不器用な筋肉
蔵
力技なんか使わなくても
4月も中旬だというのに、陽の当たらない校舎の中は冷え切っていて異様に寒い。
しかし、創立何周年だか知らないが、あちこちガタがきているボロいこの大学にも一応暖房設備はある。あるのに、コイツと一緒だといつも使えない。コンクリートに囲まれた無機質な教室を見回すと、
「なあ、暑くないか」
「寒いわ」
そうか、とだけ呟いて、勇真はまたノートへ向かった。ていうか、私より着ている服の枚数も圧倒的に少ないのに暑いってどういうこと?筋肉って暖かいんだっけ。目の前では、メンズXLのTシャツの袖が苦しそうに悲鳴を上げている。コイツくらいマッチョになれば、寒さなど感じないのだろうか。
幼馴染の
何も喋らなくなった勇真のせいですぐに暇になった。やることもないので、なんとなくご自慢の筋肉を見ていたら少し興味が湧いて、すぐ目の前にそびえ立つ、私の2倍はありそうな上腕二頭筋を触ってみる。固っ。カッチカチじゃんなんだこれ。力入れてたりするのかな?今。
「人の腕をバシバシ叩くな」
「いや、固いな〜と思って」
「鍛えているから当然だ」
いやたぶん当然ではない。私が毎日筋トレしたってこうはならないし。勇真のような筋肉バカだからこそ、高校の頃から毎日毎日飽きずにトレーニングして、今の屈強な体になったのだ。
そういえば、幼稚園からずっと一緒だけど、中学の頃まではどちらかというとガリガリの部類だったような。いつからこんな筋肉マッチョになったんだっけ。
思い出そうと記憶を整理しながら、大きな手に握られた小さな小さなシャーペンが動くさまを見ていたら、ふいにそれがノートへ倒れ、動きが止まった。
「
自信作なのだが、と勇真がドヤ顔でノートをこちらへ立てる。罫線の上には、体格に似合わない繊細な文字で、「筋肉手芸部」と書いてあった。また筋肉……コイツは筋肉が絡まないと何もできないのか。
呆れて何も言えずに、ノートに書かれたおよそ出会うことのないであろう組み合わせを見つめる。勇真は私の機嫌を伺うように、「麻琴」とこちらを覗き込む。小さい頃からお互い呼び方は変わらないよなあ。見た目はこんなに変わったのに。
「いや、筋肉から離れなよ」
「筋肉を活かした、人のためになる新しいサークルを作りたいのだ俺は」
「じゃあ普通に筋肉人助け部とかにすれば」
「それは既にある」
「イカれてんのかこの大学」
今適当に作った悪ふざけみたいなサークルが既にある?そんなアホな。ほら、と指差す勇真の手から、サークル紹介のチラシを奪い取る。入学式のときもらったような気がするけど、ちゃんと見てなかったな……。うわ、ホントにある……「筋肉人助け部」。
チラシには、他にも「筋肉焼肉サークル」、「お祭り筋肉部」、シンプルに「筋肉部」等信じがたいサークルの名前がたくさん載っていた。おい良いのかこんな無法地帯を許して。筋肉焼肉サークルに関してはマッチョが焼肉食ってるだけだろ。知らんけど!
もうこんなもの見ているだけで頭がおかしくなる。いくらスポーツ系の学部が多い大学とはいえ悪ノリがすぎるぞ……。チラシを勇真に返すと、またうーん……と唸ってノートをにらみ始めた。そんなに悩むなら既存のサークルに入れば良いのに。
「なんで自分で作ることにこだわるの?」
「しっくりくるサークルがないからだ」
こんなにも筋肉関連のサークルが乱立していて、しっくりくるものがないというのも逆にすごい気がする……。マッチョ達にもカテゴリーがあるのだろうか。というか、筋肉手芸部は人のためになるのか?
いや、でも1つ、勇真のやりたいことに当てはまるサークルがあったはず。
「人のために、って言うなら、筋肉人助け部とかピッタリじゃん」
むしろそのままじゃないか、とノートを指でトントン、と叩くと、勇真は顔を上げもせず、シャーペンを動かしながら答えた。
「しかし麻琴はそれに興味がないだろう」
「……え、は?私?」
「麻琴も楽しめるサークルでないと意味がない」
狭い教室に、低くて意志のある声が響いた。勇真はまた、ノートと睨み合いを続けている。
え、今なんて言った?私がなんとか言ってたような気がするけど聞き間違い?私も勇真も言葉を発さず、ただシャーペンがノートを走るサリサリ、という音だけが静かに聞こえる。
「じゃあこれはどうだ、麻琴」
机に立てられたノートには、「筋肉清掃サークル」の文字。私の答えを聞く前に、二重丸で囲まれてはなまるが描かれている。どうやら、勇真の中ではこれで決定らしい。いやいや、ちょっとなんなのこの展開。
「ちょっと待って、なんで私も一緒にやる前提なの」
「やらないのか?」
「ずっと私が入ることを考えてサークル考えてたの?」
「そうだが?」
そうだが?じゃないんだわこの暴走マッチョ人の話聞かないムキムキ男!昔からそう。コイツは全然人の話を聞かない。中学と高校の柔道部だって、なんだかんだで勝手にマネージャーに任命されて、6年間辞められず、毎日大量の柔道着を干すことになったのだ。私は部活なんか入らず悠々と帰宅部ライフを満喫するつもりだったのに!
