第8話 スピララの願い

 オランデムス記念を制した俺はスピララを連れて国王の前へと跪く。


「よくぞオランデムス記念で勝利を収めたな、マナリーク・カシュノアよ。素晴らしいレースにわしも感動をさせてもらったぞ」

「はは、陛下よりお褒めの言葉を賜り、このマナリーク・カシュノア、しあわせにございます」


 国王からの言葉に俺は深く頭を下げる。


「なにこのおっさん? ちょー偉そうなんだけど何様?」

「ス、スピララ……」


 この国を統べる国王様だ。

 と、そう言っても馬のスピララには人間の王を敬う気持ちなど湧かないだろう。


 幸い、馬の言っていることは国王にわからないので先ほどの放言は伝わらずにホッとする。


「うん? しかしカシュノア家の優秀な騎手は弟のカルナタで、兄のマナリークは落ちこぼれで乗馬もできないと聞いたが……」


 そう国王が首を傾げたとき、


「へ、陛下っ!」


 父上がこちらへ走って来て俺の隣へ跪く。


「我が息子マナリークは優秀な騎手でありまして、落ちこぼれなどとはとんでもない誤解でございますっ! マナリークは我が家の誇る自慢の息子でありまして、はははっ、私も鼻が高いです」


 なんと調子の良いことか。


 俺を落ちこぼれとなじっていたくせに、オランデムス記念を勝ったらこの態度だ。我が父ながら、変わり身の早さに呆れて言葉を失う。


「そうであったか。落ちこぼれなどと勘違いをしてすまなかったマナリーク」

「あ、いえ……

「おめでとうマナリーク。」


 父の態度に恥ずかしい思いをしていると、国王の隣に立つミサルナが祝いの言葉を送ってくれる。


「ありがとうミサ……あ、いや、ありがとうございますミサルナ姫」

「ふふっ……」


 いたずらっぽく笑うミサルナにつられて俺も戸惑いつつ笑う。


「おお、そういえばミサルナとマナリークは幼馴染であったか。ならば婚約もスムーズに進みそうだな。ミサルナ?」

「え、ええ父上」


 俯くミサルナを前に、俺は国王へ目を向ける。


「オランデムス記念の優勝者がミサルナ姫と婚約をされるというお話ですが、私はお断りさせていただこうと思います」

「マ、マナリークっ!?」


 驚愕に目を見開く父を横目に、俺は続ける。


「私がオランデムス記念に勝つことができたのも、今までのレースで勝ててきたのもすべて優秀な愛馬たちのおかげです。今だ未熟の私に姫様と婚約できる資格などございません。ですのでお断りさせていただきます」

「マナリーク……」


 名を呼ぶミサルナの声は少し寂し気な気がした。


「へ、陛下っ! マナリークはレースの興奮で今は冷静ではないのですっ! ですからどうか今の発言はお聞きにならなかったことに……」

「私は至って冷静です父上」

「黙れマナリークっ! お前、自分がなにを言っているかわかっているのかっ!」

「父上、私は……」

「やめよ。もうよい」


 国王の声に、俺は続けようとした言葉を呑み込む。


「たいした向上心だ。そして愛馬を尊敬して敬うその気持ち。私は感心したぞマナリークよ」

「ははっ、もったいないお言葉にございます」

「うむ。そなたが望むならば婚約の話は無しとしよう。よいなミサルナ?」

「は、はい父上……」


 なぜか残念そうな声音を吐くミサルナ。

 一方、それ以上に残念そうな様子で父はうな垂れていた。


「ではオランデムス記念優勝トロフィーの授与を行おう。おめでとうマナリーク。これが勝利の証だ」

「は、はい」


 俺は立ち上がって、国王からトロフィー受け取ろうと手を伸ばす。


「お、お待ちくださいっ!」


 そのときどこかから聞き慣れた声が聞こえる。


 この声は……。


 やがて声の主がこの場に姿を現す。


「カルナタ?」


 悔しそうな、怒りのような、そんな表情のカルナタが俺と国王の前へと強い足取りで歩いて来る。


「お前はカルナタか。なに用か?」

「はい陛下、私は我が兄マナリークの犯した悪行をここに告発したいと思います」

「悪行だと?」


 訝しむような国王の声が響く。


「はい。ここにいる馬は今までマナリークが騎乗していた馬とは違います。今までの馬ではオランデムス記念に、いえ、我が愛馬ルグドリアドに勝つことができないと考えたマナリークは以前の馬を用無しと毒殺して馬を乗り換えたのです」

