十四話 三品恋頼 『茅ちゃんと微熱』 part2

―― 四月三日(土) 佐々木家 ――



『そもそもいじめの記録を取り始めたのが七月初旬、林間学校が終わってすぐのこと。それから三品を監禁するって決めたのが文化祭終わってすぐの九月下旬。そんで、三品と仲を深めていけそうだなって思い始めたのも九月、文化祭のあたりから……ってことは要するにさ――』

「――っ」



 ――唐突な浮遊感と共に目が覚めると、薄暗い部屋の中にいた。果物ナイフのような細い光がカーテンの隙間から入ってきて、暗い空間を両断している。


 自分の部屋ではない……かといって地下室でもない。

 私はすかさず両手首と両足首を触って、身動きが制限されていないことを確認した。


 壁掛け時計の時刻は六時……きっと朝の六時だろう。半日以上寝ていたことになる。


 どうやら昨日の体調不良は一過性のものだったらしい。久しぶりにしっかり寝たおかげですこぶる体調が良い。


 それに何の拘束もされていないということは本当の意味で解放されたということだった。

 私は自分の体を抱きしめるように身を縮め、喜びをかみしめた。



 ――と、ここで気付く。

 私が寝ているベッドの傍ら、突っ伏して寝落ちしている茅ちゃんがいることに。

 ひざを曲げた時、掛布団の左側が重たいと思ったら……いた。

 パジャマの上に厚手の上着を羽織った茅ちゃんがいた。

 徹夜で看病をしていたかのように、そこで眠っていた。


 心臓がドクンと脈打って、急激に目が覚めた。


 起こさないように、刺激しないように、そっと足を伸ばして邪魔にならないよう揃える。



「おはよ、三品」

「――」

「……あれ? 起きたんじゃないの?」



 ベッドに突っ伏した状態から唐突に喋りだしたので、私は咄嗟に寝たふりをした。


 茅ちゃん起きてたんかい……そんなのズルじゃん。反則じゃん。


 頬をつつかれて表情をチェックされるも、なんとか無表情を装うことができた……と、思う。たぶん。



「……ふーん。上手いね。寝たふりするの」



 不穏な言葉を残して部屋を出ていこうとしたので咄嗟に跳ね起きる。

 ここで引き止めないと……なんか……具体的にはわからないけど、なんかやばい気がした。



「――ちょ、ま、待って茅ちゃんっ! ごめん起きてる! 起きてるから!」

「あ、やっぱり起きてた」

「……え? やっぱり?」

「体調はどう? 頭痛いとか、寒いとか、怠いとか」

「……いや、大丈夫。治ったみたい」

「そ。ならよかった。でも今日はゆっくり寝てた方がいいよ。一応、これで熱だけ測っといて」



 言うや否や体温計を手渡される。

 茅ちゃんの手は氷のように冷たかった。



「って、そうだ。トイレ行きたい? お風呂入りたい? それとも夕飯食べてないからお腹すいた?」

「いや、別に……大丈夫」

「喉渇いたとか? 病み上がりだしスポドリでいいよね? とりあえず」

「いや、うん。それでいいけど……です、はい」



 ……なんかあれだ。人間不信になりそうというか、自分自身すら信用できないというか……わからないことだらけ、謎だらけだ。


 例えば今の茅ちゃんは素なんだろうか?

 それとも演技なんだろうか?


 ……これがわからない。

 全く自然な状態で私のことを心配してくれているような気もするし、そうじゃない気もする……いや、もしくは演技じゃないと信じたいのかも。

 演技だとしたら怖すぎるし、そうでないとしたら昨日までの鬼畜な茅ちゃんは何だったのだろう……もしあっちが演技だったとしてもそれはそれで怖い。


 ……っていうか、どっちにしろ演技が上手すぎる。



 私はどう接するべきなんだろうか?

