肌寒い帰り道で、ピアスの意味を知る。(1)

 先輩の家に泊まってから翌日の今日、普通に講義があると考えると既に憂鬱である。

 さらに今日は五限目までみっちり詰まっていて、時間割りを決めた過去の自分に恨みが募る。

 もうちょっとバラけさせて作ればよかったのに。

 いやでもどうにか一日は一つも講義がない日を作りたくもなるだろう、それが大学生ってものだ。

 いや違うか。


 どうこう考えても時間割は変わらないことはわかっているので、本格的に体が動かなくなる前にさっさと動き出そうと、布団を奥に半分に折る。


 あくびをしながら部屋のドアを開ける。


 先輩は…まだ起きてないか。

 

 昨日はお風呂を借りた後先輩が使ってない寝巻きを借りて…というかあの先輩は年中使ってないらしいが…うん、借りて寝た。

 先輩の家の洗濯機は一度入れて回せば乾燥まで取ってくれる優れものだったので、下着とスウェットを洗わせてもらった。

 昼間は少し暑いかもしれないが、許容範囲内だろう。


 朝食は…流石に人の家の食材を勝手に使うのは良くないか。

 一日くらい抜いたところでなんの問題もない。

 

 鍵はオートロックだから、出ても大丈夫だろう。


「お邪魔しましたー…」


 





 昼休み。

 基本毎日学食の日替わり定食を食べている私は、今日も今日とて食堂にいた。


 今日の日替わり定食は唐揚げ定食。

 唐揚げの皮がカリっとしていて、さらにジューシーで美味しい。

 

 と、舌鼓を打っている時だった。

 音を鳴らしてテーブルに置いていたスマホが揺れる。

 何だろう、私のスマホに連絡が来ることなんてほとんどないし…ああ、自分で考えてちょっと悲しくなってきた。


『ねえ日和ちゃん!』


 先輩からだった。

 あれ私何かしただろうか。怒られるかなと不安になりながら返信する。


『はい、何かありました?』

『今日何限まで入ってる?』

『五限までフルで入ってます』

『私も五限入ってるから途中まで一緒に帰らない?予定がなければでいいんだけど』


 一緒に帰るお誘いだったらしい、正直安心した。


『いいですよ、校門近くのベンチに集合で大丈夫ですか?』

『りょーかい』


 いけない、そろそろ講義が始まってしまう。

 私は急いで残りのご飯を食べ終えると、早足で講義室へと行き、いつも通り最前列の隅の席に座る。


 「じゃあ講義始めるぞー」


 私は中学時代から大体一人で動いていたので、当然登下校も一人だった。

 たまに話すくらいの知人とごくごく稀に一緒に帰ることはあったが、それも会話の流れから途中まで歩くくらいで、こうやって予定を決めてまで一緒に帰るなんて経験は思い出せない。

 もちろん何度か寂しいと思うことはあったのだが、それ以上に人と関わるのが面倒くさそうだという気持ちが先行していたので、自分から他人に歩み寄ることはなかった。

 そんな陰気な考えをしていた私に積極的に関わろうという人は少なく、自信を持って友人だと呼べる人は思い浮かばない。


 私が意外と人と話すのが好きなのか、それとも先輩との相性が良かったからなのかは判断できないが、昨日の居酒屋での会話は楽しかった。


 …つまるところ、一緒に帰るのが既に楽しみである。


「ようするにこの文章では——」


 にしても昨日は寝つきがひどかった。

 寝具が悪いということはまるでなかった。それどころか普段家で使っているものよりも良かった。


 では何が原因か。

 それはもちろん先輩である。


 言葉、動き、肌の色、息遣いから右の胸元のホクロ、体への髪のかかり方でさえ鮮明にフラッシュバックを繰り返し、自分の心臓のうるささになんとも心地の悪い時間が続いた。


 まさか自分がこれほどまでに耐性がなかったとは露程も思っていなかった。

 

 とはいえ、最後に人肌に触れた記憶は中学校の入学式に母親に抱きしめられたことだし、なんなら血のつがっていない人と、触れ合えるほど近づいたことすら記憶にないというほどには人肌に慣れていないし仕方ない…と思っておこう。


 だいたい、そんな対人間初心者の私に先輩のような綺麗でスタイルの良い人をぶつけるなという話だ。

 …いや当たり屋の如くぶつかって行ったのは私なのだが。


「ここで勘違いする人が多くて——」


 ぐっ、先輩のことを考えるほど昨夜の出来事が頭に定着していく感覚がある。

 これは良くない。

 良くないとはわかっているんだけど、思考が止まらない。


 先輩には疑問が尽きない。


 なぜ連絡先を交換してくれたのか。

 気を良くしたから?しかし先輩はどの美人であれば褒められることもナンパも尽きないだろうし、私がちょろちょろ迫っても気にかけることもなさそうだが。


 なぜ飲みに誘われたのか。

 『せっかくの?縁だし』などとは言っていたが、私なんて怪しいだけで、わざわざ飲みに誘うほどの特徴もなかっただろう。

 

 なぜ潰れるほど飲んでいたのか。

 先輩の様子だと飲むのには慣れているだろうし、自分のキャパもしっかりと把握したはずだ。初対面の私の前であれほど飲むのは何か不自然だ。


「おっと、もう時間か。じゃあ今日は終わりだ、おつかれ」


 そういえば、女性の左側のピアスにはどういう意味があるのかまだ思い出していなかった。

 講義中に関係ないことを調べるのは少々気が引けるが、まあたまにはこんなことがあっても…


「渚?どうしたんだ?」

「へっ?」

「いやもう講義終わってるけど、退出しなくていいのか?」

「えっ、ああ…すみません」

 

 いやはやどうやら色々と考えているうちに三限目が終わっていたらしい。


「でも今日の残りの講義は全部この部屋なので、大丈夫です」


 まったく私としたことが、ここまで考え込むつもりは…


「いや、今終わったのは五限だが。大丈夫かほんとに」


「え」

 


 

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