配慮の技術
「えー、先輩分からなかったんですかー」
ニヤニヤと、休憩に入った坂月がからかうような笑みを向けてくる。
それを受けて、俺の額に青筋が浮かんだ。
「殴りてぇ」
「その見た目でそれ言うのやめましょうよ。普通に怖いです」
坂月が体を抱えて一歩身を引く。
殴りたくなったのは本当だが、別に殴るつもりもなかったので、とりあえず俺は大きくため息を吐いて誤魔化すことにした。
「はぁ……いや、あれからお前の芝居を見ていたが、ぶっちゃけ何を学ぶのかは分からなかった」
「んー、分かり難かったですかね?」
「だが、違和感があった」
結局あれから撮影を眺めていたが、いくつか坂月の芝居には違和感があった。
それは全て他のキャストが絡む場面にだけ。身を引いたり、そこには立つ必要がないと思うところに立ったり、動作が最小限になったり。
役が掴みきれていないからそう思うのかもしれない。
しかし、それだけではないような気がする。俺が学ぶべきことが多いのは俺が知らないことが多いからだ。
イメージと違って当然、違和感を覚えて当然。恐らく、違うと思ったことこそ学ぶべきポイントが含まれているからだと思う。
「そんで、お前のマネージャーがVを見せてもらえって」
「なるほどです。確かにVを見た方が分かりやすいかもしれませんね」
そう言うと、すぐに坂月は映像を確認している監督の下へ向かった。
「かんとくー、もしよかったら私達もV見せていただけませんかー?」
「お? 坂月ちゃんは勉強熱心だねー。でも、問題なかったよ?」
「あ、はい。それは分かってるんですけど、後輩育成? のために見せていただけたら嬉しいなって!」
坂月の言葉を受けて、監督は身を逸らして奥にいる俺の方へと向いた。
すると、何かを納得したのか満足気に頷いた。
「あの子、超怖いんだけど。これが今時の高校生か」
「いえ、先輩が特殊なだけです」
待て、何を納得した。
「まぁ、見学に連れてきたいって言うからおおよそ想像はついてたけどさ、そういうことなんだね」
監督が後ろにいる俺に向かって手を招く。
それに促され坂月の隣に並ぶと、パソコンを操作して映像が動き始めた。
流れているのは、撮影が始まった頭から。
「俺はVチェックし終わってるから、あとは野乃ちゃん達の好きに見な。変なところは弄らないでね」
「了解です!」
「ありがとうございます」
監督が席を立つと、俺達は画面へと近づく。
流れる映像に今のところ違和感はない。
【だから?】
【ッ!?】
【だから、なんですか?】
違和感が───
【虐待していた親に、どうして悲しまなきゃいけないんですか?】
───ない。
(ない?)
そんな馬鹿な。
確かに、振りが間違っているとかセリフが違うとかそういうレベルの話ではなかった。
だが、それで覚えた違和感がまったく感じられないのはおかしい。
このシーンは、確かに違和感があったシーンのはず。
(……いや、待て)
流れている映像を見ながら、ふと気付く。
「こんなに、刑事が目立つか……?」
坂月が話しているセリフだというのに、カメラは刑事の表情をよく映している。
しかし、しっかりと坂月とのやり取りだと分かるようにフレーム内に彼女は収まっており、シーンが明確に認識できていた。
カメラの位置は確かに変わっている。加害者越しから刑事と坂月を映すように。
だが、平等ではない。芝居がめっぽう上手いというわけではないのに、刑事の方に視線が向く。まるで、映っている姿が五対五から七対三の比率に変わっているかのよう。
「この作品では、刑事の男が主人公なんです」
疑問に思っていると、坂月が口にする。
「それに対して、私は一話限りの端役。この話では場面が多いとしても、次は一度も出番があることはありません。そのため、私は極力映らない。主人公や出番の多いキャラクターにスポットを当てるべきなんです」
「だから……」
少し体を逸らしたのか。