 当然、いつものようにとはいかない。

 かといって他に取り得る態度も無い。


 私はぎこちない心で適切な距離感を探っていた。


 体温は三十六度五分。平熱だった。



「あ、さすがにお家に帰りたい?」

「それは……ここの方が、いい」

「そっかそっか。だったらいいんだけど」



 トトト、トトト、トトト……と、茅ちゃんの指がペットボトルを叩いて心地よいリズムを刻んでいる。

 その仕草を何気なく見ていたら三秒と経たずにやめてしまった。



「いやごめん、うるさいよね。癖でさ……あ、まだ寝足りない感じ? だったら邪魔だし、出てくから」

「あっ、ちょっと待って」

「なに?」

「いやなにって……その……逆になに? ……じゃなくて、その……」



 やばいやばいやばいやばい何で喧嘩腰になっちゃうの私……!



「……どっちが素なの?」

「素? まああっちの私が素かな」

「あっ……そ、そう、なんだ」

「っていうのは噓で、ホントはこっちが素」

「う、うん! そうだよね。やっぱりそうだと思ってたんだよね!」

「っていう可能性もあるよねって話もあるとか無いとか無いとかあるとかね?」

「……う、うん?」



……え、あ、いや、結局どっちなん?



「じゃあ今度は私が質問する番」

「え、そういう感じ……?」

「ほら、一方的に答えてばっかりじゃ釣り合いがとれないでしょ」



 うわ、なんかこの一問一答な感じすっごい既視感あるんだけど……いや、笹島はもっと感じ悪かったけどさ。



「嫌いじゃないって、あれホント?」

「えっ」

「言ってくれたよね。『嫌いっていうのはちょっと……違う……かも』って」

「……ねぇ、その言い方馬鹿にしてるよね? 絶対馬鹿にしてるよね?」

「似てるでしょ? 再現率九十九パーセントってとこかな」

「私そんなにクネクネしながら言った!?」

「そんなことより顔真っ赤だけど大丈夫? もう一回熱測っとく?」

「~~~~うっさい!」



 ごめんごめんと言いながら心の底から笑っている茅ちゃんは、本当にただの女の子にしか見えない。


 その笑い声は賑やかで、どこか上品で、例えるならば鈴の音色だ。それが早朝特有の静寂と絡んで、落ち着いた雰囲気を醸し出している。


 私の言葉に含まれたとげとげしさが空気中に溶けて拡散し、冗談の一つと化して消えていった。



「って聞くのもさ、嫌いじゃないって絶対噓だよね?」

「いや噓じゃ……ないし」

「私の前じゃそう言うしかないって話でしょ? だって、脅されてるもんね?」

「うっ、それは……その……」



 なんで……続く言葉が出てこない。

 噓なんかついてないのに……正直な気持ちを言っただけなのに、反論できない。


 っていうかこれ、反論できなかったら噓つきってことになっちゃうわけ?



「……別に、関係ない」

「だからさ、関係ないって言うしかないじゃん。脅されてる以上、三品は」

「いや、違くて……」

「じゃあなに? 強がってんの? こんなことされても全然大丈夫だって? 山内さんとは違うって? 私は強い人間だから平気ですって?」

「っ! このっ! 違うっつってんじゃん!」



 私は茅ちゃんの胸ぐらを掴んで床に押し倒した。

 馬乗りになって、左手で両手首を頭上に磔にし、右手で首を絞めつける。血流が管の中を流れていく感覚が生々しく手のひらに伝わってきた。

 

