誘拐
あべせい
誘拐
ショッピングモールにアナウンスが流れる。
「オオカタ、シィシィとおっしゃる9才のお坊ちゃんを、お父さまが探しておられます。お心あたりの方は、1階中央のサービスセンターまでお来しください」
そのアナウンスに耳を傾けていた老夫婦が立ち止まる。カメと鶴吉だ。
「あんた、いまの聞いたかい?」
「なんのことだ?」
鶴吉は、カメを置いて、行き過ぎようとする。その視線の先には、左右に揺れる若い女性のヒップが。
「どうしようもない、ジジィだ。あんた、待ちなッ、てェッ!」
カメは、後ろから鶴吉の襟首をグイッと掴み、引き寄せた。
「なッ、なにをする! わしを殺す気か」
「殺すつもりなら、ゆうべ殺(や)っていたよ」
「エッ!」
「まァ、そこに座って。おもしろいことになりそうなンだから……」
カメは、少し先に見える吹きぬけ中央の、太い柱を囲むドーナツ型の長椅子を眼で示し、2人して腰掛けた。
「あんた、いまのアナウンス、聞いていなかったろ」
「いンや、聞いていた。『オオカタ、シィシィとおっしゃる9才』のガキが迷子になっている、ってンだろ」
カメはびっくりして、マジマジと夫を見る。
「あんた、耳がよくなったのかい」
「若い女の声はよく聞こえるンだ。あのハスキーボイスはよかった。胸にジンジンきたッ。もう一度、やってくれないかな」
「わかった。9才の男の子の名前を、オオカタ・シィシィ、って言ってただろ?」
「それがどうした」
「あんた、もォ忘れたのかい」
鶴吉、忘れたのかと言われ、さすがに堪えたのか、モールの天井を見上げて思案する。と、すぐに天井に向かって、ニッコリして手を振る。
カメ、不思議に思って、鶴吉の視線を追う。
と、モールの2階の手すりから体を乗り出し、鶴吉に向かって、ニコッと笑みを浮かべ手を振っている物好きがいる。ヒップを揺らしていた、さきほどの若い女性だ。
「あんた、あの娘といつの間に。まァ、いンや」
カメ、夫のやりたいようにさせる。
1分もたたないうちに、若い女性は手すりからいなくなり、鶴吉はつまらなそうに背中からデイバッグをおろすと、バッグの中をごそごそやりだした。
「あんた、この街に来たときのことを覚えているかい」
鶴吉は無言だ。
「昨日だよ。うちのオンボロ車が故障したから、仕方なくこの街のホームセンターに寄ったよね。駐車場が広いから、車を駐めて夜はそこで寝るつもりで……」
鶴吉が愚痴る。
「おまえが旅館代をケチるからだ」
「なに言ってンだい。財布にいくらあると思っているンだ。来月の年金がおりるまで、2万円ちょっとで生活しなきゃならないンだよ。ビジネスホテルにも泊まれやしない。そンな話じゃない」
「いンや。おれは、こういう旅は、もういやになった。早く家に帰って、畳の上で暮らしたい」
カメが夫を見て、言いにくそうに話す。
「あの家には帰れないンだよ」
「イゥッ! どうしてだ。あれは、あの家は、わしがローンを組んで、わしの稼ぎだけで、65の年にやっと払い終わったンだ。いわば、おれひとりの所有物といってもいい。それが、帰れないとはどういう料簡だ」
「あんた、わかっちゃいないね」
「わからん。わかりたくもない」
「いいかい。あんな、小さなオンボロ車で日本を一周しようと言い出したのは、あんただよ。あたいは反対した。覚えているね」
50年連れ添っている女房に言われて、鶴吉は嫌ァな顔をした。
「あんたは言った。『カメ、おまえはあと何年生きるつもりだ。おれはせいぜい頑張っても10年だ。おまえはおれより3つ若いから、もう少し長生きするかも知れない。しかし、だ。この年になったら、ガン、脳卒中、脳梗塞、心筋梗塞と、死病はなんでもござれだ。だから、わしは、ただ、メシ食って生きているだけの毎日なんて、クソ食らえだと思っている』。そこであたいは言った。『あんたもそんなことを考えていたのか』。珍しく考えが一致したから、あたいはうれしかった。残り少ない人生をおもしろオカシク生きよう、っていうのは当たり前のことだ。いくらお金があっても、あの世にいけば、用なし。財産なんて、全部使い切ってから、あの世に行けばいい。昔からあたいは、そう思っていた。だから、あんたの提案に心が動いたンだ。
