沖浦数葉の事件簿 ー恋する筋肉ー 【KAC20235】

広瀬涼太

恋する筋肉

「……ねえ、腕相撲、しない?」


 昨夜の告白が、虫の乱入でうやむやになった後。

 気が重かったが、いつも通り理数部の部室である生物室に向かう。さすがに俺も、あの深夜の散歩の話はもう終わった、などと言うつもりはない。

 ないんだが……幽霊部員ばかりで実質二人だけの部活とは言え、学校でこんな話して大丈夫か?


 そんな不安を抱えたまま部室の扉を開けると、先に来ていた数葉が、また予想外のことを言い出した。


「腕相撲……?」

「……ん」

 そう言いつつ数葉が、右手を差し出してくる。

「いや待て、立ったままするもんじゃないだろ。せめてあっちの机に……」

 あれ、何か勢いで腕相撲することになってる?


「……レディー……ゴー」

 というわけで、いまいち気の抜ける数葉の掛け声とともに、握り合った腕に力を込める。

 加減がよくわからないんだが、少しずつ腕に力を入れると、二人の腕は傾き、一気に横に倒れた。


 男子の中で俺は最弱クラスであるが、さすがに女子最弱には負けない。

 負けた数葉は無念そうな表情で、こちらを睨み付けている。


「……三回勝負、いや、十五番勝負」

「十五番って多すぎだろ。大相撲本場所かよ」

 そういえばこいつ、見かけによらず結構な負けず嫌いだった。


「そもそもなんで、急に腕相撲なんて言い出したんだ」

「……私は体を鍛える。ゲンは女性恐怖症を治す。Win-Winウィンウィン

 ああ、やっぱりそんなことを考えてたか。


「俺がWinで数葉はLoseだろ!? 腕相撲は筋トレじゃねえよ」

「……毎日30回とか繰り返せば」

 どんなバカップルだ。


「知ってるか? 腕相撲で骨折した人もいるんだぞ」

「……じゃあ、尻相撲は? 足腰の鍛錬になりそう」

 なるのか? ほんとに?

「今はまだ、女子と尻相撲とか、心臓の負担が大きそうだ」

 表に出さないように抑えてるが、すでに腕相撲の時点でちょっと。


「……じゃあ、指相撲」

「まあ、それくらいなら……」

 あれ、なんか術中にはまってる?

 まず大きな要求をして、そこからレベルを下げると通りやすくなる、という。


「……ドア・イン・ザ・フェイス、成功」

 うわやっぱり。

 それでも、やっぱりめたとは言えん。

 もう一度、数葉と手を握り合う。今度は、指相撲の形で。


「……レディー……ゴー」

 合図とともに、親指と親指がぶつかり合い、そのまま動きが止まる。


 あれ、指相撲ってこんなのだっけ?


「これ、親指で相手の親指を押さえ込んだ方の勝ちだよな」

「……そうだったと思う」


 相手に上を取られたら不利なので、互いに上に伸ばした親指を突き合わせたまま、身動きが取れなくなっている。

 これ、親指一本だけでなんとかできるもんなのか?


「……この勝負、先に動いたほうが、負ける」

「バトル漫画か! それこそずっと勝負つかないやつだろこれ」

「……や、指相撲初めてだからよくわかんない」

「俺だって初めてだからな」

「……ふふっ、初めて同士、だね」

 そう言いつつ数葉は、普段は見せない柔らかい表情で笑う。


「妙な言い方するなよ。人に聞かれたら誤解されるだろ!?」

 数葉に笑顔を向けられて動揺したか、それまでの緊張のせいか。急に俺の右腕の筋肉が震えだした。

 ふと気付けば、いつの間にか数葉の右腕も震えている。


「……筋肉が、共鳴する……」

「だから急に中二病発症するなって。一旦離れよう」

「……にゃあっ!? 指が、指がった!」

「っ!? 力抜いて……うわ、変な力の入れ方したから、こっちも指が固まってる!?」


    ◆


 左手も使って、なんとか二人の手をほどくのに、思ったより時間がかかってしまった。


 俺は固まった筋肉をほぐすように指を動かす。

 一方の数葉は、机の上のスマホをつついて、何かを検索していた。


「……相撲……いろいろ」

「なんでそんなに相撲にこだわる?」

 俺の問いを無視して、数葉は検索結果を読み上げる。


「……首相撲」

「それはムエタイか何かの技みたいなもので、単独の競技じゃないぞ」

「……草相撲」

「二本の植物の茎で引っ張り合いして、切れたほうが負けってやつだ。訓練にも何にもならなそうだが」

「……ん? もう一つ、あるみたい」

「ああ、そうだった。確かプロの大相撲に対してアマチュアの相撲を草相撲って言うみたいだな。競技自体は普通の相撲だ」

「……んー……普通の相撲、する?」

「し・な・い! もっと心臓に悪いわ!」


 それじゃあ、と数葉は検索結果から次の候補を上げる。

「……恋相撲こいずもう……」

「鯉? 魚の?」

「……ううん、恋愛の恋」

「いや、聞き覚えのない言葉だが……女性を賭けて、男二人で勝負でもするとか」

 だったら俺たちには関係がなさそうだが。


「……あ」

 なおもスマホをいじっていた数葉が、小さな声と共に動きを止める。その顔がみるみる赤く染まっていった。

 そのまま数葉は、ぎこちない動きで首を回し、こちらに顔だけを向ける。


 なんかその挙動、嫌な予感しかしないんだが。

「……せ、性行為の隠喩いんゆ

「アカーーーン!」


 こうやってまた、貴重なはずの部活の時間が流れてゆく。


 なんというか、俺の女性恐怖症が治ったら、一気にバカップル化しそうで怖い。


―― 了 ――

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