 茅ちゃんは不思議と何の抵抗もしない。されるがままで、もがくこともしない。二周目の映画を見る時のような驚きのない目で私を見ていた。


 そんな茅ちゃんの態度を見て、少なからず私は困惑した。


 茅ちゃんを押し倒したときに私の心を支配していたのは怒りと深い悲しみである。

 それは明らかに復讐心とは異なるもので、首を絞めても晴れることはなかった。



「……私と山内は違う」



 だんだんぬいぐるみ相手におままごとをしているような気分になってきて……なんだか馬鹿馬鹿しくて、首に掛けた手の力が抜けていった。


 何のために私は怒ったんだろうか……わからない。



「私だっていろいろ考えてんの。……確かに違うよ、私と山内はさ」



 わからないのに、口は勝手にその理由を紡ぎだす。

 わからないのに、心の底から涙があふれる。


 それはあの時流した涙と同じ……自分の精神が壊れた時のそれだった。



「山内は悪くない。何にも悪くない。そんなことは、私だってとっくに気付いてんの」



 私は深呼吸をして、一度心を落ち着ける。


 冷静に、慎重に――暴力ではなく、会話で――言葉で――



「ねぇ、茅ちゃん。あんまり馬鹿にしないでよ。傷つくから」



 ――一度壊れた自分という存在を、再構築しなければいけない。



「もう、嫌で嫌で仕方ないの。思い出すだけで鳥肌が立つくらい……今は、自分のことが嫌いなの」



 ――偽りなく公平に、過ちを見つめ直さなくてはいけない。



「……茅ちゃんはなにも悪くない。だから気にしなくていい。私はやられて当然のことしてたんだし。罪には罰がお似合いなんだって、わかってるから。弱み握られてるけど、それも自分で蒔いた種だって思える。そのくらいの分別は付けられるよ。今ならね」



 ――恥ずかしいことも全部、正直に伝えなくてはいけない。



「私、やっぱり好きだよ。茅ちゃんのこと」



 あーあ、言っちゃった……嫌いじゃないって濁しておけばよかったのに。


 茅ちゃんを磔にする左手に自然と力が入った。今振りほどかれたら逃げられたみたいで気落ちしてしまう。


 まあ杞憂だったけど。

 何の抵抗もされないし、抜かりない表情も崩さない。私の言葉に返答することもない。

 その目は最小目盛りの十分の一まで読み取ろうとする化学の先生のような雰囲気を醸している。


 そしてまたしても既視感だ。


 この観察者然とした態度……やっぱり笹島に似ている。

 あるいは笹島が茅ちゃんに似ているのかもしれない。


 本当に仲がいいんだなあ……などと場違いなことを思いつつ、なんとかしてこの目を壊してやりたいと考える自分もいた。

 これが支配欲、あるいは独占欲というやつなんだろうか。


 一番猥褻なモノ――ふと茅ちゃんに言われたことを思い出して、同じことを言ってみたくなった。


 さっき物真似されたし、その仕返しも込めて。



「茅ちゃん今、世界で一番猥褻なモノになってる」



 言った瞬間、言ってよかったと思った。

 気が大きくなったというか、自信が出てきたというか、獰猛になれたというか……今なら何でも質問できる気がしてきたから。


 手首の関節がピクリと動いたのを感じ取ってさらに力を込めた。

 態度には出さないが、茅ちゃんも動揺しているらしい。



「……だから?」

「抵抗しないのは誘ってるってことでいいの?」

「誘ってるって……なにそれ。怖いんだけど」

「茅ちゃんってレズなの? むっつりスケベなの? 好きって言われて動揺してない?」

「……全然、全部違うから。そろそろ離してくれない? 床冷たいし」



 目に見える形で抵抗を始めたのですかさず両手で押さえつける。


 ようやく茅ちゃんをコミュニケーションの舞台に上げることができた。人間観察者から人間にまで落ちてきた茅ちゃんを逃すわけにはいかない。


 質問をぶつけるなら今しかない。

 さっきみたいにうやむやにされないためにも、今しかない。



「茅ちゃんこそ、私のこと嫌いでしょ?」



 言った瞬間、言わなきゃよかったと思った。

 私は自分の言葉に動揺していた。声に出した途端、答えを聞くのが怖くなった。



「昨日、笹島に私を押し付けようとしてたでしょ? お風呂まで連れてってくれた時も、この部屋に連れてきてくれた時も……とぼけたふりしてさ。それにさっきも邪魔だからって出ていこうとして……半日以上寝てたのに寝足りないなんて、そんなことあるわけないのにね?」