でもね。『車に乗って、寒くなったら南に行って、暑くなったら北に行く。とりあえずは熱海に行って温泉に漬かろうかい』。ここまではいいよ。でも、そのあとがいただけない。『行き当たりばったり。出たとこ勝負で行けばいい』って言われたあたりから、この男、大丈夫かなと思ったね。考えてみな。駐車場や公園にあの小さな車を駐めて、車の中で寝る。キャンピングカーじゃないンだよ。車には、洗面道具に湯呑み、箸、茶碗、3日分の着替え、石鹸、各種洗剤、防寒衣、寝袋2つ、予備のガソリン缶、ほかにもカメラや雑多なものをいろいろ積んである。寝る場所なンて、車の座席シートだけだ。人間一晩で何回寝返り打つか知っているかい。最低20回だよ。あたいは一晩だって、やれそうにないと思ったよ。けどね、うれしそうに車中泊の話をするあんたの顔を見ていると、出鼻をくじく気がしなくなった。これも内助の功っていうやつだ。1年は無理でも、半年はつきあってやろう、って。そう覚悟したンだ。しかし、そうは思っても、先立つものがいる。蓄えは、あんたとあたいの貯金を足しても、50万円ちょっと。わずかな国民年金じゃとっても暮らせないから、毎月貯金を取り崩してきた結果だ。あたいは政府を恨むね。なにが、国民の命を守るだ。こんな年寄りの生活も満足に守れないくせに、大きなことを言うな、ッて。まァいい。そんな話はこんどにして、旅をすれば、出て行くばっかりだ。孫の小遣いと言われている、ふた月に一度の国民年金じゃ、どうしようもない。だから、あの家をひとに貸したンだよ」
「おまえいつの間に! おれに無断で、そんなことッ。許せン!」
鶴吉が顔を真っ赤にして、カメの顔に迫る。
「あんた、あのボロ家に月7万円も出してくれるひとがいるンだよ」
「なにィ、7万円もかッ!」
鶴吉の顔からたちまち赤味が消える。
「1年ごとの更新だから、3ヵ月前に申し出れば、退去してくれるという契約にしてある。間に入った不動産屋の奈良さんが、気をきかせてそうしてくれたンだ」
「ならず不動産の奈良一角か。あの男は、若いのに、よくやっている。わしの若い頃にそっくりだ」
「だから、いま家に帰っても中に入れない。わかったら、続けるよ。あたいはそんなことが言いたいンじゃない。さっきのアナウンス、この街に初めて来た昨日、車を駐めて車中泊した駐車場のホームセンターでも、聞いているンだよ」
「どういうことだ」
「昨日、あのホームセンターで、『オオカタ、シィシィとおっしゃる9才の男の子』って、迷子のアナウンスがあった」
「本当か。おまえの聞き違い、覚え違いじゃないのか」
「あんた、『オオカタ、シィシィ』なんて名前、そうざらにある名前じゃないよ。だから、あたいは珍しい名前だと思って、覚えているンだ」
「まァ、いい。それが本当だとして、それがどうしたンだ」
鶴吉は関心をなくしたのか、再び視線を、そばを歩いて行く若い女性の脚線に走らせている。
カメはそれを承知で、続ける。
「この町には、オオカタって苗字が多いらしいやね。『大加太』って書く家と、『大方』って書く家があって、なかでも、『大加太』一族の代表が、現町長の『大加太太三』、一方、『大方』の代表が、船主で漁業組合長の『大方堂路』。この2つの家が、人口1万に満たないこの小さな町を、二分する争いをしている、って知っているかい?」
「いンや。おれたちには関係ない」