「なに? 馬を毒殺だと?」


 カルナタの言葉を聞いて国王は顎髭を撫でる。


 馬は人間にとって大切な存在だ。

 それを殺したとなれば、殺人と同等の罪を与えられる。


 ニヤついた表情でこちらに視線を向けてくるカルナタ。


 まさかここまで愚かで卑劣とは。


 我が弟ながら、俺は呆れ果ててしまって声も出なかった。


「なにこいつっ! おにいちゃんを殺そうとしたのはお前なのにっ!」

「ま、待て落ち着けスピララっ!」


 カルナタへ向かって行こうとするスピララの手綱を掴んで必死に留める。


「ふむ。その馬はディアドラの妹であったな」

「えっ? ええ、よくご存じで」


 ミサルナから聞いたのだろうか?


 そうだと思った。


「実は今朝方、ここへ来る前にミサルナから頼まれてマナリークを激励しにカシュノア家の厩舎へ2人で行ったのだ」

「へ、陛下が私を激励しにわざわざ我が家の厩舎へおいでにっ!?」

「うむ。しかし残念ながらすでに出掛けてしまったあとだったようでな。マナリークの激励はできなかったが、愛馬のディアドラには会うことができた」


 鋭く細められた国王の目がカルナタへと向けられる。


「カルナタよ。お前はディアドラが殺されたと言ったが、しかしディアドラは死んでいなかった。これはどういうことだ?」

「えっ?あ……そ、それは……恐らく毒殺が失敗したのだと」

「そうだ毒殺は失敗した。お前の目論見ははずれたということだカルナタ」

「わ、私の目論見っ? い、一体なにおっしゃっておられるのか……」」

「具合の悪そうなディアドラの様子を厩務員に聞いたら、すべてを白状した。カルナタよ。レースに勝つため相手の馬を殺害しようとするなど許されぬ行為だ。走る馬に罪はない。ゆえにレースへの出場は許したが、それが終わった今、お前は罪人となった。なにか弁明はあるか?」

「ぐ、くっ……」


 カルナタは崩れるように膝をついてなにも言おうとしない。


 悪行はすべて白日の下に晒された。

 弁明の余地は無いだろう。


「弁明は無しか。ならばカルナタ。ディアドラが死んでいればお前は死罪となっていたが、生きていたのでそれは免除してやろう。しかし殺そうとした罪は重大だ。よってお前には国外への追放を命じる」

「そ、そんな……」

「連れて行け」


 膝をついた状態のカルナタを2人の兵が両側から掴んで連れて行く。


 少し気の毒に思うも、奴はディアドラを殺そうとしたのだ。

 同情はできなかった。


「そしてこの罪はカシュノア家の当主にも負ってもらうぞ」

「ひっ、わ、私にもっ?」


 顔中に汗を塗れさせた父が焦りの形相で国王を見上げる。


「マナリークがミサルナと婚約をしてゆくゆくは王家の婿ということになっていれば、お前も国外追放にして後継ぎのいなくなったカシュノア家はいずれとり潰してやろうと思っていたが、まあとりあえずは先ほどに聞いた通りだ」