本来、カメラの位置から考えると半々の映りをするはずのものを七対三の比率で作るために。
あぁ、現場で見ている人間に違和感があって当然だ───何せ、これはカメラに向けて構図を調整しているのだから。
「役に成り切る。えぇ、リアリティがあっていいでしょう。それぞれのキャラクターにはそれぞれの人生があります。言うなれば、それぞれが人生の主人公です」
「…………」
「けど、作品においての主人公は別にいます。なら、端役の役割はストーリーで主人公を目立たせることです」
坂月の言いたいことは分かった。
俺が理解できない範囲。イメージを落とし込む自分のやり方とは違うスキル。
カメラワーク。
自分の立場を弁えた上での、必要な演技力。
確かに、作品の延長線上に立ちつつ周囲の人間に光を当てる
「言っておくけど、普通の役者はそこまで考えないよ」
後ろから坂月のマネージャーがやって来る。
「カメラの映りはカメラを持つ人間が考えなければいけない仕事だ。役者は役を演じる。よりよい作品にするためだけに。だけど、野乃ちゃんはそこから先も考える実力派なんだよ」
「あら、珍しいですね。マネージャーが私を褒めるなんて、変な仕事入れちゃいました?」
「君は褒めるとすぐに天狗になっちゃうからね。でも、これは僕だけじゃなくて関係者が誰でも思っていることだよ」
ネットの記事で誰かが書いているのを見た。
坂月野乃は───
「技巧型の実力派女優───坂月野乃は、もはや
幾田有栖は天才肌だ。
本領は他者を否が応でも惹き付ける演技力。
それに対し、同世代で有名な坂月野乃は天才ほど他者を納得させる才能は持ち合わせていない。
その代わり、作品を成り立たせる上で必要な技術が全てMAX値まで到達している。
技と剛。
若くして一線に立つ役者の構図がそう言い表せられる。
「先輩が次に出るMVの主役は幾田先輩です」
坂月が俺の胸へと手を当てる。
「身勝手な成り切りで作品を壊すのは許しません」
「……なら抑えろってか?」
「そういうわけじゃないんですよ。思う存分成り切って、役に深みを持たせてください。けど……作品の根幹を揺るがしちゃダメです」
主役は主役として。
端役は端役として。
その垣根を超えるようなことは、ビジネスである以上絶対に揺るがしてはいけない。
「文化祭の時はあなたも主役で、幾田先輩が手綱を握って主導権を合わせていたから成り立ったんです。けど、今回はビジネス……才能のごり押しで成り立つ場所じゃない」
だから、と。
坂月はにっこり笑った。
「才能に技術を持たせましょう。先輩が学ぶべき目下の課題は、作品を成り立たせるためのカメラワークです♪」
その笑みは挑発するようにも、期待しているようにも見えた。
手にしている玩具を渡したらどうなるのか、子供のこれからを楽しむ親のように。
だから───
「……教えろ、その技術。飼い犬に手を噛まれないよう気をつけながらな」
「威勢だけはよし、ですね♪ さっすがは幾田先輩が気にかける天才くんです」
俺が同じように挑発めいた笑みを浮かべると、坂月は岸辺さんに向き直って手を叩いた。
「っていうわけで、あとはお願いします」
「よし、任せてくれ。こっちも美味しい人材をありがと!」
岸辺さんは頷くと、俺の腕を掴んでそのまま現場の出口へと向かっていった。
唐突な行動に、俺は思わず戸惑ってしまう。
「ちょ、どこへ……!?」
「マネージャーの仕事の一つに、優秀な人材を見かけたら逃がさないっていうのもあるんだよ」
だからなんだ、と。
言いそうになった口が閉じる。
「仕事を受ける時、事務所を通さないと色々と面倒なんだよ。だから坂月さんにお願いされてね───君をうちの事務所に入れようって話になったんだ」
それはすぐさま岸辺さんが口にした言葉によって。
「君の才能、僕達『世萌プロ』が買わせてもらうね」
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