「そうだけど、ケンカは大きいほどおもしろいやね」
「原因は何だ?」
「原発の誘致だって。原子力発電所をもってきて、町を活性化させようというのが、町長一派の目論みだ。しかし、原発なんか、造られたら、漁業に支障が出る、魚が売れなくなるとして、漁業組合は猛反発している」
「そういえば、道路や町のあちこちに、『原発反対!』とか『原発で町に活気を!』といった幟が立っていたな。福島の事故で懲りていると思っていたが、まだ原発に魅力があるのか。わしにはどうもわからん」
「話を元に戻すよ。ホームセンターでアナウンスしていた『オオカタ・シィシィ』というのは、大方家か大加太家のどちらかのこどもに違いない」
「どうしてそう思うンだ」
鶴吉は、そう言いながらも、そのとき自分たちが腰掛けているドーナツ型の長椅子の、隣に座った女性に、如才なく笑みを浮かべて会釈した。
女性もなぜか、鶴吉に愛想よく微笑み返している。
「シィシィって、アルファベットのCを2つ並べたとしか考えられない。シィシィって名前がホンモノかどうか調べたンだよ。シィシィなンて、カタカナでしか表記できない名前を、こどもに付けるもンだろうか、って不思議に思ってね」
「どうだったンだ?」
鶴吉は、隣の女性の知的な横顔を見ながら話している。
女性はバッグから、着信音が鳴り出したスマホを取りだし、話を始めた。
「この街の役場に行って、聞いてみたンだ」
鶴吉は、横のインテリ風女に聞き耳を立てるばかりで、カメの話にはその半分も関心を寄せていない。
「昨日、おれを図書館に降ろして、おまえひとりで車を運転して行った時間があったな。あのときか」
「役場の戸籍係の窓口で、『孫の名前を考えているンだけど……』とウソをついてね」
「おまえは、ウソの達人だ。よくどうでもいいウソが、次から次とヘラヘラと思いつくもンだ」
「そんな話はいい。『息子は、こんど生まれてくる孫に、スマップって名前を付けたいって言うンだが、そんなこと許されるンだがね?』って聞いたら、役場の係はどう答えたと思う?」
「知らねえ。どうでもいい……」
「あんた、これはどでかいお金もうけになるかも知れないンだから。若い女のケツばかり見るのも、たいがいにしなッ」
カメは、さすがに堪忍袋の緒がキレかけたようすで、夫に噛みついた。
すると、そのキリキリした声に、鶴吉の横でスマホをいじっていた20代のインテリ風女性が思わず腰を浮かしかけた。
鶴吉はすばやく、その女性のショルダーバッグの革紐に、素知らぬふりで指をからませた。このため女性は、下に引っ張られる形になり、再び柔らかな椅子に腰を落とす。
鶴吉は、とどめを刺すつもりで、
「すいません。隣のお婆さんが癇癪持ちらしいンですが、気になさらないように。おなかがすくといつもこうなンです」
しかし、女性はショルダーの革紐が自由になったと知るや、再び立ちあがり、「お爺さん、お元気でね」と挨拶して立ち去った。
鶴吉は、「あんたも。近いうちに、また会えると思うよ」と、遠ざかる彼女の背中に告げることを忘れなかった。
カメは、夫のそばから女性が離れたことで、夫を責めるのを諦めることにした。
夫の鶴吉は、何度言ってもわからない、ヌケ作だからだ。
「もう一度言うよ。『孫にスマップって名前を付けたいって言うンだが、そんなことが許されるンだがね?』って聞いたら、役場の係は、こう言ったンだ。スマップけっこう、嵐でもけっこう。でも、AKBはダメだってさ。アルファベットや算用数字、ハテナの?マークや郵便記号の〒、ト音記号なンかもダメだって。だから、シィシィって名前はもちろん付けてもいい。但し、アルファベットではなくて、シィシィとカタカナ表記にする。あたいは聞いてやった。『昔はともかく、いまどきカタカナで出生届けを出すひとが、いるンかい?』って。