくボールを蹴れない男児ヤツが私に、突っかかってきた。私が無視をして、先輩と練習をしていると、ボールを私めがけて蹴ってきたのだ。


 私は蹴り返す余裕があったのだが、飛び出してきたのが奏汰君だった。

 その顔面に、したたかにボールが直撃して、グランドはしぃんと静まり返る。


 ――何、言っているのさ。サッカーのうまいヤツが、一番格好良いに決まってるじゃん。男も女もないでしょ?


 今でも、そう言ってくれたことを憶えている。いや、ウソだ。本当は忘れていた。お兄ちゃんのようなサッカー選手になる。ここでオママゴトなんかしていたくない。あの時の私は「ありがとう」も言わずに、そんなことを思っていたのだ。


 その感情そのものが、男児アイツらと一緒だって、まるで気づいていなかったんだ。


 サニフレの下部チームに入団して――愕然とした。


 私レベルの選手なんて、ザラにいるのだ。いや、お兄ちゃんはずっと前からそう言ってくれていた。だから、基本練習が大事だって、何度も何度も言われていたのに。結局、私はついていけなくなって、チームを辞めることになったのだった。





■■■





 高校に入った。女子サッカー部に入った。もう一度、サッカーを始められたことが嬉しくて。


 奏汰君と同じ学校だと知った時、どれほど興奮したことか。だって本当に嬉しかったんだ。


 彼なら、きっとサッカーを続けている。

 絶対に、そう思っていたのに。


 でも。彼が所属していたのは吹奏楽部で。

 彼はトランペット奏者だった。


 信じられなかった。


 周囲には、女の子がたくさんいる。

 私が、声をかける隙間なんて、まるでなかったんだ。








「――ッ」


 目が痛い。砂埃が目に入った。きっと、そのせいなんだ。講演のベンチに座って唇を噛む。

 転んで膝をすりむいた時のように。何度か転んで、体で覚えたら。きっと、この痛みに耐えられる。単純な問題で。ただ奏汰君と私は、歩む方向が違っただけなんだ。


 ――女子サッカー部の足の筋肉、見たか?

 ――ありえないくらい、すごいよね。そりゃ、強いワケだ

 ――俺は、やっぱり、文系のお淑やかな子が好みだね


 奏汰君もきっとそうなんだろう。自分だって、よく分かっている。可愛げなんかない。オシャレでもない。足だって、筋肉質で。擦り傷だらけ、ガサガサで。誰が、こんな自分に興味をもつって言うんだろう。


「あ、荒井さん?」


 奏汰君の声が聞こえる。どれだけ会いたいって思っていたんだろう。こうやって幻聴まで聞こえる程に。


 彼が楽しそうにボールを蹴っていたのが、瞼の裏に今も焼きついている。その笑顔が、他の女の子と笑い合っていた、あの時と重なってしまう。


「荒井さん?」


 分かってるよ。だって、奏汰君の声や、姿を見ただけで恥ずかしくなって。ガラにもないって、思うけど。正視できない自分がいるのだ。インターハイで彼ら吹奏楽部が――彼が演奏してくれた音楽が、今も鼓膜を震わすのだ。


「荒井さん――!」


 響き渡る声に、私は目を丸くした。あんなに話したくて、顔を見たかった槙原奏汰君と――それから、彼女さん。吹奏楽部の副部長さんが、心配そうに私を見ている。

 チクチクと胸を刺す、その痛みが止まらなかった。





■■■





「よくある交通事故で、さ。公園から飛び出たボールを追いかけたら、トラックに轢かれちゃったんだよね。残念ながら、異世界転生はしなかったんだけど」


 冗談めかして、奏汰君は笑うが、私は顔を引きつらせてしまう。知らなかった。そんなこと、本当に全然知らなかった――。


「リハビリは頑張ったんだけれど、走ったり、ボールを蹴ったりは難しくてね。でも、気持ちが腐るのはイヤだから。始めたのが、トランペットだったんだよね」


「呑気に言うけど、槙原。未経験の人がやろうと思って、やれるもんじゃないからね?」


「やることもなかったからね。無理矢理、弟子入りして、さ。トランペット奏者の上川師かみかわしわす走って、知ってる?」


 私にサッカー以外の知識を求めないで欲しい。でも、と思う。もし私だったら、こんなに前向きに、再チャレンジはできないんじゃないだろうかって思ってしまう。変わってない。奏汰君は全然、変わってない。下手とか、上手いじゃない。自分の好きなことをとことんまで突き詰めちゃう。

 かなわない、って思ってしまう。


「荒井さんに教えちゃおう、かな」


 クスッと副部長さんは笑う。


「サッカーは今も大好きみたいだよ? この学校、運動部の応援は野球部のみだったけど、各部の応援をしたいって、部長様が、言い出したのよ。本音はサッカー部を応援するための、権力乱用だって思うけどね」

「……え?」


 私は目をパチクリさせる。奏汰君は恥ずかしそうに、頬をかいた。え? それって――でも、部長の奏汰君と副部長さんは付き合っているんじゃ――。


「荒井さん、誤解していると思うから、ハッキリ言うけどね。私、大学生の彼氏がいるから」

「へ?」

「部長と副部長がそういう関係って、運営に支障をきたすし。だいたい、タイプじゃないかな。槙原は、女子部員のことを、楽器の一部ぐらいにしか思ってないし」

「い、いや、そんなことないって――」


 流石に、それはひどいと思う。


「ウソは言ってないでしょ? どうせ、荒井さんしか興味ないの、私は知っているし」


 さも当然のように、副部長さんは言うけれど。え、それって? え――?