 そんな心境とは裏腹に言葉は溢れて止まらない。次々と茅ちゃんの逃げ道を潰していく。



「むしろ寝足りないのは茅ちゃんでしょ。手がこんなに冷たい……ずっとここにいたの? 私のこと避けてるのに? 一周回って好きなんじゃないの?」

「……だから避けてないんだって。三品の被害妄想」

「いや避けてるでしょ。露骨なくらいに。なんでそんなにチグハグなわけ?」

「……それ勘違いだって」

「茅ちゃんって何人いるの? 双子か三つ子なの?」

「はぁ?」

「だってそうでしょ。違い過ぎるんだもん。あの鬼畜は妹か何かなの?」

「私だよ。何言ってんの」

「じゃあ学校行ってる茅ちゃんは?」

「はぁ……あのさ、仮に姉妹だったとしてそんな無意味な分業すると思う? 普通に考えたらわかるよね?」

「だよね。じゃあ本当に私の事嫌いなんだ」

「それはちが……いや、待って。そんなこと一言も言ってないじゃん。なにその緩急」

「今それは違うって言った? 言ったよね? 今のは本心でしょ。少なくとも嫌いじゃないんだね? 私のこと。ホントのホントに」

「……わかったから、もう離してよ」

「あ、もしかしてトイレ行きたいの? そうなんでしょ?」

「……離してって言ってるんだけど?」

「ダメ。せっかくのエロい雰囲気がもったいないじゃん」

「なんなのそれは……いいから早ぐぅっ……!」

「はは、『はやぐぅ』だって。あの茅ちゃんがおしっこ我慢してる」



 確認ついでに右ひざを使って膀胱を圧迫してやった。茅ちゃんは苦悶の表情を浮かべ、ギュッと足を閉じて堪えている。


 なにこれ……超楽しい――



「――やっぱり楽しい? 人をいじめるの」

「……あ」



……あ。



「わかるよ、その気持ち。ああ、そっかそっか。好き嫌いで言ったら三品のそういうところは好きかもね。見てて共感するというか、安心する」



 ……あー。

 無意識のうちに……何やってんの私。

 山内に助けられた時、もうしないって……そう思ってたじゃんか。



「どれだけ反省を重ねても、ふとした瞬間に独りよがりな自分が出てきてしまう。快楽に酔ったり、利益をむさぼったり、楽な方へ流されたり、おもちゃを見つけて遊んだりする自分……結果、どうしようもなく他人を傷付けてしまう自分がね」



 まあ私は別に傷ついてないけど。今のは普通に自業自得だし――そう言いながら私の体を跳ね除け、さっさと部屋を出ていってしまった。


私は床に座り込んで忍耐力のない自分に失望していた。



 これあれかな……イケると思って告白したら盛大に煽られて泣かされたみたいな?

 ……いやもっと酷いか。


 イケてると思って自分で髪切って、鏡見たら死ぬほどダサかったみたいな?

 ……これさっきよりマシじゃね?


 いや、死ぬほど勉強したと思って受けたテストの結果が平均点以下だったみたいな感じかな?

 ……知らんけど。死ぬほど勉強したことなんてないし。



 などと現実逃避していたら茅ちゃんが戻ってきた。



「ふー、危ないとこだった……って、まだ床に座ってんの? 体調崩すよ」

「あ、うん……ごめん」

「あと眠くないなら音楽かけていい?」

「……別に、いいよ」



 足元の方からカチャカチャと機械をいじる音がする。CDをセットしているらしい。


 対して私は顔を背け、布団に顔を埋めていた。

 たぶん今、顔真っ赤だ……茅ちゃんに見られたくない……さっきまでのこと全部忘れてほしい。



「死んだお母さんの趣味がピアノっていうか、音楽全般が好きでさ。ここ昔はお母さんの部屋だったから、CDとかレコードとか、色々置いてあるわけ」



 いいでしょ、この部屋――茅ちゃんがそう言った瞬間、曲が始まった。曲名はわからないが、どこかで聞いたことがある洋楽だった。


 美しいコーラスがお互いを高め合って、メインボーカルの歌声を神秘的なまでに昇華させていく。



「笹島君もわかってるはずなのに……どうして信じてるんだろうね。私のこと良い人だって。そんなことないのにさ。毎年毎年、委員長なんてやってたから良い人イメージついちゃったのかな? 偏見なんて笹島君らしくないけど……あー、あったかいわー。なんでこんなに寒いんだろ。もう四月なのに」