そうしたら、その役場の係、定年間近のようなツルっぱげがさ、『いますよ。タイガーマスクという名前を付けたい、ってひとが。でも、結局、タイガと読ませて、《虎面》と漢字で届けを出しました』だって。あたいの頭が異変を感じ取ったのは、そのときだよ。そのツルっぱげが、そう言ったあと、手で口を覆って、『シマッタ!』って顔をしたンだよ。名前は個人情報だろうけれど、どこのだれと言ったわけじゃない。探したくっても、住所がわからなければ探しようがない。なのに、そのツルっぱげは、『お客さん、いまの話は聞かなかったことにしてください。いや、タイガなんてこどもはいません。私の間違いでした。忘れてください』って、言ったンだ」
鶴吉が、ようやくカメの話を真剣に聞く気持ちになった。
「そいつは、何か知っているな。タイガがこどもの名前だって、言う必要もないのに、ペラペラしゃべりすぎる」
「あんた、冴えてきたね。うれしいよ」
カメがしんみりして言った。夫が、惚れた頃の頼もしい一面を見せてくれたからだ。
「おれはいつだって冴えている。おまえのことだから、そのツルっぱげに、食い下がったンだろうな」
「当たり前だよ。名札を見ると、そのツルっぱげは『大加太占太』とあったから、『大加太さん、そのタイガって、あんたと同じ大加太タイガってお子さんだろう?』って言ってやった。すると、やつは微妙な反応をしたね。薄ら笑いを浮かべて、『そうしておきましょう。はい。お帰りください』って。あんた、どう思う?」
カメは、自分ですでに答えを持っているときに限って、こんな問いかけをする。鶴吉が最も嫌うパターンだ。
「カメ、亭主を小バカにしていると、そのうちにヤケドをするゾ」
「あんたに、浮気をする元気がまだまだある、ってのかい?」
「わかった。もういい。その大加太って役人は、タイガという9才のガキが、もう一方の大方家のこどもだって、言ったようなものだ」
「そうだろう。あたいもそう睨んだ。だから、考えた。大方タイガって子が実際に存在するのに、どうして『そうしておきましょう』なンて、否定するような言い方をしたのか。『おられますが、これ以上は個人情報ですから、お話できません』って言うのなら、まだわかる」
「そうだな」
鶴吉が腕組みをした。鶴吉の頭がフル回転している証拠だ。
「これは何かある、って思ったね。そこであたいは、『オオカタ、シィシィ』って館内アナウンスしたホームセンターのサービスセンターに、もう一度取って返した。それで、応対に出て来た女の子に言ったね。
『孫のシィシィを迎えに来たがや』
その娘は『エッ』と、一瞬呆気にとられたようだったけど、すぐに、
『そのことでしたら、もう解決いたしました』
『解決したってどういうことだ。身内がこうして迎えに来ているンだよ』
『どなたか存じませんが、アナウンスしてから、もう1時間以上たっています。アナウンスから30分ほどして、こどもは見つかったから、ってお父さまがお見えになりました』。
あたいは、思ったね。なんでもなかった。大方シィシィってこどもは実際にいて、親が目を離したすきに、はぐれていなくなったけれど、少しして無事、親の元に帰った、って。だから、
『そうかい。息子が来たのかい。あたしゃ、孫が行方不明になったと聞いて、びっくりしたもンだからね。お世話さま』
って、言って帰ってきた」
「それだけか?」
鶴吉は、再び小バカにするようにカメを見る。
「話はここからだよ。あんた、昨日は予定通り、あのホームセンターの広い駐車場の隅に車を駐めて、そのなかで寝たよね」
「あァ……」
鶴吉も何かを思い出そうとしている。
「あの夜、あの駐車場に、あたいたちの車のほかに、もう1台、車が駐まっていたのに気が付いたかい?」
「キャンピングカーか。しかも、『わ』ナンバーの……」
