傍にいてくれる人

 MVの話をもらった翌日。

 目まぐるしいここ最近とは似ても似つかないほど陽気のいい陽射しが食卓に射し込んてくる。

 テーブルの上からは味噌の匂いと焼き魚の香ばしさが漂い、眠気が覚めたばかりの俺の鼻腔を擽る。

 住宅街に家があるからか、この時間からは子供の元気のいい声が耳に届く。

 本当に、忙しなかったここ毎日とは似合わない平和な一日の始まりだ。


「はい、坊ちゃん。おかわり」

「あんがと」


 時刻は朝の七時。

 我が家にて雅がご飯をよそって俺へと渡してくれる。

 ───いつもの朝だ。

 組の連中は俺よりももう少し早めに朝食を取り、あとからやって来た雅と一緒に食卓を囲む。

 昔からずっと変わらない朝の風景に、どこか懐かしさを感じる。


「そういえば、昨日竜胆さんが坊ちゃんの演劇観てたわよ」

「は? 親父が?」


 昨日俺が健吾さんと話している間に? 珍しいな、と。ご飯を頬張りながら思う。

 何せ、親父はあまり舞台やドラマといったものを観ない。観るとしても歌舞伎ぐらいだし、普段観ているのは麻雀か将棋だ。

 ビデオで撮っていたから観られるのは分かるとして、わざわざ素人の演劇を観るのは意外である。


「そりゃ、坊ちゃんが出ているから観たんじゃないかしら? 組の人達と一緒に盛り上がってたわよ」

「盛り上がって観るもんじゃねぇだろ……」

「私も二回目でも盛り上がれたわ」

「だから盛り上がるもんじゃなくない?」


 実際に会場で盛り上がっていたら即時クレームが入るだろうに。


「それだけ嬉しかったんだと思うわ、坊ちゃんが何かをしてるって」

「そんなもんか?」

「そんなもんよ。竜胆さんも組長の前に一人の父親なんだから」


 そういえば、昔からずっとどのイベントに対しても何も行ってこなかったと思い出す。

 文化祭も体育祭も、何かの発表会も、特に何もせずままサボっていた。

 確かに息子の活躍———という学生らしい一面を、俺は親父に見せたことがなかったような気がする。

 あるとすれば、それこそ誰かと喧嘩しているところぐらいだろう。


「……親父もそっちの方を望んでんのかね」

「分からないけど、私はそっちを望んでいるわよ?」


 雅は味噌汁を啜りながら口にする。


「見守ってきた子が何かをするって嬉しいことよ。坊ちゃんはただでさえ、毎日つまらなさそうにしてたもの」

「…………」

「だから、最近の坊ちゃんを見ていると嬉しくなっちゃうのよね。充実しているって感じが背中から見られるから」


 その声音はどこか優しいもの。

 温かく、本心が伝わってくるようで思わず背中がむず痒くなる。


「……お前は母親か」

「少なくとも、姉のように接してきた記憶はあるわね」


 子供の頃からずっと一緒にいて。

 何かあればすぐに味方になってくれて、傍で励ましてくれて。

 確かに、姉のような存在だ―――雅自身が思っているだけではなく、俺も組の連中もそう思っている。今も昔も、未来これから

 とはいえ、それを直接口にするのは気恥ずかしい。

 しかし―――


「俺、さ」

「うん」

「役者を、目指そうと思ってんだ」


 そういう人だからこそ、これだけは言っておかないといけない。

 組を継ぐと思っている人間相手に言うのは少し心が痛むが、傍にいてくれている人にだけはしっかりと言葉にしておく必要がある。

 どうせいつかはバレるだろうという思いもあった。

 文化祭が終わったらいつかは言おうと決めていたし、そもそも仕事をもらった手前、引くに引けない場所まで来ている。


 だが、それ以上に雅はきっと―――


「そっか、楽しみにしているわね」


 肯定してくれるような気がした。

 多分、俺がどんな道に進んでしまったとしても、きっと。応援してくれると、漠然めいた予感がするのだ。


「……ありがと」

「あら、珍しい。坊ちゃんが私にお礼を言うなんて」

「ご飯よそってもらった時も言っただろが」


 俺がジト目を向けると、雅は小さく噴き出した。

 元の素材が極めて整っているからか、そういった小さな行動一つでドキッとしてしまう。


「竜胆さんには伝えるの?」

「あぁ、近いうちにちゃんと言うよ。昨日仕事もいただいたから、話を通しておかないとややこしいことになる」

「え、坊ちゃんお仕事もらったの!?」


 雅が立ち上がって驚く。

 食い気味に顔も近づけてきたため、俺は思わず戸惑った。


「そ、そんなに驚くことか……?」

「そりゃ驚くでしょ!? 今まで芝居も何もやってこなかった坊ちゃんがいきなり仕事よ!? ねぇ、それってどんなの!?」

「大したものかは詳細を聞けてないから分からんが……監督のところでMVに出る」


 結局、時間も時間だったからあの時は返事だけをして詳細は後程坂月経由で教えてもらうことになった。

 だから、正直今はアーティストの名前とテーマぐらいしか把握はできていない。


「こ、これはすぐにお父さん達に知らせないと……ッ!」

「待て待て待て」


 いきなりスマホを操作し始めた雅の腕を掴む。


「どうして手を掴むのよ、坊ちゃん。お父さん達に知らせないと祝賀会ができないじゃない」

「そうなるからやめろって言ってんだよ」


 まだ終わってもないのに祝われるのは流石に恥ずかしい。

 気持ちは嬉しいが、せめて全てが終わったあとにしてもらわなければとん挫した時に虚しくなる。


「だったら、代わりに今日黒染め買ってくるわね! メディアに顔を出すなら、その髪はいけないでしょうから!」

「お、おう……」


 するつもりだったからそれは嬉しいが、どうして雅の方が気合入っているのか?

 それがどこかおかしく、思わず笑ってしまう。

 もし話したら、親父もこんな反応をしてくれるのだろうか? 近いうちに分かるであろう反応を想像してしまう。


(……そういえば、今日から有栖がいないんだったな)


 それと同時に、ふとそんなことも思い出してしまった。


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