リスタート
毎日ラジオ体操に通ってるうちに、沙也加の気持ちに変化が起こってきた。
筋肉痛に悩まされた最初の数日が過ぎると、身体がすうっと軽くなった。朝ちゃんと起きて身体も軽くなると、気持ちも軽くなった気がした。
学校に行っていなかった辰也が毎日家にいて、遊んでほしいだの、宿題をみてほしいだの、言ってくるからっていうのもあるかもしれないし、赤ん坊のふにゃっとした笑い顔に癒されるからかもしれない。
健全な生活が、精神も健全にしてくれる。当たり前のことのようだけど、それが実感できた。
夏休みが終わる二日前。沙也加はショッピングモールで偶然あの青年と出会った。毎朝会っているのに、違うところで出会うとなんだか気恥ずかしい。会釈だけして通り過ぎる。
「あの! お急ぎですか?」
呼び止められて振り返ると、青年が赤い顔をしてお茶に誘ってきた。こんなおばさんと話がしたいのか、と思ったけど、暇だったので誘いに乗る。
「僕、実はあなたのこと、最初から知っていたんです。高校のとき、生徒会にいらしたでしょう? 僕は中等部でクラス委員だったんです」
ずいぶん古い話を持ち出されてびっくりする。それから懐かしい思い出話に花が咲く。
「沙也加さん、夏の初めに筋肉痛になったでしょう?」
沙也加が帰ってくることになった原因をつらつら愚痴っていると、颯が不意に話を変えた。
「それがどうしたの?」
「筋肉痛って筋肉についた傷を修復しようとしているんです。それでね、傷が回復したら、その前よりも強くなるんです。だから、傷ついて帰ってきた沙也加さんも、帰ってきて回復してきたなら、前よりもっと強くなれているはずですよ」
こいつ! なんていいことを言うんだ。思わず感動してしまう。
都会から仕事を辞めて帰ってきて、なんだか負けた気になっていたけれど。なんだかもう、そんなことどうでもいいような気がしてきた。
都会の大企業で業績を競い合って仕事するのも悪くはなかった。朝シャキッと起きてピシッとスーツを着てバッチリメイクして。満員電車にぎゅうぎゅう詰め込まれ、充実してたけど疲れが溜まってたんだな、と改めて思う。嫌なことが重なったのは偶然で、潮時だったのかもしれない。
「ありがとう! なんだか、ふっきれた気がする」
颯は優しく微笑んだ。
九月。新学期になって、辰也は学校が始まる。ラジオ体操は終了。
だけど、沙也加は前日までと同じ時間に起きて公園へ向かった。真新しいジャージと運動靴で。
公園に着き、靴ひもを結びなおしてしなやかに身体を伸ばす。夏の間のラジオ体操で、身体はすこぶる軽くなっている。
うん。ここから始めていこう。この地元で、もう一回やり直そう。今日から就活だ。
颯が笑顔で手を振るのが見えた。
ラジオ体操 楠秋生 @yunikon
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