「あんた、気がついていたのかッ! うれしいッ。あんた、ボケてない。まだまだ、生きていける」
「カメ、亭主を誉めても何も出ない。早く、次を話せ」
「夜中の12時頃だったろうか。あたいは、オシッコに行きたくなって、寝袋から出て、車から降りた……」
「トイレなンか、ホームセンターの中にしかないだろうが」
「駐車場の脇の空き地に行けば、いいンだよ」
「おまえ、そんなことして、恥ずかしくないのか。いくつ年をとっても、女は操を捨てちゃならないンだ。しょっちゅうやっているのか」
「車を、トイレのないところに駐めて寝るときは、そうだね」
「おまえ、若い頃はそんな女じゃなかった……」
鶴吉は遠い昔を思い出すように、天井を見あげた。
「その話もこんどゆっくりやろう。とにかく、そのときは脇の空き地に行くつもりで車から降りたンだ。そうしたら、キャンピングカーのエンジン音が聞こえて来た。まだ、4月だから、夜は冷えるやね。あたいたちはガソリン代が勿体ないから、寝袋に入って寝ているけンど、お金のある連中はエンジンを掛けっぱなしにして暖をとっている。そんなことを考えながら、もう一度、そのキャンピングカーを見たンだ。あたいたちの車から、ざっと50メートルほど離れていたね。
車の窓には中から厚いカーテンが引かれているンだけれど、カーテンの隙間から明かりが漏れている。その明かりが強い、強過ぎるンだ。だから、気になって、そォっと足音をしのばせて、近付いてみた」
「オイ、覗きは犯罪だゾ。その年して、恥ずかしくないのか」
「覗きに年は関係ないやね。あんた、覚えがないのかい?」
すると、鶴吉は押し黙った。
「あたいがあんたとつきあう前、あたいたちは同じ職場にいた。あんた、あの日、閉め忘れて少しドアが開いていた女子更衣室の前を通り過ぎるとき、中を覗かなかったかい? あたいが中でひとりで着替えをしていたンだ」
鶴吉がうろたえる。
「オイ、もう50年も昔のことだ」
「あたいは、昨日のことのようによく覚えているよ。あたいは知っていた。あんたの視線が、あたいの……やめとこう。ここで昂奮されても、困るやね」
「いいから、キャンピングカーの話を続けろッ」
鶴吉はそう言って大きく息を吸った。
こいつは、あの頃、いちばんいい女だった。世界でいちばんだとおれは思っていた。ハートも体も。あの日、こいつの悩ましい下着姿を見なかったら、一週間後に声をかけることもなかったし、一ヵ月後に結ばれることもなかった。今頃、こんなところにいることも……やめとこう。いまだけを考えるンだ。
鶴吉は珍しく、自分を叱りつけた。
「あのキャンピングカーは、デカかったよ。そばに行くと、エンジン音はそれほどでもない。で、タイヤの縁に足を掛けて、そォっと体をもちあげて、窓のカーテンの隙間に眼を押し当てた……」
カメはそのときを思い出すようにして、しゃべる。
「こどもがいたよ。小学校4、5年か。体が大きいのと小さいのと、顔は幼いやね。2人とも、ベッドの上で、タブレットとかいうやつを持って、ゲームに夢中になっている。左の奥のほうを見ると、男が毛布を被って仰向けに寝ていた。白髪まじりの短髪の頭に、額が極端に狭い顔だった。こどもの顔は2人とも、はっきり見えた。そのとき、2人のガキがしゃべったよ。体が一回り小さいほうのガキが、年上らしいガキに言った。
『ギュウちゃん、もうそろそろ帰らない?』
『この車の中で寝るのは、今夜で2回目だよ。まだ、早いンだって。あそこに寝ている……』と言って、アゴで奥のベッドをしゃくり、
『探偵さんが、あと2日はいろ、って言っていた』
『エッ、2日も。ぼく、ママに会いたい。ギュウちゃん、お父さんに頼んでよ』
『そうだよな。ぼくはいつでも帰ろうと思えばできるけど、タイガはできないから……』」
鶴吉が、カメを見た。
