帰り道、有栖と

『あはははっ! 授業をサボらせるって、野乃ちゃんも初っ端から飛ばしてくなー!』


 坂月の撮影が終わって、日はすっかり落ちてしまった。

 街灯が淡く照らし、住宅街は静寂に包まれている。

 そんな中、ワイヤレスのイヤホン越しに有栖の元気な声が耳に響いた。

 途中まで岸辺さんに送ってもらっていたところに電話がかかってきたのだ。

 そのため、少し夜風にもあたりたかったので降ろしてもらい、こうして一人で家までの道のりを歩いている。


「俺は構わんからいいが、他の人間だったら泣いてただろうな」

『うんうん、野乃ちゃんも桜花くんの扱いをマスターしてきたみたいだね! 取り扱い説明書がないのに凄いことだよ!』


 俺は家電製品か何かか?


『まぁ、でも勉強になったでしょ? 桜花くんにとっては初めての撮影現場だもんね』

「そうだな、お前達のいる世界がどんなものか勉強になったよ」


 監督にプロデューサー、音響に演出家、他にも色々な人間が入り交じり、一つの作品を生み出そうとしている。

 機材や雰囲気、テレビでごくたまにしか映されたことのない場所は新鮮さと興奮があった。

 何より、皆に見守られる中……役を演じる役者達は輝いて見えた。


『何言ってるの、桜花くん。君もそっちに行くんだよ』

「…………」

『すぐに立てるようになるよ。少なくとも、すぐに撮影があるわけだしね』


 そうだ、今ふと思い出したが、俺もすぐにあの場所に立つのだ。

 スタートは大きいか小さいかよく分からないが、それでも有栖達が立っていた場所へ。

 それでいて、俺が目指そうとしている世界。


「悪かったよ」

『にししっ! 弱気な桜花くんは可愛いねぇ~』


 電話越しにからかうような笑みが浮かんでいるのが分かる。

 それ故、どこか腹は立ったが……何故か口元が緩んでしまう。

 たった一日しか会えていないだけだというのに、のだろうか?

 今までは何年も顔を合わせていなかったというのに。


『そういえば桜花くん、事務所に所属したんだって? 野乃ちゃんからさっき連絡があったよ』

「正確に言えば、説明を受けただけだな。書類にサインしたわけじゃねぇ」


 撮影の途中、俺は岸辺さんに連れて行かれて坂月の楽屋に訪れた。

 その時、坂月が所属している芸能事務所———『世萌プロ』の勧誘を受けたのだ。

 どうやら健吾さんから岸辺さんに連絡がいき、俺を所属させるよう言われたらしい。なんでも、事務所に所属していない人間に仕事をお願いすると、手続きや処理が面倒くさいとのこと。


『え、でも入るでしょ? 役者になるんだったら事務所所属はマストだし、『世萌プロ』は結構有名だよ。契約内容に不満かな? 一応、私も所属してるんだけど、そこまで変な内容じゃなかった気がする」


 別に契約内容に不満があるわけではない。

 大人になったから契約関係の話は理解できるし、理解した上でも妥当なものだと判断できた。

 もちろん、坂月や有栖がいるから嫌だというわけでもない。

 坂月と同じ事務所だと色々教えてもらいやすくなるかもしれないし、目標が近くにあると意識して意欲の向上にも繋がる。


 だから、断ろうとは思っていなかった。

 ただ―――


「……なんかさ、有栖や坂月には頭が上がんないなって」

『え?』

「お前らにもらったような話だと思ったんだよ。だから、なんか申し訳ない」


 空っぽのまま人生を終えたくなくて、後悔していたあの時の選択を選んだ。

 それはいいが、今の状況はプラスに動いているものの、全て二人からもらったものだ。

 有栖がいなければ坂月に出会うことも健吾さんが観に来てくれることもなかった。

 坂月がいなければ健吾さんに繋いでもらえたことも、スカウトの話など挙がってもいなかった。

 どれも、自分の手で掴み取ったものじゃない。

 二人には感謝している。だからこそ、申し訳ないという気持ちもあって素直に喜べなかった。


『……芸能界ってね、そんなに甘い場所じゃないんだよ』


 しかし、俺の言葉に有栖は―――


『ただ与えられたコネだけで上手く運ぶなんてあり得るか、ばーか』


 ピシャリと、電話越しから言い放たれた。

 思わず、息を飲んで背筋を伸ばしてしまう。


『確かにコネで仕事をもらうことはあるけどさ、それはあくまで皆自力で土俵に上がって土俵にいる自分の力量を認められてるからだよ。まぁ、新人にチャンスを与えるって感じでたまーに土俵に上がれていない人も来るけど』

「…………」

『でもね、坂月さんは実力のない人には興味を示さない。野乃ちゃんのマネージャーさんも、いくら監督の健吾さんのお願いだからって才能がない人を拾わない』


 怒られているような、励まされているような。

 きつくも優しい声。そっと、頬に手を添えられて熱の篭った瞳を向けられているような気分になる。


『これは君だからこそ進んだ話で、君が自分で掴み取ったもの。確かにきっかけはもらったのかもしれないよ? あとで野乃ちゃんにはしっかりお礼を言っておくように』

「……あぁ」

『でもさ、それ以外は全部君の力だよ。だから、誇って』


 有栖の言葉を受けて、自然と空を仰いでしまった。

 暗く、星一つ見えない東京の空。それでも、肌寒い夜風が清々しさを与えてくれる。

 どうして、空を見上げたのかよく分からない。いつ見ても、何も思うことがなかった興味のない空だったはずなのに。


「俺、さ」

『うん』

「組を継ぐつもりで生きてきたんだ」


 何故———



「俺、今日……親父に役者目指すって、言うよ」



 こんな言葉が出てくるのだろう?

 こいつと話していると、何もなかった空っぽの自分が掻き乱される。


『がんばれ、がんばれ』


 有栖は、そんな俺の気持ちなど届いていないのか、いつもの明るい声を聞かせてくれた。


『桜花くんが私の隣に来てくれますように』

「どうして?」

『……まだ、言わないよ』


 けど、その先は聞かしてくれなかったみたいで。


 電話越しに有栖の鼻歌が聴こえ始めた。

 俺はそれを、自宅に帰るまで聴き続けたのであった。

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