登校の憂鬱
久しく忘れていたが、俺は学校に向かう時間が憂鬱だった。
もちろん、組の連中に頼めば車で送ってもらえるだろう。しかし、外車で送迎されるという恥ずかしい云々は置いておいて、憂鬱だったのは労力に対してではない。
ただ、何をするわけでもなく何も得られない場所に行くのが嫌だったのだ。
授業を受けていてもつまらない。サボるのはいいが、ただただ時間が流れる場所を変えただけで結局何も変わらない。
まだ家で小説を読んでいた方が有意義な時間を味わえると思う。
かといって、学校を出ればサツに声をかけられるため面倒くさかった。
いっそのこと中退しようと考えたこともあったが、一度親父に怒られて断念せざるを得なかったのを覚えている。
だが、今は不思議と学校へ向かう足取りが軽かった。
大人として過ごしていた分、過去に戻ってもう一度学生としての時間を味わえることに懐かしさを覚えているからかもしれない。
だが、それ以上に『目的』が明確になったからこそなんだと今の俺は思っている。
『私がいないからって勉強はサボっちゃダメ!』
『野乃ちゃんの言うことはちゃんと聞くこと!』
『もう問題も起こしちゃダメだからね!? 仕事取ったら、もうただの学生じゃなくなるんだから!』
───登校しながら、スマホに送られた有栖のメッセージを見る。
もう、今日からあの騒がしい
元々、文化祭のためだけに多忙なスケジュールを調整したのだ。しばらくしわ寄せに追われるのは仕方ないだろう。
最初から有栖が面倒を見てくれるなんか思っちゃいない。
有栖から提示された選択肢を取って、自分から「教えろ」なんて言ったが、本当にある程度教えてくれればよかったんだ。
(……それに、教えてもらっていないようでちゃんと教えてもらったからな)
舞台に立った時の気持ちや、いかに目標が高い場所にあったのかを。
加えて、後輩まで紹介してくれて縁を繋いでくれたのだ。文句は言うまい。
『……やっぱり怖いよね』
『今度から登校時間ズラそうかな』
ふと、後ろからそんな声が聞こえてくる。
恐らく、同じ学校の生徒。メッシュの入った髪とピアスを見て俺と分かったのだろう。
……そういえば、これも憂鬱な理由の一つだった。
ただ歩いているだけで噂をされる。睨み返してもその場凌ぎ。終わることなんてなく、永遠にヤクザの息子だというレッテルが付き纏う。
昔に一度髪を染め直して容姿を整えたことがあったのだが、そうなればつっかかってくる不良が増えてしまった。
結局、どう転んでも変わらない。
そう思っていたのだったが───
「……今日、雅にお願いするか」
絡まれたら絡まれた時だ。
今はそれ以上に大事なものが見つかったのだから。
「おはようございます、先輩」
パン、と。唐突に背中を叩かれる。
振り返ると、そこにはカバンを両手に抱えた坂月の姿があった。
『嘘、あれって坂月さんじゃない?』
『なんで、ヤクザの息子なんかに……』
同じタイミングで、後ろを歩いていた生徒が再びざわつき始める。
その声が届いたのか、坂月後ろを振り返っておもむろに眉を顰めた。
「失礼なやつですね。私が先輩と一緒に歩いていたらおかしいっていうんですか?」
「稀な部類だろ。俺に声をかけるなんて、有栖みたいな物好きしか声かけねぇよ」
「まぁ、私だって幾田先輩にお願いされなきゃ声なんかかけなかったでしょうけどね。先輩、めちゃこわですし」
有栖の場合は気にしない性格だと知っていたから何も言わなかったが、坂月はどう思っているのだろうか?
芸能界にいる女優───元の有名具合いを抜いても、それだけで学校内での知名度は高いはず。
それなのに、悪い意味で同じく知名度が高い俺。
一緒にいて不快な気持ちにならないのか? 嫌な噂はされないか? 少し心配になった。
「……なに、一丁前に弟子が心配してんですか」
そう思っていると、いきなり坂月が俺の脇腹を肘で小突いてくる。
「弟子?」
「そうですよ! なんてたって、今日から私は先輩に芝居を教えるお師匠ですからね! 一つ上の先輩だろうが、ヤクザの息子だろうが、私の弟子であることには変わりありませんっ!」
言われてみれば、構図を見るとそう捉えてもおかしくはない、のか。
不思議な気分だ。俺が誰かの下につくなんて。
昔も今も誰かの下について何かを行うなんてことはしてこなかったから、どこか新鮮に感じる。
「だから、いいんですよ。言いたいやつには言わせておけばいいんです」
坂月は俺の横に並んで、ぶっきらぼうに答えた。
たった一日しか顔を合わせていなかったのに、俺へ気遣ってくれる。
こんな俺のために……しかも、そこまで関係値がないはずなのに。
大好きな有栖にお願いされたというのもあるだろう。
しかし───
「……優しいんだな」
「は、はぁ!? ち、ちちちちちちちちちち違いますし!? ただ、そんな格好をしている人が落ち込んでいる姿が気持ち悪いから言っただけですし!」
「別に落ち込んでたわけじゃねぇよ」
顔を真っ赤にして必死に否定する坂月。
どことなく微笑ましく思えてしまい、衝動的に頭を撫でたくなってしまった。
撫でたら怒られそうなので、もちろん堪えたが。
「ふんっ! そんな軽口を叩けるのも今のうちです! ヒィーヒィー言わせてやりますから!」
そう言って、坂月は怒ったような様子を見せて先を歩く。
「言っておくが、そこそこ俺は体力があるぞ?」
「はい? 何言ってんですか、先輩───」
坂月は振り返る。
そして、さも当たり前のように言い放った。
「蜘蛛の糸を握らなきゃ落ちていく芸能界で登っていくのに、体力だけでどうこうなるわけないじゃないですか」
俺は坂月の言葉に思わず呆けてしまう。
だが、それでもすぐに口元が緩んでしまった。
「そうだな……そうだった」
決してイージーな世界ではない。
ヤクザとして過ごしてきた中で、最後に落ちてきた人間を何人か知っている。
ある程度、社会の闇を知ってきたつもりだ。
すると、目に見えてくるものももちろんあった───例えば、芸能界が才能だけで片付けられない場所であることなど。
「……よろしく頼むよ、お師匠さん」
「私にタダ働きをさせるんですから、精々頑張りやがれです」
俺は坂月の隣まで足取りを早め、しっかりと横に並んだ。
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