撮影が終わって

 パァァァァァァァァァァン!!!


 そんな音が自分の耳に響き渡った。

 音を認識した直後、自分の頬に激しい痛みが走る。


「い゛っだッ!?」


 澄み渡る青空、少し肌寒い秋の風。

 そして、腕を振り抜いたと思われる有栖の姿が視界に映っていた。


「おい、またかお前」

「えぇ!? 恩人に対しての反応がまたしても辛辣!?」


 頬に走る痛みの元凶に詰め寄ると、有栖は驚いたような反応を見せた。

 とはいえ、こんな展開に関しては文化祭の時と合わせて二度目だ。徐々に視界に映った周辺の状況が、現実に戻ってきたのだと教えてくれる。

 心配そうにこちらの様子を窺うスタッフの人達。それと、カメラを片付ける姿や、俺達に一目もくれずにパソコンと睨めっこする健吾さん。

 そして———


「お疲れ様です、先輩」


 ピトッ、と。赤くなった頬に冷ややかな感触が訪れる。

 背後を振り返ってみれば、坂月が俺にスポーツドリンクを頬に押し当てていた。


「うわ言でぶつぶつ喋っていた時、結構気持ち悪かったですよ?」

「マジで?」

「マジマジ。目が虚ろだったのも更に後押し」


 そんなに気持ち悪かったのか。

 戻って来れないと醜態を晒してしまうということを始めて理解した。早急になんとかしないと。


「まぁ、でも仕方ないよ。それだけ役に成り切ってくれたってことだからね」


 有栖が優しく頭を撫で始めてきた。

 恥ずかしいので振り払おうとしたのだが、頭に伝わる温かな感触が困憊した脳を癒してくれているようで腕が伸び切れなかった。

 情けない。そう思いつつも、体が自然と身を委ねてしまう。


「うわぁー……先輩、こんな顔するんですね。不良、やめたらどうです?」

「ふふっ、可愛いでしょ?」

「確かに可愛いと言われればギャップがあって可愛いとはおも……って、なんで幾多先輩が誇らしげなんですか?」

「桜花くんがこうなったのも私のおかげって言っても過言じゃないからね!」

「私のせい、なのでは?」


 いいぞ、坂月。もっと言ってやれ。


「よーし、Vチェック終わった!」


 頭を撫でられていると、離れたところで背伸びを始めた健吾さんの声が聞こえてきた。

 どうだったのだろうか? ふと気になる。

 ……何せ、途中からまったく記憶がなかったからな。


 カメラワークは無視。

 記憶がなく、こうして急に現実が訪れたということは、俺が役に成ったままこの時間まで過ごしてきたということだ。

 どうカメラに写っている? まさか、俺のせいで作品が―――


「大丈夫だよ」

「あ?」

「カメラマンさんも、ちゃんと優秀な人たちだから。まぁ、私も途中から無視していたし、あんまり言えた立場じゃないんだけどね」


 有栖が安心させる言葉と自虐気味の苦笑いを向けてくる。

 正直、今回は文化祭の時とは違って……有栖のことが認識できなかった。

 飲み込まれるような、自分という役が剥がれていくような、そのような感覚はない。

 それは俺の役への成りが高まったからか、前より意識した解釈が深くなったからかは分からない。

 ただ、今はいい方向に転がっているのだと願うばかりだ。


「お疲れ様、二人共」


 Vチェックが終わった健吾さんが手を上げてゆっくりとこちらに近づいてくる。


「いやぁー、桜花くん。随分と全力投球してきたじゃないか。おかげでうちのカメラマンが汗だくだよ」

「す、すみません……」

「いやいや、別に怒ってるわけじゃないんだ。元々、こういう意味で君をキャスティングしたからね。野乃ちゃんの教えガン無視で笑っちゃったけど」

「まったくですよ」


 後ろで坂月が頬を脹らませて俺の背中を叩く。

 以前有栖から受けたパンチよりも強い。それほど怒っているということだろうか?