 奏汰君の顔を思わず、見てしまう。


「ほら、槙原も言うことがあるんでしょ?」

「あ、い、今?」


「今、言わなくてどうするのよ? 先延ばしにしても、槙原はロクなことにならないでしょ? 今までチャンスはあったのに、荒井さんとお話ができなかったワケだし」


 ニッと笑って、それから私を見る。


「あ、それから。うちの吹奏楽部の男子ダメンズはお灸をすえておいたから。応援する側が、応援対象を貶してどうするんって言うのよ」


 それから、私達をみて、ひらひら手を振って、去って行った。

 あ、あの。これはいったい、どうしたら――。


「……あ、あの。荒井さん。その……」


 奏汰君の言葉に、私は自然と頬が紅潮するのを感じた。


「は、はい……」


 ずっと話したいと思っていたのに、まさかこんなシチュエーションになるなんて、思ってもみなかった。


 お互い、息を呑む。

 唾を飲み込む。


 心臓の音が聞こえそうで。


 奏汰君が、唇を動かす。

 息が漏れて、そして――。




 

「俺、荒井さんのこと――」






■■■






 吹奏楽部の演奏に後押しされるように、チームはグランドを駆けていく。後半戦、残り10分。1-2で、敵チームがリード。私達のスタミナは尽きかけ、ヘロヘロだった。でも、みんなの目はまだ諦めていない。


 トランペットのソロ。猛々しい音色は、まるでファンファーレ。勝利を約束しているかのようで。


「ねぇ、風花?」

「な、何ですか……?」


「ニヤけてるけど?」

「う、うるさいです!」


「そりゃ、そうよね。オリジナル曲なんでしょ。『風と花が奏でるスイング~勝利を我らに~』これ、明らかに風花に対してのメッセージソング? 公開、告白じゃん?」

「こ、告白は、も、もうされま、した――」


 止めて、先輩達。私の集中力を欠くようなことを、今、言わないで……。


「なんだっけ?」

「その足の筋肉も、擦り傷も、全部荒井さんだから。荒井さんの全部が、俺は好きだから――だっけ?」


「な、な、にゃ! なんで、先輩達が知って――」

「そりゃ、体調不良でランニングから抜け出した後輩がいたら。心配になるじゃん?」


「だ、誰が聞いていたんですか――」

「ごめん、女子サッカー部、全員で聞いていた」


「いやぁぁぁぁっ!」

「え、っと、風花はなんて返事したんだっけ?」


「えぇーと。確か、奏汰君が頑張り屋さんだって、ずっと知っていました。あの時、ありがとうが言えなかったから。今、代わりの言葉を言わせてください」


「「「「「「そんな奏汰君が大好きですっ!!」」」」」」


「やめてぇぇ!」


 ――ピッ。

 審判からのホイッスル。イエローカードは出ていない。でも、次は許してくれないだろう。私――達は気持ちを切り替えた。大丈夫、気負ってない。トランペットの音を中心に、吹奏楽部の皆さんの演奏が、私の背中を押してくれる。 


 それは、奏汰君が本心から言った、何気ない一言だって、分かっているけれど。


『一番格好良いに決まってるじゃん。男も女もないでしょ?』


 吹奏楽部の演奏プレイと私達のプレイでセッションをする。

 グランドの空気はとっくの昔に私達が、奪い去った。


 ボールを蹴り上げられた。

 パス。

 先輩が、ドリブルし、突き進む。

 パス。パス。

 ボールの動きで、相手を翻弄して。

 緩く、蹴り上げる。

 デフェンスが駆け寄る。

 でも、それはフェイク。

 全速力で、私が駆け寄って。

 ボールを蹴る。


 トランペットがまるで、雄叫びを上げるように、ソロ演奏へ。




《ゴールっっっ!! 決めました、同点! まさかの奇跡、ゴール! 会場、歓声で耳が痛いくらいです! 大興奮! 奇跡、奇跡のゴールっ! 同点! まさかの同点となりましたっ!》




 みんなと――奏汰君とも一緒にゲームメイクした、そんな高揚感にグランドは包まれる。


「あと1点!」

「あと1点!」

「あと1点!」


 風と花が奏でるスイング。奏汰君と奏でるスイング。まだまだ、このセッション、終わらない。

 私は、音に背中を押されて、蹴り上げられたボールに向かって、駆けだしたんだ。









【おまけ】


「君らが、吹奏楽部のダメンズか」

「い、いえ、あの……」


「話は聞いている。女の子の努力を笑うとは。まだまだ、精神面が子どもか。だが、大丈夫。人間、誰しもが過ちはあるものだ。その性根、人類最強と評価を受ける我が女子レスリング部が確かに引き受けた」


「あ、いや、あの、俺らは吹奏楽部なので、練習のお手伝いのお役には――」

「大丈夫。心技体は一つ。よく鳴かせてあげるから覚悟を決めるように」


「いや、あの鳴らすのは楽器で、僕らが鳴くのは、ちょっと違うかと……」


「難攻不落、理屈よりも教え込みましょう」

「風林火山、もっとも。それでは、実践といくか。大丈夫、人間そんなに簡単に死なないから――」


「「「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」」」







 【風と花が奏でるスイング 了】

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