 どうして急に笹島の話なんか……と思ったら布団の中に茅ちゃんが入ってきた。


 話の中身も取っ散らかってるし、本当に眠たいのかもしれない。



「それにどうして山内さんを信じられたんだろ……不思議だよね。誰よりも疑り深いひねくれ者なのに。あんな状況で二人にしたら絶対雰囲気に飲まれると思ったんだけど……結局なにもされなかったんでしょ?」

「つひっ!? えっ! あ、う、うん。まあ……」

「うーん……そうなるとは思えなかったんだけどなぁ……失敗したなぁ……」



 いやそれどころじゃない……!

 茅ちゃんの足がめちゃくちゃ冷たいんだけど……!


 ……ってこれ、もしかしてさっきの仕返し?



「三品、こっち向いてよ」

「え、なんで?」

「なんでって? 私の手、冷たいじゃん?」

「……? それが?」

「早くこっち向かないと背中に手入れるよ」



 私はもぞもぞと布団の中を回って、茅ちゃんの方を向いた。


 ずっと思ってたけど、茅ちゃんって脅迫が上手いよね。

 っていうか、せっかく表情隠すために布団入ったのに……これじゃ何の意味もない。

 いや、落ち着け……せっかくBGMがあるんだ。とりあえず音楽に耳を傾けて気持ちを落ち着けよう――



「――で、極めつけは三品。お前、七月初めの山内さんが休んだ日、笹島君をパシリに使っただろ。雑に。そこの陰キャとか呼んで」



 地響きのようなその声を聞いた瞬間、思いっきり体当たりされたような衝撃と、針で刺されたような痛みを感じた。


 今まで一度も聞いたことがない……茅ちゃんの冷えた声音だった。いつもの冗談ではなく、心の底が揺れているような、紛れもない本心がそこにあった。

 それは『だからお前を標的にしたんだ』と言外に伝えていた。


 さっきまで真っ赤だった自分の顔が一瞬で真っ青になったことを自覚する。


 今の今まで忘れていた出来事が事の発端だったんだ……やっぱり振り向かなきゃよかった。

 どんな顔をすればいいのかわからない。


 そんな状態だというのに茅ちゃんは私の手を包み込むようにそっと握ってきた。

 本当に冷たい手だった。



「はぁ……なのに三品のこと嫌いじゃないとか言っちゃって。いつか良いところが見つかるかもって……いい加減にしてほしいよね。結局、笹島君は性善説を信じてる理想主義者なんだよ。前提が浮ついてるから捏ねても捏ねても空理空論。堅実とは程遠い結論にたどり着いて、それを信じちゃってる。頑張れば誰とでも仲良くなれると思ってるし、話し合いで物事が解決すると思ってる。社会には戦争だっていじめだってあるのに……直視していない。実はそういう人なの、笹島君って。あんなに人見知りでひねくれてるのにね。変な感じだよね」



 布団の下では茅ちゃんの冷たい足が私の足に絡みついて着々と体温を奪っていた。


 ……温度差で風邪ひきそう。


 口では嫌悪感を示しておきながらスキンシップはしてくるって……やっぱりちぐはぐだ。

 心と体の距離が狂っている。



「それでも不思議と説得されてる自分がいたりしてさ……ホント、なんでだろ。毒されてるのかな?」

「ご、ごめん私……その……ごめん……」

「なに気にしてんの。三品の分際で。笹島君相手なら重く受け止める必要なし。反省する必要なし。葛藤する必要なし。何より本人が気にしてないんだから。謝る必要、まったくなし」

