手綱
(※野乃視点)
リハが終わり、いよいよ本番。
今日は昨日撮影していたシーンの続きから撮ります。
といっても、今日で撮影は最後です。
学校を押さえるなんて、中々できませんからね。
尺の多い
今は私と先輩だけが教室に残り、撮影が開始されました。
そして───
(やりやがった……ッ!)
私は内心で歯噛みをします。
今は教室の隅っこで机を合わせ、彼氏役である先輩と恋人同士のやり取りを描くシーン……なのですが、私は現在進行形で少しでも気を抜けば崩れ落ちてしまいそうな感覚に陥っていました。
それは、どうしてか?
【なぁ、
この場面は『あなたは私以外の女の子にどんな顔をしているの?』という歌詞部分。
そのため、私達を囲むように設置されたカメラは全て先輩の顔をフレームに収めようとしています。
けれど、先輩は───
(カメラワークガン無視ですか、こんちくしょう!)
先輩の体がゆっくり近づいてきます。
カメラは
これでは、主人公の想い人がどんな顔をしているのかを見せたいのに、私というノイズが観ている人間の意識を別のベクトルに向かせてしまいます。
だから、私はそっと身を逸らしてフレームの構図を調整しました。
(昨日の方がやりやすかったのに……ッ!)
昨日の先輩はちゃんと俯瞰してカメラの位置を把握、フレームを意識して動いていました。
でも、今の先輩からはそんな意識が感じられません。
撮られているなど自覚していないかのように。私と触れ合いたい彼氏みたいに。
初々しく、熱の篭った瞳。初めての彼女だからか、体は堅くて動きもどこかぎこちない。
どこまで近づいたらいいのか分からないからか、確かめるようにゆっくり近づいてくる。
……えぇ、分かってますよ。
間違いなく、この人は私の彼氏です。先輩は、自分の才能に舵を切ってしまったんです。
(教えたことが全部無駄!)
気を抜けば飲み込まれる。
瞳と雰囲気に、全てが持っていかれてしまう。
こんな顔をカメラに向けてくれれば、きっとリアリティが増したいい絵が撮れるでしょう。
流石は幾田先輩が認めた役者。イメージを鮮明に描き、イメージを具現化してみせる演技力。成り切ることに関して言えば、頭一つ抜けていると言ってもいいでしょう。
【やっぱり、
けど、もう無茶苦茶だ。
もはやこのままでは演出家さん頼りになりかねない。
(ははっ、私が手綱を握れってことですか)
この未熟で光る
文化祭の時に、幾田先輩がしてみせたことを、私が。
私は幾田先輩達よりも出番が少ない
だからこそ、その他を光らせるために影に徹しなければ。
(上等ッ!)
先輩が動く行動を予見しろ。
俯瞰で得た情報でインプットとアウトプットを繰り返せ。
誤差を少なく、さも自然な動作としてカメラのフレームに収まる構図の対比を調節する。
足に力が入った。立ち上がる。横にくる。隣に座っていいのか迷ってる。ならすぐには動かない。あくまでゆっくり。座る位置をなんとなく変えるようなイメージで。ほら座った。カメラの向きが変わる。なら私はこっち。視線を誘導。右に逸らして先輩の顔を引っ張る。口が開いた。視線を戻せ。喋る、私も写る。反応は彼女らしく。対比は七、三。いや、八、二。それで───
(このじゃじゃ馬め……!)
思考が止まらない。
こんなに乗りこなすのに苦労する
ただ下手ならまだやりようはあるのですけど、なまじ芝居のクオリティが高いのでいつも以上に頭を使ってしまいます。
(それでも───)
私は坂月野乃だ。
子役からこれまで芸能界で生き残ってきた幾田先輩と同じ世界に立つ女優。
幾田先輩ほどの才能はありませんが、技術においては負けるわけにはいきません。
(演出家の仕事なんか増やしませんよ)
私が、
♦️♦️♦️
「あ゛ーっ、疲れました!」
カットが入り、私はすぐさま脇に逸れて椅子へと腰をかけます。
すぐに水分補給。脳にどっと疲労感が押し寄せてきているため、水でも飲まなきゃやってられねぇです。せんぱいのあほんだらー。
「お疲れ様、僕の娘」
私が水を飲んでいると、マネージャーではなくパパが袋に入ったチョコを渡してくれます。
脳を使いすぎたから糖分も補給しろってことでしょう。
「Vのチェックはいいんですかね?」
「確認したから大丈夫だよ。いやー、流石は僕の娘だ! おかげでいい絵が撮れたよ。桜花くんも迫真のリアリティ増し増しで凄かったし、文句なし!」
「……ならよかったです」
途中にカットが入らなかったので大丈夫だろうとは思っていましたけど、実際に言われて少しホッとしてしまいます。
何せ、今日はここ最近の撮影の中でも一番神経使いましたからね。
「しかし、先輩には困ったものですよ」
離れた場所に座っている先輩を一瞥します。
何やら上をずっと見上げてボーッとしていますが……大丈夫なんですかね?
先輩の撮影は幾田先輩との締めが残っているのに。
ちなみに、私の分は先程これで終わりました。
「まぁ、野乃ちゃんの言いたいことは分かるよ。僕だって、そっちの方がよかったし。けど、僕が買ったのはこっちの才能だったからね」
そういえば、パパが先輩を選んだのは役に成り切る才能でした。
なら、これもパパの想定の範囲内ですか。
「……ってことは、私を選んだのは手綱を握らせるためですか?」
「ん? あぁ、違うよ。言ったじゃん、野乃ちゃん達は先にキャスティングが決まってたって」
でも、と。
パパは私の頭を撫で始めました。
「野乃ちゃんがいたから、竜胆くんをキャスティングしたっていうのはあるかな。僕の娘なら、作品をしっかり調整してくれると思ってね」
娘としてではなく役者としての私を信頼してくれた。
パパは私情を挟まない人だっていうのは知っています。
だからこそ───
「……最近は私を子供扱いする人が多くねぇですかね」
嬉しく思ってしまいました。
素直に口にするのは絶対にしてやらねぇですけど。
「でも、こっからかな」
パパは先輩の方に視線を向けます。
……そうです。次からは私がカメラに写ることはありません。
「有栖ちゃんの実力は僕も認めているけど、手綱を握るっていう面では野乃ちゃんに劣るからねぇ」
文化祭の時は、上手く握れていました。
しかし───
「今日の先輩はヤバいですからね」
文化祭の時に見た先輩ではありません。
それは一緒に芝居をして実感してしまいました。
「さて、うちの演出家達の腕が試されちゃうかなぁ」
もう、手綱を握る人はいません。
それでも、パパの顔は嬉しそうで……新しい玩具を試す子供のようでした。
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