「おかげで私がすっごい苦労したんですからね!」

「あ、V見たよ! 流石は野乃ちゃん!」

「幾多先輩が褒めてくれたので許してあげます!」


 フォローありがとう、有栖。


「実際、野乃ちゃんに助けられた部分はあるよね。そういった意味では、まだまだ精進が必要なのかも」

「……頑張ります」

「ただ、それと今回の絵が悪かったかはまた話が別だよ」


 そう言って、健吾さんは俺達に向かっていい笑顔を向けてきた。

 一緒に親指も突き立ててきて。


「迫真に迫ったいい演技だった! 皆、おかげでいい作品が作れそうだ!」


 それを受けて、俺……だけでなく、有栖や坂月までもが自然と滲み出る笑みが浮かんだ。

 まだ、有栖は別撮りで撮影する部分がある。

 それでもこんなことを言ってくれたということは、今の段階でそう確信ができるということだろう。


 初日はどうなるかと思った。

 有栖がいつもの有栖ではなくなり、俺はどちらを選べばいいか分からなくなった。

 結局、有栖の期待を優先し、皆の期待を裏切る芝居をしてしまったはず。

 しかし、蓋を開けてみた現実は健吾さんのいい笑顔。

 横にいる有栖も、クランクインした当時とは比べ物にならないぐらいの明るさが戻っている。

 それらが嬉しくて、胸の内に温かい安堵と、溢れんばかりの達成感が込み上げてきた。


「っていうわけで、気になったらVをチェックしてみるといいよ。声かけてくれたら、いつでも見せるからさ」


 そう言って、健吾さんは手を振りながらスタッフ達のところへ戻っていってしまった。

 取り残された俺達。そのあとすぐ、坂月はもう一度俺の背中を叩くと、ゆっくり健吾さんの言った方向へ足を向け始めた。


「私はちゃんと先輩の手綱を握れたか確認します。こういうのはちゃっちゃと見ておかないと、あとあと忙しい時に声をかける羽目になっちゃいますからね」

「叩く必要あったか?」

「頑張った私はこれぐらいしてもいい権利がありますので」


 まぁ、今回坂月に迷惑をかけてしまったのは本当みたいだし、文句は言うまい。

 事実、坂月に教えてもらったことを無視して役に没頭してしまったからな。


「早く両方できるようにならねぇとな」

「そうだね。でも、桜花くんならできるよ」


 残った俺と有栖。

 少しだけの静寂が二人の間を包み込む。

 だが、その静寂を切り裂くかのように、先に口を開いたのは有栖だった。


「……ありがと、桜花くん」

「は? どうした、急に」

「これだけは、ちゃんと言っておきたかったからさ」


 有栖は俺の正面へと回る。

 そして、座っている俺にへと顔を近づけて―――


「これ、お礼ね」


 ふと、頬に柔らかい感触が襲った。

 何をされたか? そんなの、眼前に迫った有栖の顔を見ればすぐに分かった。


「お、おま……っ! 何を!?」

「およ? もしかして、お口じゃなくて不満?」


 少しだけ頬を染め始めた有栖がからかうような瞳を向けててくる。


「そういうわけじゃ───」

「お口はね、ちょっと待ってね」


 俺が言おうとした言葉を、有栖は遮ってくる。

 その代わり、有栖は澄み切った青空を背景に満面の笑みを浮かべた。



「ちゃんと私の隣に来てくれた時に、次は私のファーストキスをあげるから!」



 誰が見て、誰が聞いていてもおかしくない場所で、有栖はそんなことを口にする。

 あまりに自由奔放。マイペース。

 俺はそんな有栖を見て、戸惑いよりも「仕方ないな」と、そんば気持ちが上回る。


「こんの、小悪魔め」

「ふふっ、桜花くんのはそういう女の子なんだぜ♪」


 多くは言わない。

 それでも、俺達は吹き出すように笑ってしまった。

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