何故か今回もまた、コイツの思惑通りになってしまいそうで腹が立つ。勇真のことは嫌いじゃないけど、勝手に人の入るサークルまで決めるのは違う。
「ホント昔から人の話聞かないよね!」
「そうか?」
「そうだよこのマッチョのくせに汗臭くないイケメンゴリラ!」
「それは怒っているのか?」
「怒ってるよ!」
両手で机を思い切り叩いて立ち上がると、すまん、と勇真が頭を下げた。いくら小さい頃からの付き合いとはいえ、もう我慢ならない。大学くらい好きにさせてくれ。なんだってコイツは、いついかなるときも私と一緒にいたがるのだ。別に、友達だってそれなりにいるはずなのに。
はあ、とため息をつくと、勇真が顔を上げる。久しぶりに見る、下がった眉。これ、小さい頃は癖だったのに、最近はしなくなったな。あの頃から比べたら、影も形もないくらい強いゴリラのオス……もとい人間の男になった。なんとなく昔のことが思い起こされて、その眉を見つめていたら、勇真がボソボソ話し始める。
「麻琴が、ずっと一緒にって……」
「私が?なに?」
「麻琴が、小学生のとき、ずっと一緒にいてって言ったから」
「ん?」
勇真が、巨体を縮こまらせて、私の目も見ずに口を尖らせる。これも、最近はあまり見なくなった昔からの癖。言いたいことがあるけど言いにくい時にやるやつだ。なに?と身を乗り出すと、突然太い腕が伸びてきて、少し汗ばんだ手で腕を掴まれた。
「ずっと一緒にいて麻琴を守ってって言ったから、鍛えて強くなったのに」
腕を掴む力が強くなる。痛くはないけど、必死に何かを伝えようとする意志を感じる掴み方。座ったままの勇真を見下ろせば、昔みたいな、いじめられっ子だったあの頃みたいな喋り方と目をしていた。でも、あの頃私の服の裾を掴んでいた小さな手はどこにもない。
小学校に入学したばかりの頃は、お互いにクラスに馴染めず、私は麻琴という男の子とも取れる名前のせいでいじめられていた。私も辛かったけど、勇真だって毎日体の大きい子に殴られて辛かったはずだ。でも、私の前では絶対にそれを見せなかった。強がって笑った勇真の目にたまる涙を、今でもまだ覚えている。
ずっと一緒にいて私を守ってなんて、言った本人でさえ忘れていたそんな小さな頃の約束を、勇真はまだ覚えていたのか。真面目で融通のきかない性格は、鍛えて得たものではなかったらしい。
「わかったよ、私もやるからちゃんと考えて」
「本当か!」
「筋肉以外ね」
最後の言葉はたぶん聞こえていないけど、まあ勇真が嬉しそうだから良いか。どうせ私も、コイツからは離れられない。
またシャーペンを取った勇真の笑顔にため息をつきつつ、もう一度サークル紹介のチラシを眺めてみる。わら半紙のような粗末な紙に、手書きの文字が所狭しと並んでいて見辛い。こんなに色んなサークルがあるのになあ……。
バスケ部、演劇サークル、お菓子研究会、様々なサークルの名前を流し見していると、チラシの下の方に、注意事項があるのを見つけた。あれ……?これって……。
「ねえ、サークル発足には最低3人必要って書いてあるけど」
注意1、と太字で書かれた字を勇真の目の前に持っていく。しばらくじっと見つめていると思ったら、問題ない、と呟いた。
「名前だけ学部の友達に貸してもらえばいい」
「そんなの勇真と私だけのサークルになっちゃうじゃん」
「それでいいんだ」
「はあ?人のために、じゃないの?」
それじゃあなんのために新しくサークルなんか作るかわからない。ただ部室が欲しいだけの中身のないサークルが作りたいみたいだ。別にそれが悪いとは言わないけど、それだと、勇真が言う、人のために、には当てはまらない。
「人のために清掃活動はするしな」
「いやまあ……そうなのかもしれないけど……」
というかもう筋肉清掃サークルで決定なんだ……という、自分がこれから所属させられるアホな名称のサークルが頭の中でエコーしているが、なんだか答えが勇真らしくない。みんなもそうだよな?みたいな感じで周りに結構自分の考えを押し付けがちなのに、私と2人で良いだなんて。
らしくないな、たぶん、言葉に出さずともそういう顔をしてしまっていたのだろう。私の顔を見て、勇真が笑った。
「2人きりでできるサークルが良いんだ」
「……はい?」
「麻琴と2人でいられる時間をもっと増やしたかったからな」
2人でいられる時間。その言葉は頭の中で反芻しているが、なんだか静かだ。窓の外はオレンジ色に染まり、外から聞こえていた、ラグビー部の怒号も聞こえなくなった。聞こえているのは、自分の心臓の音と、勇真がシャーペンを動かす小さな音だけ。
さて、と勇真が立ち上がり、荷物をまとめ始める。何事もなかったかのようにさっさと筆記用具を鞄につっこんでいるが、私は知っている。小さな頃から変わらない、勇真の秘密。
「さて、帰るか」
一生懸命平静を装った声で、大きな背中が扉へ向かう。鞄を持ってゆっくり後ろから近付けば、やっぱりそうだった。どんなに鍛えても、体質までは直せない。
「ねえ」
「なんだ」
「じゃあ、ずっと一緒にいてよね」
2人きりでいたい。たぶんずっと考えていたのだろう。だから新しくサークルを立ち上げることにこだわっていたのだ。不器用な勇真の気持ちが、なんとなく理解できて笑ってしまう。サークルなんか作らなくても、私は勇真の側を離れないのに。
背を向けたまま、当たり前だ、と呟いた勇真の、夕焼けみたいに真っ赤に染まった小さな耳を愛おしく思いながら、大きな腕を抱きしめた。
不器用な筋肉 蔵 @kura_18
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