坂月野乃

「幾田せんぱーい! 来ましたよ! 可愛い後輩が来ましたよ!」


 現れた少女───坂月野乃は有栖を見るやすぐさま駆け寄った。

 そして、すぐさま空いた懐へと抱き着き始める。


「もうっ、野乃ちゃん……いきなり抱き着いてこないでよー」

「いいじゃないですかー、先輩が忙しくてせっかく同じ学校に入ったのに構ってくれないのが悪いんですよー」


 苦笑いを浮かべながら頭を撫でる有栖と、嬉しそうに胸へ頬ずりを始める坂月。

 じゃれ合っている姿が目の前で繰り広げられ、その様子を見ているだけで二人の仲のよさが見て窺えた。


「っていうか、幾田先輩。マジで私がこの人に教えるんですか? 正直、あまり信じられなかったんですけど、本当に目の前にいるし……」


 少しの間じゃれ合っていると、不意に坂月が俺の方を見る。

 軽く見返すと、坂月は怯えた小動物のようにすぐさま有栖の背中へと隠れてしまう。


「怖いんですけど!? ちょー怖いんですけど!? この前見たヤクザよりもなんか歳が近いせいで余計に怖いんですけど!?」

「大丈夫……桜花くんは所詮見た目だけだよ!」

「おい、てめぇ」


 フォローするなら頭に余計な言葉をつけんじゃねぇよ。


「あの……タトゥー、入ってます?」

「ん? 何言ってるの、野乃ちゃん。流石の桜花くんでも高校生でタトゥーなんか───」

「背中にならな」

「入ってるの!?」

「……ちょっとあとで見せてほしいです」

「いいぞ」

「ちょ、野乃ちゃん!?」


 他の連中に舐められないよう、入学した時に大きいのを一つ彫っている。

 まぁ、普段は学生服を来ているからバレないが。夏場はちゃんとシャツも着るしな。

 というより、そんなに興味があるのだろうか? うちの組に来れば組の連中のも雅のもいっぱい見られるぞ。


「はぁ……桜花くんのやんちゃっぷりを舐めてたよ。これはあれだね、高校卒業するまではちゃんとお口チャックしておかないと」


 有栖はため息を吐くと、後ろにいる坂月を無理矢理前へと出す。


「改めて紹介するね! この子が桜花くんに色々教えてくれる坂月野乃ちゃん───私の事務所の後輩で、なんでか一人暮らしをしてまで私のいる高校にまでついてきた変な子です!」


 そんな紹介の仕方でいいのか?


「照れますよ、幾田先輩〜♪」


 いいのか。


「よろしくな、坂月。俺の名前は───」

「知ってますよぉ……一学年でも有名な竜胆先輩ですよね」


 どうやら自己紹介は不要らしい。

 手間が省けるほど知名度があったことに喜ぶべきだろうか? しかし、怯えられている様子をいると素直に手放しで喜べそうにもない。


「やっぱり、早く髪を染めないとなぁ」

「ちゃんと全部黒だからね!」

「髪の問題だけじゃねぇですよ……」


 はぁ、と。坂月も聞こえるほどのため息を吐く。


「まぁ、幾田先輩のお願いですからやりますけど」


 とは言いつつも、あまり乗り気ではないのが分かる。

 こちらはお願いしている身だし、あまり強く言えないのがもどかしく思う。

 俺としては、有栖がいなくなるのであれば是非ともご教授願いたい。

 何せ身近に芸能人がいるなど珍しく、中々色々レクチャーしてくれる機会など早々訪れないからだ。

 有栖と同じ学校にいるというだけでも、正直奇跡レベルなのだから。


「桜花くん、第一印象が大事なんだよ。このままじゃ、いつ断られてもおかしくないんだよ!」

「おーけー、分かった」


 有栖の言う通りだ。

 ヤクザの息子だというだけでも第一印象は悪いため、ここはどうにかして印象を上げなければ何かの拍子に機会を失ってしまう可能性が高い。

 俺は有栖の言葉に頷くと、懐から一つ飴玉を取り出し───


「よし、お嬢ちゃん。飴ちゃんをあげよう」

「子供扱いしてんじゃねぇですよ」


 おかしい、坂月の額に青筋が浮かんでしまった。


「まぁ、聞いていた人とちょっと違うのは認めましょう。幾田先輩の反応を見れば怖い人ってだけじゃないってびは分かりましたし。仕方ねぇーですが、幾田先輩のお願いも履行してやります」

「ありがとう、野乃ちゃん!」


 そう言って、今度は有栖が坂月に抱き着き始めた。

 坂月は一瞬驚いた表情をしたが、瞬間にだらしなく緩み切った顔を見せる。

 よっぽど有栖のことが好きなのだろう。一人暮らしをしてまで有栖と同じ学校に通うぐらいには。


「それで、俺は何を教えてもらえばいい?」

「向上心があることは大事だけど、まずは手元の宿題を終わらせてから考えようね!」

「ヤクザの息子が勉強なんかしてるんですか? びっくらぽんです」


 やっと教えてもらえると喜びかけたが、どうやらすぐには教えてもらえないらしい。

 まぁ、中途半端に手が止まっているのでやりきるのは大事だ。

 ぬか喜びではあったものの、俺はすぐさまノートと教科書に視線を落とす。


「けど、私も幾田先輩から竜胆先輩を頼むとは言われましたけど……具体的に何を教えればいいんですかね? 何も聞かされてないですよ?」

「桜花くんはマジもんの素人さんで何も知らなさそうだからねー、できれば芝居のあれこれとか役者になる方法とか、その過程とか色々教えてほしいかな。もちろん、野乃ちゃんの仕事に支障がない範囲でね!」

「……本当にヤクザの息子が役者を目指すんですね」


 なら、と。坂月が俺の腹に軽く拳を当てる。

 そして───


「なら、ちゃっちゃと行きましょうか。声はもう、もらっているので」

「……は?」


 そんなことを、唐突に口にするのであった。

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