「……うん。ごめん」

「だからいいんだって。たぶん」



 冗談だろうか、それとも本心だろうか……あるいは二度と笹島に近づくなというメッセージなのだろうか。


 茅ちゃんにとって笹島とは何なのだろう……ますますわからない。笹島と茅ちゃんの関係性が。



「まあ気にするのもわかるけど。一度悪い自分に気付いたら自己嫌悪に次ぐ自己嫌悪で、もう無邪気ではいられないよね……というわけで、予言します。これから三品はそれっぽい善人イメージを真似しながら、上手く仮面を被って生きていくことになるでしょう。自分を隠すことはできても変えることはできないし、知ってしまったら知らない状態に戻ることはできないからです」

「それってズル賢くなるってこと?」



 大人になるってことじゃない? ――そう言う茅ちゃんの表情は無だった。

 読み取れるものと言えば眠気くらいだろうか。

 けれど、ちょっと怖いと思った。



「で、いずれは窮屈になる。誰にも本音を見せないまま生きていくなんて……心を閉ざしたままなんてさ。耐えられなくなるよ、そんなの」



 ここへ来てようやく、茅ちゃんの素がどちらかはっきりした……あんまり喜ばしい答えじゃなかったけど。


 ……いや、裏を返せば思いやりのある人ってことにならないのかな? だって周りのことを考えて自分を殺してるってことだよね?



「いつか我慢できなくなって自殺したり、自暴自棄になって欲望を爆発させたり……その結果いろんな人を傷付けて、忌み嫌われて、警察に捕まったりする。嫌だよね、そんなの。できれば好かれていたいじゃん。誰からも、いつまでも。……私みたいな犯罪者予備軍だって、案外普通の人間だったりするんだから」



 って、もう立派な犯罪者か――曲の変わり目だったからか、茅ちゃんの声が尻すぼみに小さくなっていって、最後の方はとても弱弱しく聞こえた。


 しかもその内容はとてもあの佐々木茅とは思えないような自己嫌悪だった。


 今の茅ちゃんは明らかにいつもの茅ちゃんではなかった。

 茶化してはいけないような雰囲気が布団の中に充満していた。



「だから仲良いの? 笹島と」

「……何、急に。なんでそう思った?」

「だって……なんでだろ……わかんないけど、なんとなく」



 あれぇ……いざ説明しようと思ったら言葉にならない。

 今確かにそう思ったんだけど……私って何も考えず喋ってるんだなぁと、つくづくそう思った。

 結局茶化したみたいになってしまった。



「でもどうなるかな、私たち。さすがにやり過ぎちゃったみたいだからさ――」



 茅ちゃんはそう言ったきり目を瞑ってしまった。どうやら本当に眠かったらしい。


 曲は次々と移り変わっていく。


 茅ちゃんが選んだCDには、やっぱりどこかで聞いたことがあるような洋楽がラインナップされていた。

 それは子守歌というには激しい音楽だったが、これを選んだ本人が寝ているのだからこれでいいのだろう。


 この時、私は初めてまともに音楽を聴いた――どこか新鮮な気持ちで聞き覚えのある曲たちに耳を傾けていた。

 音楽っていいな――茅ちゃんの寝顔を見ながら素直にそう思った。



 ――



 一対一で向き合って初めてわかることが世の中にはいっぱいあるらしい。

 例えばじっくり音楽を聞く時間は案外良いものだったし、笹島はめんどくさいけど気の回る奴だったし、茅ちゃんもやっぱり人間だったし――それに山内もひ弱なコミュ障じゃなかった。ちょっと内気なだけの、我慢強い人間だった。


 すべての曲が再生し終わるのを待ち、熟睡している茅ちゃんを確認してからそっと部屋を出る。


 時刻はすでに七時半を回っていた。

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