これから
結局、家に帰ると組の人から驚かれてしまった。
どうしてあんなに上手なのか、そもそもいつ練習したのかなど。
感極まって泣いている組の連中を見た時は流石に恥ずかしかったし、上映会が始まった時は頭を抱えてしまった。
そこに雅もいたものだから、余計にたちが悪い。親心に似た気持ちで見られるのと、同年代に好奇心で見られるのとはまた別の気恥ずかしさを抱くからだ。
加えて、どうやら親父にも録画した演劇を見せたらしい。
まぁ、こっちは親父となんだかんだ顔を合わせなかったから何も言われてはいないのだが。
ただ、皆の反応が嬉しかった。
そう思ってしまったのは、もしかすると芝居に関して俺が何か思い始めたからかもしれない。
具体的に何を……とまではよく分からないが、明確な自分の変化に少し感慨深くなる。
こうした感情も、皆の反応も前は見ることも抱くこともできなかったから。
そして、文化祭が終わった週明け―――
「違う! ここの公式はこれ! 二次関数はいっぱいテストにも出るんだから頭に叩き込むの!」
―――その放課後、俺はだて眼鏡をかけた有栖に指導を受けていた。
というより、勉強を教わっていた。
『ねぇ、ヤクザの息子が勉強してるよ?』
『今更真面目ぶる気?』
『でもさ、幾多さんと一緒にい始めてからなんか変わったよね』
周囲の生徒からの声がちらほらと聞こえてくる。
確かに、今まで授業をサボったり堂々と寝ていた人間がいきなり放課後残って勉強でもしていれば驚くだろう。
そういえば、今だけではなく文化祭が終わってから皆から向けられる空気が変わった気がする。
それは普段とは違う自分を晒したからか、それとも有栖と一緒にいるからか。本人に直接聞いていないので分からないが。
「なぁ、有栖? なんで今更勉強なんかしてんの?」
ずっと気になっていたことを今更ながらに尋ねる。
すると、有栖はだて眼鏡をかけ直しながら口にした。
「勉強しておいて損はない! 役者を目指すにしても、最低限教養がないと社会に出て恥をかくからね!」
「だが、数学なんて社会に出てもなんの役にも―――」
「甘い! クイズ番組に出た時どうするの!? あ、高校生だからこういう問題ぐらい解けるよねー……みたいなプレッシャー増し増しの空気を味わったことがないから、桜花くんはそんなことが言えるんだよ!」
っていうことは、お前はあったんだな。
「それに、役者業はごく一部じゃないと賞味期限付きの商品だからね。将来の選択肢を増やしておいて損はないよ」
芸能界で生きていける人間はごく一部。
テレビに出られたとしても、そのまま出られ続ける人間は一握り。アイドルと似たようなものだ。
老けて、どんどん大人になっていけば需要は下がる。
そうやって露出が少なくなった人間が違う道に歩き始めたというのは、今も未来でもよくニュースで聞く話だ。
有栖の言いたいことは分かる。
分かるのだが―――
「……お前が言うか?」
「私だって、今はぴちぴちプリティな女の子だけどね。先のことなんか分からないわけですよ」
「なるほどな」
まぁ、この道を進んで引き返せるかどうか分からないからな。
前は組を継ぐというある意味の就職先があったものの、この道に進んだあとにもう一度組の長になれるとは限らない。
(親父がなんて言うか分かんねぇしな)
そうなると、確かに最低限の教養は身に着けておかなければならないのかもしれない。
勉強なんて面倒この上ないが、こればかりは役者を目指すために必要なことだと割り切ろう。
「っていうか、早く芝居を教えてくれよ。あの約束を忘れたわけじゃねぇだろうな?」
「うん、もちろん! それは覚えてる……覚えてるんだけどね?」
有栖は申し訳なさそうに少しだけ視線を泳がせる。
そして、すぐに両手を合わせて頭を下げてきた。
「私、しばらく撮影のスケジュールがあって学校に来られないんだよねぇ。ごめんちゃい、せっかく約束したのに申し訳ない!」
そういえば、文化祭に参加するためにスケジュールを調整したんだった。
諸々を倒してきたのかと勝手に思っていたが、よくよく考えれば皺寄せが後ろに倒れてしまった可能性も普通にある。
売れっ子が故に学業と両立するのが難しいのは分かっていた。とはいえ、こうして話を聞くと「本当に難しい」のだと改めて思う。
「なら仕方ないか」
「え、怒らないの?」
「あ? 別に怒っちゃいねぇよ。流石に俺も仕事をボイコットしてまで教えてほしいとは思わん」
本音を言えば教えてほしい。
しかし、それによって有栖に迷惑をかけるのは不本意だ。有栖の横に並び立ちたいとはいえ、追っていた身としては有栖が活躍するところを見たいという気持ちもあるから。
「うぅ……桜花くんが見た目に反していい子」
「その前置きはいらなかったんじゃねぇの?」
余計な一言が頭についているんだが?
「で、でもねっ! こんなことになるであろうことは事前に理解していた有栖ちゃんは、ちゃんと対策も練ってきたのです! 言い出せなかったけど!」
そう言って、可愛らしいドヤ顔を浮かべながら胸を張る有栖。
事前に分かっていたなら事前に言えばよかったのにという気持ちをグッと堪える。
(しかし、なんか教材か資料でも用意してくれたってことか?)
それとも、観た方がいい映画とかドラマだろうか? もしくは、都内の養成所のリストアップ?
俺は有栖のドヤ顔を少し微笑ましいと思いながらも首を傾げる。
「私は教えられない……けど、これから役者を目指すんだったら色々学んでいかなきゃいけないのは確実。そもそも、コネも伝手もなくて芸能界に足を踏み入れるのは少し難しいんだよ」
「あぁ」
「そもそも、どうやってこれから進んでいけばいいのか? っていう部分もあるだろうしね。だから、私は強力な助っ人を用意しました!」
そう言って、有栖はチラチラと時計を見始める。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………遅いなぁ」
先程の元気が一気に消沈である。
相変わらず温度差の激しい少女だ。
「誰か来るのか?」
「う、うん……一応呼んであるんだけど───」
しかし、沈黙が広がった数十秒後。ゆっくりと教室の扉が開かれた。
「幾多せんぱーい、来ましたよー」
そこから顔を出したのは、肩口まで切り揃えた黒髪がよく似合う可愛らしい女の子。
くりりとした瞳に丸くも小さい顔、有栖と同じで愛くるしさが滲む端麗な容姿をしている。
街頭を歩けばすぐにでも誰かに声をかけられそうだ。
そして、その少女が入ってきた瞬間……教室に残っていた生徒が一気にざわつき始める。
『あ、あの子って!』
『確か秋月野乃さんだよね!? 去年うちに入学してきた!』
『うっそ、二人が勢揃いの瞬間を生で……!』
二学年の生徒ですら知っている後輩らしき人間。
有名な人なのだろうか? そう思っていると、有栖は消沈した顔を途端に明るくさせて俺に顔を向けさせる。
「ほらほら、桜花くん! 来たよ!」
「来たよって……あいつ誰だよ?」
「にししっ! それはねぇー」
そう言って、有栖はサプライズが成功した子供のようにからかうような笑みを浮かべた。
「坂月野乃ちゃん! 私の事務所の後輩で、これから桜花くんに色々教えてくれるお師匠さんだよ!」
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