「オイ、そいつが役人の言ったタイガってガキだったのか」
「そうだよ。もうちょっと黙って聞いていな。
『でも、ギュウちゃん、どうしてこんなことをしているのに、警察が来ないの。テレビのドラマだったら、すぐに来て、1時間か2時間で、あっさり解決するじゃないか』
『ドラマは、放送の時間内で解決するように最初から作っているから。タイガ、これから話すことは、だれにも言うンじゃないよ』
『うん、なァに?』
『奥で寝ている探偵。あいつ、昔、隣町で刑事をしていたンだって。だから、警察にも、いろいろ細工ができるらしい。だから、捕まえることも、逃がすことも、うまくやれる、ってだれかに電話しているとき、自慢していた』
『あんまり、利口じゃないンだね』
『頭のいいやつを、ぼくのオヤジが使うわけがないよ。言ったことしか出来ないから、使っているンだって、オヤジが陰で言っていた』
『ギュウちゃんのお祖父さんは町長しているのに、こんなことをして平気なの?』
『億のお金が動いている、って言っていた』
『原発を作るって、話だよね。ぼくのほうのお祖父さんは、海が汚れるからって、組合員の漁師さんを連れて海上デモをして、反対している』
『うちのオヤジは、町にお金を落とすには、ほかに方法がないって、お袋に言っている』
『そうなの……原発ってイヤだね。町を2つに分けて。元々、こんな話がなければ、ケンカなんかすることもなかったのに』
『そうだな。大人は、なんでもお金で考えるからな。お金は必要なだけあればいいよ。余計にもらおうとするから……もう難しい話はやめよう。ゲームのほうがおもしろい……』
あんた、もうわかったろう」
鶴吉の顔が、ビンビンに輝いている。
「カメ、一つだけ、わからない」
「なんだい?」
「オオカタ、シィシィ、って迷子のことだ」
「それには、あたいの考えがある。それより、このショッピングモールでも、同じアナウンスがあったことをどう思うね?」
「『オオカタ、シィシィとおっしゃる9才のお子さんを、お父さまが探しておられます』か。キャンピングカーのなかで、タイガというこどもが家にも帰らずに、ギュウちゃんという町長の孫とゲームで遊んでいる。タイガというガキが家に帰らないのは異常だ。それなのに、警察もどこも騒いでいるようすがない」
鶴吉は、事件の核心に近付いている気がしている。
カメが言う。
「ここに入ってくるとき、昨日ホームセンターにあった同じキャンピングカーが、駐まっていた。車のナンバーで確認したから、間違いない。あの中には、タイガとギュウちゃんがいるンだよ。大加太占太という役人は、タイガというこどもは存在しないようなことを言ったけれど、あれはタイガってこどもが家を留守にしている事情を知っているから、そう言ってしまったンだよ」
鶴吉がカメの推理に続ける。
「昨日はホームセンターで、きょうはこのショッピングモールで、オオカタ・シィシィという迷子探しのアナウンスがあった。探しているのは、父親らしい。カメ、オオカタタイガという子の家に行って、調べればいろいろわかるだろう」
「タイガの祖父は、漁師を束ねる組合長の大方に間違いなさそうやね。それにしても、いまは春休みといっても、孫がまる2日も家を留守にして、見ず知らずの探偵の車の中にいるというのは、ふつうじゃない。それであんたはここにいて何をするンだい」
「このモールで迷子のアナウンスがあったのは、10分ほど前だ。ホームセンターでは、アナウンスから30分ほどで、届けを出した父親が再び現れ、『息子は見つかりました』と言っている。恐らく、あと20分もすれば、同じ父親が、ここのサービスセンターにやってくるだろう。その男の後をつけて、男がどうするか、調べてみる」
こうして、カメは車を運転して、敷地千坪は優にある大方家の豪邸を訪ねた。
