演劇が終わって

 パァッッッッッッッン!!!


 と、頬に激しい痛みが走る。


「いったァ!?」

「あ、戻ってきた」


 気がつくと、眼前には手を振り抜いたであろう有栖の姿と、心配そうに顔を覗かせてくる演劇部の連中。

 袖にでもいるのだろうか? 周囲は暗く、視界の端に映る明かりの方を見ると、先程まで立っていたはずの舞台が映り、今は軽音部が演奏していた。


 いつの間に? 演劇はどうなった?

 いや、それよりも───


「てめぇ、歯を食いしばれや有栖……」

「えぇ!? 恩人に対しての扱い酷くない!?」

「恩人……?」


 俺が首を傾げていると、おずおずと演劇部の先輩が話しかけてくる。


「さっきまで、竜胆くん大変だったんだよ? ずっとうわ言のように「俺はロミオだ」とか「ジュリエットと結ばれるんだ」とか呟いてたし」


 そう、か。演劇は終わってしまったのか。

 どうして俺の気が付かない間に終わってしまったのかは分からないが、先輩の発言を聞いて脱力感が襲ってくる。

 加えて、何故か息も荒いような気がするし、頬に残る痛みがなければ今にでも意識が飛びそうであった。

 完璧な疲労だ。思考が上手くまとまらない。


「役に入りすぎちゃうと、どうしてもそうなっちゃうよね」


 有栖が俺の頬を揉みながら口にする。


「役者業では珍しくないことだよ。役に成りきろうって深く潜れば潜るほど、思考は現実と芝居の境を忘れてしまう。最悪、帰ってこれなくて廃人になるって話もちらほら聞くしね」

「…………」

「今日は私がいたけど、次はどうなるか分からないよ? だから、今度は自分の中のを見つけておこうね」


 きっと、現実に戻ってくるためのきっかけのことを言っているだろう。

 こういう合図があれば芝居を忘れる。いわばスイッチみたいなもの。

 トリガーさえしっかりしていれば、いくら役に入り込もうとも自分を忘れずに済む。


(……忘れても、問題はないんだがな)


 とはいえ、廃人のようになるのは流石に困る。

 ごく稀なケースを挙げてくれたのだろうが、そうなる可能性もあるならしっかり自制しておく必要があるだろう。


「有栖は、どうしてる?」

「私? 私は『拍手』だよ! 舞台の上だろうが映画の撮影だろうが、誰かしら終わったあとに拍手してくれるからね! 最悪いなくても、マネージャーさんが手伝ってくれるし」


 なるほど、拍手か。

 それは分かりやすいし、何かを成すにあたっては必ずといっていいほど拍手は生まれるものだ。

 参考にしてもいいだろうが、まずは明確に戻ってこられるように練習しないといけないな。


「……っていうか、演劇はどうなった?」


 俺は今更思い出し、有栖だけでなく他の人間の顔も見る。

 すると───


『さいっこうでした!!!』

『過去一よかったですよ!』

『竜胆くんと幾田さんの迫真に迫る演技、同じ舞台に立ってる僕らですら鳥肌ものでしたから!』


 目を輝かせながら、そんなことを言ってきた。

 皆の顔には笑顔が生まれ、心配そうに向けていた瞳はもう見られない。

 一様に、興奮しきったものが向けられた。

 それが余計な安堵を生ませ、疲労感の上に解放感を与えてくる。


「よかったね、桜花くん」


 頬を揉んでいた有栖が俺の顔を覗く。


「……あんまり実感はないがな。というより、途中の記憶がほぼない」

「それだけ役に入り込んでたってことだね。ふふっ、桜花くんはやっぱり才能があるよ」


 笑顔を浮かべる有栖。

 柔らかく、あどけなさも明るさも残る優しいもの。

 ……今まで俺が接していた幾田有栖の顔だ。

 途中に見た、ジュリエットという少女とは明確に違う───


「なぁ、有栖」

「ん?」

「有栖は……その、覚えているのか?」


 どこか俺と似ているような空気を感じた。

 有栖にもトリガーがあるのであれば、有栖も役に入っていたという証拠でもある。

 それは果たして俺と同じなのか? この路線は、果たして隣に立つためのルートで合っているのか?

 上手く言葉に言い表せない。ただただ、シンプルな質問が口から溢れる。


 有栖は、そんな俺の質問に対して一つデコピンで返答した。


「いっつ」

「そういうのは聞かないの。この答えは


 あぁ、確かに。

 有栖の言う通りだ。

 なんでも道を照らしてもらっていては、結局誰かの敷いたレールの上を歩いているだけ。

 その過程で何かを手に入れても、それは自分のものではなく誰かのものだ。


「悪かったよ」

「うんうん、分かってくれたならよしっ! でもね、これだけはちゃんと言わせて───」


 ふと、有栖の目に涙が浮かぶ。

 どうしてか、理由はすぐさま先程とは違って口にされた。


「お疲れ様、それとありがとう。君のおかげで、すっごい最高な舞台おもいでを作れたよ」


 ……もしも、あの時。

 有栖の選択を選んでいなかったら、眼前にいる彼女の顔も、言葉も知ることはなかっただろう。

 それがいいことなの悪いことなのか、今の俺は確信を持って言えることはできない。

 しかし、恐らくというのであれば───


(よかった……)


 いつかこの先、喜んでくれている演劇部の連中のように誰かを喜ばせられたら。

 記憶には残っていないが、記録として残っている自分を見て自分が満足できるようになったら。

 もしかしたら、何かを手に入れられるのかもしれない。


「それじゃあ、桜花くん! 今から文化祭を楽しみに行こうじゃないか!」

「ちょ、おいっ!? 腕を引っ張んなマジで、こっちは疲れてるんだ!?」

「へーきへーき! 楽しんじゃえば忘れるよ! 文化祭の思い出作り、まだまだできてないんだからねっ!」


 何か、答えに近づいたような感覚。

 それを、有栖に無理矢理腕を引かれながらふと味わってしまったのであった。

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