撮影開始

 坂月から稽古を受けていた時はイヤホンをつけていたが、本番でつけることはない。

 単純に見栄えの問題だろう。映っている人間の耳にイヤホンでもしていれば、一気に自然感は減少してしまう。

 かといって、大音量で曲を流すわけにはいかない。

 今回で言えばセリフが入るシーンが必ずあるため、余計な音が入ってしまえばセリフが拾えなくなる。

 だから本番では何も曲は聴こえない。

 だから、頭の中でどのフレーズの時にどんなメロディが流れ、何をするべきかを思い浮かべなければならないのだ。


(……大丈夫だ)


 俺は慌ただしくなった空間で一人緊張を抑える。

 窓の前に立つようにしているため、視界には澄み切った青空と広々としたグラウンドが広がっていた。

 俺と坂月の開始位置はここ。

 台本では、ここで付き合っている子───坂月と楽しそうに談笑しているところへ、付き合っていると知ってしまった片想いをする主人公───有栖が入ってくるというシーン。

 歌詞で言えば『君が私以外の誰かと笑っていた』というところだろう。


(俺は主人公ありすの気持ちに気がついていない、ただの想い人。ただ彼女さかつきを好きな男の子だ)


 主人公の解釈データは仲のいいクラスメイトで固定する。

 もし好意を知っていたという要素が入っているなら、彼女さかつきと付き合って教室で堂々と笑っていたりなんかしないから。


 ───撮影はすでに始まっている。


 今頃は、有栖が登校しているシーン……廊下を歩いているところ。

 カメラは教室の入り口に一台、全体を写すためのカメラが中央端にもう一台。そして、俺達の横を写すように配置されているカメラが坂月の横に一台。


(……この内、俺を捉えているのは入り口以外の二つ。だが、メイン軸として写らないといけないのは坂月の横のみ)


 坂月を挟むように設置してあるカメラのフレームは間違いなく坂月ではなく俺をメインとして撮るためだろう。

 ならば、意識しなければいけないのは間違いなくこっち

 ノーカットでできるだけ撮るこの撮影はいつ捉えてくるか分からない。


(だから、もう切り替えろ)


 カメラの位置は俯瞰で把握した。

 だから、頭の中の意識を俯瞰に三、想像イメージに七の配分で割り振るよう思考を切り変える。


 ───染みろ。


 空っぽの自分を少しだけ俯瞰のために残して、それ以外を付き合って青春を謳歌する男に成り切る。

 横にいる彼女さかつきはにっこりと笑みを浮かべていた。もう、役として始まっているのだろう。

 だから───


【この前のさ、ドラマ面白かったな】


 ───染みろ。

 芝居の開始だ。



 ♦️♦️♦️



(※野乃視点)


 先輩がセリフを発した。

 使われるかどうか分からないセリフを。


(始めやがったですね)


 いきなり先輩の雰囲気が変わりました。

 凄く楽しそうに、今という青春に幸せを感じている若人のように。向けられている表情が無邪気で明るく、声の抑揚も高い。

 瞳は真っ直ぐに私に向けられていて、私を大事にしているというのが伝わってきます。


(まるで私にお熱な彼氏ですね……これが先輩の才能)


 先輩の面影なく、一瞬で切り替わる。

 それはどことなく幾田先輩に似ている気がします。

 ですが、なんでしょう───? まだ、前の時の方が迫力があったような気がするのですが。


(……まぁ、それはそれ)


 こっちは何時でも準備おーけーですし、問題はありません。

 私を捉えているカメラは計二台。一台は全体を写していますが、もう一台は私達です。

 でも、角度からして撮りたいのは間違いなく先輩。

 想定している『君が私以外の誰かと笑っていた』という歌詞に合わせるためでしょう。


【でしょ! 私のオススメは外れないから!】


 であれば、私がするべき行動は───


(先輩の顔が強調されるようフレームの中の対比を考える)


 先輩と話しながらも、そっと体の位置を後方へズラす。

 すると、先輩は私の顔を覗き込むようにして体を割り込ませてきた。


(おっと……流石ですね、先輩)


 なるほど、色が薄いって思ってしまったのはこのせいですか。

 たった一ヶ月そこいらで全てを完璧にこなせる人などいません。

 先輩はそれを理解して、役に成り切ることを少し抑えてカメラワークに意識を削いだんですね。

 おかげで、カメラに写っている先輩は恐らく楽しそうな顔がよく写る構図になったでしょう。私もしっかりフレーム内に収めながら。


(上出来です! それでいいんですよ!)


 欲を言えば、100%の成り切りを見せた上でカメラワークを意識ほしかったですが、一ヶ月そこいらであれば花丸。っていうより、同世代でそのレベルは幾田先輩ぐらいでしか届かないですもん。

 だから、万々歳。正直に言うと、私の後輩や同じ事務所に所属している先輩達よりも今の先輩の方が上手だって思ってしまいます。


(ははっ、ちょっと嬉しいですね)


 自分が教えたことをしっかりと吸収してくれる。

 初めは先輩のお願いでも少し面倒くさいと思っていましたが、こうして本番にしっかりとできてくれるところを見たら教えたかいが生まれて嬉しく思ってしまいます。


(ほんと、先輩は役者の才能がありますよ)


 さて、集中です。


【特に最終回手前の二人のシーン!】

【凄かったよな! あそこで思わず涙が出たよ!】


 恐らく、このセリフは使えない。

 けど、楽しそうな会話としてしっかり絵にはなっているでしょう。

 先輩のキャラクター像がリアリティありすぎて、まるでの言葉がよく当て嵌っていますから。


 そして───


【本当に、お前はドラマのセンスがあるよ!】


 ガラガラッ、と。先輩が綺麗な笑顔を浮かべた瞬間に教室の扉が開かれました。

 しばらく視線は向きません。楽しそうな会話をしているという絵を見せなきゃいけないですから。

 それが分かっているからか、先輩もセリフを続けます。

 それで、幾田先輩がアクションを起こしてきたら私達は初めて主人公いくたせんぱいを認識するんです───


(……あ、れ?)


 でも、何も音が聞こえてきません。

 ドアが開いてから、何もアクションが起きたような足音も物音も聞こえ───






「どう、して……ねぇ、どうしてなの……?」



 幾田先輩が、撮影を止めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る