恋と呼ぶには不充分
大西ずくも
第1話 出会い合い
ピンポーン。
慣れない音が耳に届くと、咄嗟に身体が反応して震えだした。
鼓動が強く高鳴り、そのペースは加速していく。
落ち着け、まだ十六時も過ぎていない。きっと配達員か何かだ。
ガチャリと扉が開く音がした。聞き耳を立てると微かに話し声が聞こえた。
一人はお母さんの声だ。もう一人は、男だろうか。何を話しているかまでは聞き取れない。
……!? こっちに来る!
階段を登っていた足音が、私の部屋の前で止む。
「こんにちは、横山さん。開けてもいいかな?」
こちらが聞いていることを前提にノックもせずに訪ねる声は、聞いたことのない声だった。
「誰ですか」
いつの間にか私は、素性も知らない人間と顔を合わせる事すら出来なくなっていた。
「同じクラスの長野聡(ながのさとし)だよ。誕生日は七月十九日。A型で十六歳。両親は共に健康で、兄弟は姉が一人。文芸部の幽霊部員をやっていて、副部長からは嫌われてる。好きな食べ物はハンバーグで、コロッケには何も付けない派。犬も猫も好きだけど、どちらかと言うと」
「もういいです!」
勢いよくドアを開けると、黒縁の丸い眼鏡を掛けた男が、私を見てニヤリと笑みを浮かべた。
「広くて良い部屋だね。本もたくさんあるし。あ、この漫画、今アニメやってるやつじゃん」
男は何の遠慮もなく、部屋中を見渡す。
女の子の部屋に入ってあれこれ物色するなんて、信じられない。
「あ、あの! ……あまり部屋をじろじろ見ないでください」
「ああ、ごめん。じゃあさっそく本題に入ろうか。本題というよりは問題なんだけど」
「問題? そんなことより何でここに来たんですか?」
「そうそう、まさにそれが問題。僕は何故ここに来たでしょうか?」
一体何なんだこの男は。ずかずかと私の居場所に入り込んできて。
私のところに来る理由なんて、大抵限られてる。
「そんなの先生に頼まれたとかそんなところでしょう」
「ぶぶー、不正解。僕は先生に頼みごとをされるような生徒ではないよ。そもそも今日は早退してここに来たんだしね。ちなみに回答は何回でもしてくれていいよ」
違うのか、と言うか何でこんな問題に私が付き合わないといけないのよ。
「……さっさと帰ってよ」
「この問題に正解したら、君のお願いを一つ聞いてあげるよ」
正解するまで帰らないつもりかよ。
「私の様子を見にきた、とか?」
「うーん、惜しい? それだけじゃ不充分かな」
不充分って。何で様子を見にきたかって事?
それとも何かのついでに様子を見にきた?
「そんなに難しく考えなくてもいいよ。ほら、もっと初心に帰ってさ。何故、人は誰かを訪れるのか。何故、誰かに話しかけるのか。ね?」
何故? そんな風に改めて聞かれると分からない。
そもそも人と関わってもトラブルの元にしかならない。
「……そう言われても全然ピンと来ない」
「そっか。じゃあ大ヒント、何で君は僕に『誰ですか』って聞いたの?」
……それは、知らない人と顔を合わせられないから。
「誰だか分からない人を部屋に入れるわけないじゃん」
「つまり、ドアの向こうに居る僕が何者なのか、知りたかったわけだ」
「……別に知りたかったわけじゃない」
「じゃあ知らないといけなかった、てことでも良いよ」
「それで、何が言いたいの?」
「だからそれがヒントだよ、大ヒント。僕を知る必要があったために、君は『誰ですか』と尋ねた。それが僕が君を訪ねた理由に近づくヒントだよ。解答そのものと言ってもいいかな」
「つまり、私のことを知るために早退してわざわざやって来たの? はぁ……馬鹿らし」
「大正解。ぱちぱちぱち」
男は音の鳴らない拍手をしながら、薄ら笑みを浮かべてこちらを見る。
その顔はどこか無理をしていて、退屈しているようにも見えた。
「ほら、正解したんだから早く帰って。そういう約束でしょ」
男はぽかん、とした顔で見つめてくる。
「……ああ、そういうことね。それじゃあ今日のところは帰るとするよ。またね、横山さん」
しまった。この男は何も今日だけ来るつもりじゃなかったのだ。
下手したら明日にでもまた来るかもしれない。
「ま、待って!」
「いいや、待たないよ。何せ早く帰らないといけないからね」
男はドアノブを回し、早足で階段を降りる。
「お邪魔しました」
そう言って男は玄関の向こうへと行ってしまった。
その声が聞こえる頃には、私は階段の前に立つのがやっとだった。
なんでそんなことも思い付かなかったのだろう。少し考えれば思い至るはずなのに。
それかどこか期待していたのかな。また来るかもしれないと。
「はぁ……馬鹿らし」
止めとこう。こんなことを考えても仕方ない。
「めぐちゃん、大丈夫? さっきの子と何かあった?」
お母さんが優しい口調でこちらを窺う。
「ううん。何もないよ」
私が不登校になってから、母はいつもこうやって顔色を窺っている。
「……そう。あの子、あなたと話しがしたいって言うから。どうかなと思って」
お母さんのこういう所が嫌いだ。自信無さげで曖昧で、私みたいで。
「……別に」
私は何に躓いて、止まっているのだろう。
「お母さん」
気付いたら呼んでいた。
呼ぶつもりなんてなかったのに。
母がこちらに顔を向ける。
どうしよう、何も言うことが無い。
「コロッケに何も付けないって、おかしいよね」
結局、口に出た言葉がそれだった。
何でもない、とでも言えば良かったのに。
「ふふっ。それは人それぞれじゃない?」
そう言って母は笑った。
お母さんの笑顔を久々に見たような気がする。
今日は少しだけ、心が満たされた。
恋と呼ぶには不充分 大西ずくも @zukumo
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