一方、鶴吉は、サービスセンターの窓口がよく見える場所を選び、そこに出入りする人間をチェックし始めた。
シィシィのナゾは解けた。わかってみれば、たわいない、単純な話だった。
カメは大方家に行くまでに、すでに気がついていた。一方、鶴吉は、予期した通り、ショッピングモールのサービスセンターに現れた男を尾行して、シィシィの意味に辿りついた。
男は、カメが言った「額の極端に狭い男」だったから、間違いようがなかった。額の幅が3センチあるかないかの男は、ニコニコしてサービスセンターに現れると、受付嬢に、「おかげでこどもは見つかった。だれか、ほかに探しに来なかったか?」と尋ねたそうだ。
そのとき鶴吉は、そのサービスセンターの受付嬢が、ドーナツ型の椅子の横に腰掛けていたインテリ風女性だと気がついた。さきほど出勤してきて、そのときから勤務についたのだ。
再会できると言ったのは、ウソにならずにすみそうだ。鶴吉は、そんなことを考えながら、額の男を見つめた。
鶴吉には、男がサービスセンーに来た目的が、「見つかった」という報告より、「ほかに探しに来た者はいなかったか?」の問いかけのほうに重きを置いているように感じられた。
男はしつこく、「シィシィと聞いて、だれか、うちのこどものことを尋ねに来たと思うンだがな。隠さないでよ。来るはずなンだ」と、横顔の知的な受付嬢が怪しむほどに、しつこかったからだ。
鶴吉は、男のあとについて駐車場に行った。
男はカメが言った通り、広い駐車場の入り口から最も遠い場所に駐まっていたキャンピングカーに戻った。
男はドアを開けるなり、中に向かって、
「タイガ、ダメだ。おまえのオヤジもジジィも周りのヤツも、とんでもない間抜けだ。オオカタシィシィなんて、妙な名前のガキがいるわけないのに、どうしてカンを働かせないンだ。キャンピングカーのCCなのに。キャンピングカーを探せというナゾ掛けが、どうしてわからないか」
「オジさんの作戦がよくないだけじゃないの」
「おれはこんなことを早くやめたい。だから、迷子のアナウンスなンかを流させているンだ。ギュウジがいたら、こんなマネは出来ないが、おれがこんなことをするのは、もうきょう限りにさせてもらう。おれは正義を実行する探偵だゾ。こんな誘拐のマネごとをしていて、いいわけがない。今夜、おまえを家に連れて行ってやる。おまえがここから逃げ出したことにしてな」
「ぼくも早くママに会いたいから」
その頃、大方家に向かったカメは、貴重な情報を得ていた。
大方家がどこにあるのかは、通りすがりの女子高生から簡単に聞き出すことができた。それほど有名なのだろう。次いで、カメは、大方家の周辺に聞き込みをかけた。
タイガというのは、小学校3年で、大方家の跡取り息子だった。ほかに大方家には、当主の孫に当たるこどもが3人いるが、タイガだけはこの数日、見かけないと言う。
いつも小さな車に乗って迎えに来るギュウちゃんの姿も見ないと。その車は、額の狭い、自称探偵の桂木という男が運転していて、桂木はギュウちゃんのボディガードだと言う。
そこでカメは、いよいよ大方家に出向いた。
出入り口は、キャスターが付いた重そうな鉄製の門扉で閉じられている。カメが、三波石の門柱に取り付けられたインターホンを押すと、「ご用件をおっしゃってください」とトゲのある声が返って来た。
カメは、声を押し殺して、
「タイガちゃんの所在がわかりました」
と、告げた。
すると、インターホン越しに、ドタバタと走り回る音がしたかと思うと、門扉から20メートルも奥にある玄関の大きなドアが勢いよく開いた。
カメは、これで百万円はいただきだと確信した。
カメが大方家を訪れた5分後、ショッピングモールに駐車していた桂木のキャンピングカーは、大方家の息がかかる漁師たちの、5、6台の車で取り囲まれた。
