撮影二日目
重い瞼を上げながら、今日も俺は撮影現場へと訪れた。
集合時間よりも少し早めに現場入りしたというのに、スタッフの皆はすでに集まって準備をしている。
だからからか、集合時間に遅れているような感覚になって一瞬だけ気まずく感じてしまった。
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
『『『『『よろしくお願いしまーす』』』』』
昨日と同じ反応。
作業しながら口にするスタッフの人達を見て「忙しいんだな」と、思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「おはようです、先輩」
そんな時、ふと横から声をかけられる。
視線を向けると、そこにはおにぎりを食べながら椅子に腰を下ろしている坂月の姿があった。
「おう、おはよ」
「お社長出勤、先輩がビリケツですね。新人は一番早く来なきゃいけないんですよ?」
「社長出勤じゃねぇよ……まぁ、悪かったな。ちゃんと肝に銘じておくよ」
これでも集合時間よりも前についたんだが、確かに坂月の言うことはごもっともだ。
次の機会にはもう少し早く現場に入ることにしよう。
「っていうことは、有栖はもう来てるのか」
「来てますよ、ほら」
そう言って、坂月は廊下の奥を指差した。
そこには、見慣れた少女がスタッフの人に頭を下げている姿があった。
スタッフの人は小さく笑いながら有栖に手を振っている。少しすると、有栖はまた別の人に声をかけて同じように頭を下げ始めた。
「一番早くに来て、さっきからずっと皆に謝ってますよ」
「ほんと律儀だな、有栖は」
「調子が悪い時なんか誰にだってあります。皆もそんなことは分かっているはずなんですけどね、幾多先輩は気が収まらなかったんでしょう」
有栖らしいというかなんというか。
だが、しっかりと自分が迷惑をかけた分の筋を通している姿は好感が持てる。
「……私じゃダメだったみたいです」
ふと、坂月が頬を脹らませながら唐突に口にする。
なんの脈絡もなく、ただ流れを無視して言葉を続けた。
「でも、今の幾多先輩は昨日とは様子が全然違いました。今まで通り……いいえ、なんか憑き物でも取れたみたいに雰囲気が晴れ晴れとしています」
確かに遠目からではあるが、頭を下げている有栖の顔には笑顔が浮かんでいた。
謝罪をしつつも、スタッフの皆と楽しそうに笑っている。
その姿からは、昨日の撮影の面影が残っていない。坂月の言う通り、吹っ切れたような姿に見えた。
「悲しいなぁ」
「あ?」
「私じゃダメだった。励ましてあげられなかった。幾多先輩のこと、大好きなのに」
坂月は椅子の上で膝を抱えて顔を埋める。
本当に坂月は有栖のことが好きなようだ。力になれなかったことに対して悔しさを覚えてしまうぐらいに。
そんな坂月を見て、俺は思わず彼女の小さな頭を撫でてしまった。
「……なんです?」
「つい、な」
「子供扱いしないでください。私は先輩のお師匠ですよ」
それでも、一人の女の子には変わりない。
有栖のお願いであったからとはいえ、世話になっている人間が落ち込んでいれば慰めたくもなってしまう。
まぁ、子供扱いしているのは間違いない。
「あいつの気持ちは知らんが、お前が心配してくれたことは嬉しかったんじゃねぇの?」
「そう、ですかね?」
「少なくとも、俺だったらこんなに心配してくれる後輩がいたら嬉しいけどな」
有栖が立ち直れているのも、坂月が心配してくれたおかげというのがあるはずだ。
決して悲観することではない。上から目線の言葉になってしまうが、人が自分を見てくれようとしているっていう姿勢は誰にだって響くものだ。
俺だって、きっと落ち込んだ時に心配してもらえたら嬉しい。
なら、有栖だって同じはずだ。
だって、俺達は―――
「……はぁ、やっぱり幾多先輩が元気になったのも先輩のおかげですか」
唐突に坂月は自分の頬を思い切り叩いた。
そして、勢いよく顔を上げる。
「うん、元気になっているんだったらオールオッケーです! 撮影前、切り替えていきましょう!」
「おう、その意気だ」
「だから、先輩は私の弟子なんですって。上から目線はやめれ」
