肌寒い先輩の部屋で、煙草の匂いに咽せる。(2)
〈Ritsu〉
連絡アプリに表示された名前を見て、初めて彼女の名前を知る。
あぁ、私さっき名前すら言わずに連絡先聞いたのか…と、今更ながら自分の行動に多少の後悔を感じる。
リツさんというのか。どんな漢字なんだろう、そもそも何年生なんだろう、どのくらいピアノを続けているんだろう。
自分で考えてもわかりようもないことが頭に浮かんでは消えて、そんなことを繰り返す。
いっそのこと直接聞いてみるか?いやいや、さっき会ったばっかだし…いやでもそんなこと言ったらもう関わることも…
本当に、私はなぜ彼女を気にしているのか。自分の心が見えたらいいのに。
これまで何度も繰り返した思考を今日も一つ積み重ねる。
その時。
『やっほー。今晩暇かな?』
「わっ…!びっくりした」
ちょうど彼女から連絡が来る。
にしてもこの文は何だ、私がナンパみたいなことしたから意趣返しか何かか?いや捻くれすぎか。
『暇ですよ。どうしましたか?』
『せっかく?の縁だし、飲みにでもどうかなと思って。あ、二十歳いってる?』
せっかくって何だ?本人もちょっと疑問に思ってるじゃないか。
まあどう言えばいいのかわからないのはわかるが。
そもそもなんで私を誘う?あからさまに怪しいような…いやでもそれと連絡先を交換するくらいだし、ちょっとズレた人なのか…
『結構前に二十歳にはなってます。あんまりお酒は得意じゃないですけど、それでもよければ是非』
危ないかもしれないとは思ったが、好奇心を抑えられず行くことにした。
◆
今は十一月の上旬。
段々と肌寒くなってきていて、昼間でもカーディガンを羽織ってちょうどいいほどの気温。
それに加えて時刻は八時半前。昼間のような格好では震えが出てくる。
私は下に無地の黒いスラックス、上は白いスウェットに青いデニムジャケットというそこそこ暖かい格好で、居酒屋の最寄りの駅前に一人立っていた。
さて、そろそろ集合時間のはずだが…
「お待たせー」
「お疲れ様です」
リツさんは黒いジーパンに深い青色のシャツ、その上に革ジャンを羽織っている。
つり目でシュッとした輪郭の顔に、女性にしては高い身長と合っていて、クールな印象が強い。
「リツさん、服似合ってます。カッコいいですね」
あまり人の容姿を褒めることはないのだが、本心からの言葉だったからだろうか。スラスラと口が動いた。
「ほんと?いや、一分悩んだ甲斐があったね」
それ、悩んでないのでは?
「いや突っ込んでよ」
「それ悩んでないのでは?」
「あはは!」
ゲラゲラと笑っている。あれもしかしてこの人もう酒飲んできたんじゃ…まあいいや。
「ヒヨリちゃんもよく似合ってて可愛いよ」
「あ、ありがとうございます…」
あまり人と関わっていない弊害か、褒められ慣れてないので挙動不審になってないかが心配だ。
「ってあれ?私の名前…」
「連絡先の名前だったけど…間違ってた?」
「あっ、そうか」
というか私もそこから呼んだじゃないか。
「まあ、どうせなら自己紹介は居酒屋でしよ」
「ですね。場所はどこなんです?」
「あそこの突き当たり右に行ったらすぐだよ」
そう言って駅を正面に左側を指差す
駅のすぐ近くにあるということで、詳しい場所は今初めて聞いた。
歩き出したリツさんを追いかけて、左側に並ぶ。
少し見上げる形でリツさんを見ると、左耳に輝くピアスが見える。
「ピアス、開けてるんですね」
私も一時期興味はあったが、痛そうだったのと、穴を開ける道具がなかったのでやめた。さすがにピンとかで開けるのは怖いし。
「うん…左だけだけどね」
左だけ?片側だけにピアスを開けるのには何か意味があった気がするが…何だったか。
確か右側が守護を受ける人とか、優しさなどの女性らしさを示していて、左側は…
うん?性別によって変わるんだったか?えーっと…
そんなことを考えていると、もう店に着いた。
少し小さな店に見える。
「いらっしゃいませー!お二人ですか?」
「はい、二人です」
愛想の良い女性の店員の問いかけにリツさんが答える。
「ではこちらの席へどうぞ〜」
この時間であれば混み合っているかもしれないと思ったが、直ぐに入れるようだ。
私たちは案内されるままに席に着く。
「ここ、ご飯も美味しいのに意外と空いてるんだよね。立地的に目につきにくいからだと思うけど」
「そうなんですか。行きやすくていいですね」
「そうなの。気に入ってんだー」
外観ほど店内は狭くはない。さらに、空いてるとはいえ閑散としているわけでもないと、過ごしやすそうな空間だ。
「ご注文お決まりしましたらお呼びください」
「はーい」
店員が水を置いて奥に帰っていく。
「ヒヨリちゃんどーする?」
「そうですね…じゃあ唐揚げとか食べたいです」
「おっけー。あ、ビール飲む?苦手らしいし、全然飲まなくても大丈夫だけど」
「せっかくですし一杯だけ。飲めないわけではないので」
「りょーかい。すみませーん!」
リツさんは手を上げて店員を呼ぶ。
なんというか、最初はクールな方かと思ったが、意外と気さくなのかもしれない。
「ご注文お伺いします」
「えーっとー、とりあえず…枝豆と塩キャベツと、唐揚げ二皿とあと生二つ」
「かしこまりましたー。少々お待ちください」
ビールの注文でよく聞く『生』って、なんで生なんだろう。ビールじゃダメなのかな。
…あ、そうか。ビールだと生か瓶か聞かれるからってことか。
「さ、注文したことだし自己紹介と行こっか。名前は凛々しいの"凛"に"月"で柊凛月(ひいらぎりつ)大学三年生。さっきはピアノ弾いてたけど音楽系のサークルに入ってるわけじゃないよ」
「あ、三年生だったんですね。てっきり四年生かと」
「なんでー?」
「雰囲気というか…これといって理由があったわけではないですけど。」
「そっかー、まあ大人っぽいってことだと受け取っておくよ」
その受け答えにも余裕を感じて、大人っぽいという言葉がぴたりとハマる。
「では、次は私ですね。私は大学二年の渚日和(なぎさひより)です。漢字は曜日の"日"に和風の"和"サークルは入ってません。文学部の文芸学科です」
「夏生まれ?」
「はい。爽やかな名前ですよね。あんまり合わずに育ちましたが」
「そう?内面はまだ知らないけど、外見はすごい爽やかだと思う」
軽いつり目の奥二重で、パーツはある程度整っているとは思う。髪型はショートボブ。前髪は長めだが、左側はヘアピンで留めている。
「そうですかね?まあ、ありがとうございます」
「うん。ああ、言ってなかったけど私も文学部で、哲学科だよ」
「文学部だったんですね。今日初めて見ました」
そういうと先輩は少し困ったような目をする。
「あー…まあ出席は最低限にとどめてるから…」
「さ、最低限…」
「そう、最低限」
「…サボりですか?」
「まあ、単位は取ってるから」
効率主義なんだろう、うん。
「なんて呼べばいいですかね」
「別になんでもいいよ。凛月って呼び捨てでもいいし、先輩でもいいし。あっ敬語もなくていいよ?」
「では先輩と呼びますね。敬語は元々の癖で…こっちの方が楽なので」
「ういー」
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