竜胆組、組長

『『『『『お帰りなさいませ、坊ちゃん!!!!!』』』』』


 などといった恥ずかしい出迎えを受け、俺は家へと入っていった。

 引き戸の玄関の音を鳴らし、中へと入ると靴を履こうとしていた雅と出くわす。

 相も変わらず綺麗な女性だと思う。

 垂れる艶やかな髪を抑えながら履こうとしているだけで大人びた雰囲気を感じる。髪から覗く瞳や顔立ちを見るだけで視線を奪われてしまうほど、彼女は小さな行動一つだけでも魅力的に映る。


「あら、お帰りなさい」

「おう、ただいま」


 すっかり暗くなっている時間だ。

 先程スマホで時間を確認したが、時刻はもう二十時を回っている。

 雅はきっと飯を食べてこれから帰宅しようとしていたところだろう。

 世帯を持っている山口は家のこともあるため、いつも雅と一緒でこの時間に帰っている。

 出迎えの面子に山口がいなかったのは、恐らく車を裏口へ回していたからだ。


「こんな時間に帰ってきて、また喧嘩かしら?」

「そう見える身なりかよ? 今日は坂月に連れ回されていただけだ」

「坂月って……あの坂月さん?」


 知り合いなのだろうか? 何やら知ったような反応だ。


「この前、文化祭の時に偶然出会ったのよ。あとで調べたけど、彼女も幾田さんと同じで女優なんだってね」

「しかも、めちゃくちゃ上手いぞ。こう、有栖とは違って……なんていうかな、本当に上手いんだ。才能っていうよりかは技術面でっていう感じで───」


 話している途中、ふと我に返る。

 ただ坂月の名前が挙がっただけだというのに、どうして俺はこんなに熱が入っているのだろうか?

 口にしていた事実に、思わず恥ずかしくなってくる。

 すると、聞いていた雅は堪える気がなかったのか、口元を押さえて小さく吹き出した。


「ふふっ、坊ちゃんはすっかりそっちが好きになっちゃったのね」

「……悪いかよ?」

「いいえ、まったく。むしろ喜ばしいわ」


 雅は靴を履き終えると、立ち上がって俺の横を通り過ぎる。

 そして、玄関扉に手をかけた途端、何かを思い出したかのように俺へと振り返った。


「そうだ、今日は竜胆さん戻っているわよ」

「……そっか」

「あんまり坊ちゃんとタイミングが合わないし、せっかくだったら言ってみたら?」


 何を、と。聞くまでもない。

 というより、雅に言われなくても今日は戻ってくるまで起きて言うつもりだったのだ。


「反対されないといいがな」

「怒られたら、私が慰めてあげるわ」

「なら、慰める準備でもしといてくれ」

「ふふっ、なら連絡待ってるわね」


 今度こそ雅は手を振って玄関から姿を消していく。

 何故か、先程まで何も感じなかった胸の鼓動がよく聞こえてくる。


(柄にもなく緊張してんのか……?)


 雅がいなくなった途端に? これから起こることを意識したから? それとも、雅がいたから忘れていただけで、家に戻ってきた実感が緊張を与えてきたのか?


(ハッ……馬鹿じゃねぇの)


 俺は靴を脱いで、家へとあがる。

 廊下を踏みしめる度、軋む音が鼓動と重なって頭に響く。

 幸いなことに、廊下を歩いても誰ともすれ違わなかった。

 今どんな顔をしているのか、誰ともすれ違わないが故に分からない。

 親父がいる部屋は───


(……ここだ)


 玄関から少し歩いた先。

 いつもは通り過ぎ、何かある度に呼ばれていたこの部屋に、今更ながら初めて訪れる。

 組を継いだ時も含めて、自分から足を運んだことはなかった。


(…………)


 少し息を整える。

 鼓動は何も変わらない、深呼吸をしたというのに。

 それでも、俺は口を開いた。


「親父、いるか?」


 すると、すぐさま声が返ってくる。


『桜花か? なんだ、珍しい』


 野太く、襖越しにでも少し感じる圧。

 今まで怖いと思ったことはなかった。

 だが、今日に限っては襖に手をかけることに躊躇いがある。


『そんなとこいねぇで、早く入ってこい』


 そんな躊躇いが伝わったのか、親父の声が入るよう促してきた。

 それが一つの踏ん切りとなり、俺は自然と襖に手をかけて引いた。

 中は広々とした和室。長い机と座布団が敷かれ、刀や木彫りが隅に並ぶ。

 そして、その奥……和服を着崩す、一人の大男が座椅子の上に鎮座していた。


「よぉ、桜花。見ねぇうちにでっかくなったか?」


 竜胆寿次りんどう じゅうじ

 俺の父親にして、竜胆組というヤクザを纏める組長である男。

 ただ座っていて、ただ声をかけられただけだというのに圧を感じる。

 それだけではなく、頭を下げてしまいそうになる風格も感じられた。


 しかし、それでも相手は親だ。

 一度大人になったが故にどこか懐かしい気持ちを感じるだけで、頭を下げようとまでは思えない。

 それに───


(やっぱり……)


 俺は過去に戻ってきたんだ、と。

 親父を見て思ってしまう。一つの組織を纏めあげる組長を見て、自分がいた場所は未来の話なのだと実感させられる。

 だが、もう───その席には座らない。


「観たぜぇ、お前の演劇。随分、様になってたじゃねぇか。まさか、うちの息子に役者の才能があったとはなぁ」


 久しぶりに息子の顔が見られたからか、親父は上機嫌そうに笑った。

 雅の言う通り、本当に俺の文化祭での演劇を観てくれたみたいだ。

 意外だと、素直に思う。


 しかし、今日は別に親子の絆を深めようとなど思って足を運んだわけではない。談笑をしよう、などとも考えていない。

 もしろその逆───俺はとんだなのだと、思わせてしまうだろう。


「……親父」


 俺は親父の対面に座り、真っ直ぐに向き直った。

 そして───



「俺、役者を目指したい」



 組は継がないと、そう言い切った。

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