「はいはい、悪かったよ」
俺は坂月の視線を受けて肩を竦める。
どうやら、子供扱いをしているのが気に食わないみたいだ。
一度大人になったからか、どうしてもこの歳の人間を見るとついついこういう対応をしてしまう。
いつか坂月に本気で怒られそうだし、注意しておく必要があるかもしれない。
「あ、桜花くんおはよー!」
坂月と話していると、廊下から有栖がこちらに向かって手を振りながら駆け寄ってきた。
恐らく、スタッフの人達に謝罪し終わったのだろう。
駆け寄ってくる姿が小動物のようで、とても可愛らしかった。
「おう、おはよ」
「にししっ、社長出勤かな? 後輩くんは誰よりも先に現場に入るもんなんだぞー?」
「それはもう聞いた」
やって来るなり、有栖はからかうような笑みを浮かべる。
その表情は、やはり昨日の面影などどこにも見られないほど清々しいものであった。
「もう大丈夫そうだな」
思わず口から言葉が零れてしまう。
すると―――
「だって、桜花くんが私の傍にいてくれるって言ったから」
嬉しそうに、それでいて安心しきったように、柔らかい瞳を向けてくる。
瞳にはどことなく熱が篭っているような気がして、受けた俺の心臓が唐突に一瞬だけ跳ね上がった。
「そう言ってくれただけで、もう私は寂しくないって思えるようになったしね」
「……そっか」
俺は跳ね上がった心臓を誤魔化すように、有栖の頭を優しく撫でた。
有栖は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、すぐさま猫のように目を細めて手に体を預けてくれる。
そうしていると、横から坂月のジト目が突き刺さった。
「……なんで私は幾多先輩達のイチャコラを見せられているんですか」
というより―――
「私だって幾多先輩の頭を撫でたいのに!」
「えー……後輩に撫でられるのはちょっと」
ただ単に嫉妬しているだけだろう。
少し気分がいい。もう少し坂月に見せつけてやろう。
「でもさ、桜花くん」
「なんだ?」
「寂しくないんだって思えるようにはなったけど……私はまだちゃんと証拠はもらってないよ?」
試すような、問いているような言葉。
向けられた顔には、挑発してくる子供みたいないたずらめいた笑みが浮かんでいた。
それを受けて、俺も釣られるように笑う。
「あぁ、見てろ。俺が証明してやるよ」
だから―――
「俺に負けんなよ、有栖?」
「誰にもの言ってるの? 私は桜花くんよりも天才ちゃんだよ?」
俺は手を離し、スタッフのいる方へと足を進める。
途中、準備を促すような声が聞こえた。準備が終わって撮影を始めるのだろう。
これはドラマや映画とは違ってMVだ。撮影前の読み合わせはなく、まずはリハから入る。
―――リハだからといって、抑えることはしない。
俺はやるべきことをやると決めた。
故に、もう迷うことなんてあるはずがない。
(意識しろ……)
歩きながら、ゆっくりと思考を切り替える。
後ろをついてくる坂月と有栖は、もう思考の中には入れない。
イメージするのは彼女ができた男子高校生。好意を寄せられている主人公には気づかず、青春の真っ只中を楽しんでいる男。
解釈をもっと深く。
きっと、明るく活発な子なのだろう。
誰よりも好かれていて、クラスでは人気者の立場にいるはずだ。
そうでなければ、一度に二人の女の子から好意を寄せられるはずはない。
設定上、彼女と主人公の関係にあまり深いものはなかった。中学校時代からの友人だとか、幼なじみだとか。
ただのクラスメイト。なら、二人から好かれているこの男は人気者の枠にいるような人間だろう。
坂月は青く眩しい新鮮な恋という感情を向けている相手。
有栖はクラスメイトであり、人気者である男の彼女の次に親しい友人という位置。
その枠組みは固定して、自分の器全てを空っぽにする。
注ぐのは自分とは違う
画用紙を広げろ、竜胆桜花とは違うキャラクターをインクとしてペンを持て。
そして———
(さぁ、今日もやるぞ)
染め上げろ。
幾多有栖という
追っていた女の子が、もう寂しい思いをしないために。
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