組合長の大方堂路は、大加太太三らが原発反対を封じ込めるために、孫のタイガを誘拐したと訴えた。
しかし、大加太太三は、何も知らないと否認する。結局、探偵の桂木が、両者が原発誘致をめぐって対立していることに目をつけ、礼金目当てに行った犯行だとの見方に傾き、警察は桂木を逮捕した。
しかし、被害者のタイガから事情を聞くうちに、事態は一変。タイガには誘拐されたという認識がなかった。大加太ギュウジも、昼夜とも、可能な限りタイガと一緒にキャンピングカーの中で過ごしていた、とタイガと同じ証言をした。
その頃、カメと鶴吉は、大方家から百万円という礼金をいただき、すでに町を出ていた。
そして、遠く50キロ離れた伊豆半島の、一人1泊2食付き3万5千円という高級温泉宿に逗留を決めていた。
鶴吉は旅館の一室で、豪華なご馳走を前にして、言う。
「カメ、あの桂木という探偵の単独犯っていうのはありえないだろう」
「そうさ。でも、桂木はそうだと供述している。大加太太三にいま恩を売っておけば、生涯ラクができると踏んでいるンだろうて」
「しかも、あのガキ2人が、誘拐を否定しているンだから。おまえ、うまく礼金をせしめたな」
「そりゃ、居場所を教える前に、情報料として現金を要求したからだて。大方家では、犯人から身代金を要求されたときのために、5千万の現金を準備していた。けども、孫がいなくなったのに、犯人から何の連絡もない。ともだちのギュウジに聞けばいいとなって、大加太家に人をやったが、ギュウジもいなくなっていると知らされ、思案にくれていたンだ。そこへ、あたいが乗り込んだから、百万くらいと気が大きくなって、弾んでくれたンだろうよ。5千万円の2パーセントで済んだってことだから、大方家は万々歳だろうて」
鶴吉は言う。
「あの探偵は、どうやって、誘拐と気付かれずに、タイガを車に乗せることができたンだ?」
「いつものように、ギュウジと一緒に迎えに行っただけだて」
「しかし、車はキャンピングカーだ」
「いや、タイガの家の前までは、ふだん使っている自分の軽ワゴンを使っている。ホームセンターの駐車場で乗り換えさせたンだ」
「原発誘致はどうなるンだ」
「どうにもならないやね。選挙で決着をつけるしかないだろうが、今度のことで、大加太町長には、逆風が吹くだろう。町の住人は、探偵のしたことは、町長の差し金だと、だれもが薄々感じているからね」
「こんどの一件で得をしたのは、おれたちだけということか。カメよ」
「そうなるかね」
そのとき、鶴吉は考えていた。
ショッピングモールの受付嬢の実家が、伊豆半島のこの温泉町にあることを。
鶴吉は、ドーナツ型の椅子で彼女と隣り合わせに腰掛けていたとき、彼女がスマホで電話をしていたのをこっそり盗み聞きしていたが、それによると、母親の具合が急に悪くなり、明日母に会うため伊豆の実家に戻ると言っていた。
病院の名前も口に出していた。これで、確実に再会できる。明日、その病院に何気ない顔をして出かけて行って、
「お嬢さん、こんなところでお会いできるなんて。運命かな。ぼくはそこの旅館にいます。よろしかったら、お食事でも……」
鶴吉は、豪華な食卓を前にして、そんなバカなことを妄想している。
同じ日本一周するのなら、カメじゃなくて、あのインテリ受付嬢なら。何日も家に帰らなくても、やれる、って。
カメはそんな夫のバカ面を見ながら、この男に、百万円もらっただけだと言っておいてよかった、と思う。本当は、5千万の一割、5百万円もらっていると打ち明けていたら、この男、何に使うか知れたものじゃない。若い女と日本一周すると言い出しかねないから。
(了)
誘拐 あべせい @abesei
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