 俺はミサルナと婚約しない。

 つまり後継ぎが残るわけだが。


「お前は隠居して当主の座をマナリークに譲れ。そして2度と私の前に姿を現すことは許さん。わかったな?」

「は、はい……。仰せの通りに致します」


 隠居を申し付けられて不服そうにするかと思いきや、父はどこかホッとしたような表情で言われたことを受け入れていた。


 国外追放にならず安心したのだろう。


 我が子であるカルナタの国外追放を憂うよりも、自分の身を第一に考えるのがいかにも我が父らしいと恥じた。


「では、改めて優勝トロフィーの授与を致そう。おめでとうマナリークよ」

「は、はいっ! ありがとうございますっ!」


 受け取った優勝トロフィーを掲げると観客席から歓声と拍手が響き渡った。


 オランデムス記念に優勝したんだ。


 嬉しさがこみ上げてきた俺は思わずスピララの首へ抱きつく。


「やったなスピララっ!」

「ふん。当然の結果だし、別に嬉しくないけどね」


 フンと鼻を鳴らしてそっぽを向くスピララだが、どことなく嬉しそうではあった。



 ……それから俺はスピララを連れて自宅の厩舎へと戻って来る。


「やったぞディアドラっ」


 トロフィーを掲げて見せるも、ディアドラは興味無さそうに飼い葉桶へ頭を突っ込んでむしゃむしゃと食事をしていた。


「おにいちゃんにそんなもの見せてもわかるわけないじゃん。アホなんだから」

「う、うん。まあともかく、ディアドラが元気そうでよかったよ」


 身体の具合はそれなりに回復したようで、今はいつも通りもりもりと飼葉やバナナを食べていて安心する。


「そんなものもらってマナリークは嬉しいの? スピララはそんなのぜんぜん嬉しくないんだけど」

「まあこれは名誉の証だからね」

「ふーん。あ、そういえばそれに頼むと願い事が叶うんでしょ? なんか願ってみたら?」

「それは昔からの言い伝えだから、願ってもなにも起こらないよ」

「まあそうだろうけどさ、試しに願ってみたらいいじゃん?」

「うん? うんじゃあ……えーと、うーん……特に願いは思いつかないかな」


 オランデムス記念に優勝してディアドラも元気になった。

 今の俺に叶えてほしい願いはなかった。


「そうなの? ならスピララが代わりに願ってあげる。スピララを人間にして」


 トロフィーに鼻を近づけてスピララがそう願う。

 もちろんなにも起こらな……。


「えっ?」


 突如としてスピララの身体が縮んでいく。

 体毛が抜け去り、身体は人の形となっていき、やがて現れたのは白い肌に栗色の短い髪色をした小柄で綺麗な女の子であった。


「な、な、なっ……」


 その女の子は自分の身体を確かめるように見回し、そして動く。


「だ、誰……?」


 俺は思わずそう聞いた。


「スピララだけど?」

「だ、だってお前、馬……馬なのに人間になって……」

「願いが叶ったみたい」

「え、ええ……」


 そんな馬鹿な。

 オランデムス記念は古くから我が国で行われてきているが、優勝者の願いが叶ったなんて話は聞いたことが……。


「あ……もしかして」


 俺はひとつの可能性に思い当たる。


「優勝者っていうのは騎乗している人間じゃなくて、走っている馬のことだった……のか?」


 そう考えると納得できた。


「なるほどね。確かに優勝者って、乗ってる人間だけじゃないしね」

「う、うん。けどお前、やっぱり人間になりたかったんだな」


 以前にここで聞いたあの言葉はやはり本心だったのか。


「うん」

「でもそんなに嬉しそうじゃないな」

「なんか実感が沸かないっていうか……。あ、そうだ。人間になったらやりたいことがあったんだ」

「えっ? なに?」


 なんだろうと考える俺の腰に手を伸ばしたスピララが、ひょいとそこから鞭を取り上げる。


「さ、お尻を出して」

「な、なんで?」


 鞭を手にスピララはニヤリと楽しそうに笑う。


 よもやの予想を頭に思い浮かべつつ、俺はあとずさる。


「ざこざこマナリークのくせによくもスピララのかわいいお尻を叩いてくれたね。たっぷり仕返ししてあげるから」

「い、いやあれはお前が叩けって言ったんだろ?」

「マナリークが騎手としてもっと優秀ならスピララのお尻を叩く必要もなかったじゃない? だからスピララが痛い思いしたのはマナリークがざこなせいなの」

「そ、そんな……。いやそれよりもお前、服を着ろ。人間は馬と違って、服を着て生活しなきゃいけない……」

「うるさいっ! お尻だせーっ!」

「ひゃーっ!」


 鞭を振り回すスピララを前に俺は逃げ出す。


「あ、待てこのざこざこマナリークっ!」

「ゆ、許してくれーっ!」


 追いかけてくるスピララから逃げ回る俺。

 振り返ると、レースで優勝したときよりもずっと嬉しそうに笑うスピララの表情がそこに見えたのだった。

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競走馬の俺が異世界で貴族に転生。メスガキ牝馬にざこ扱いされつつ最高の騎手を目指す 渡 歩駆 @schezo9987

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