回想〜出会い〜
「文化祭で何もやることないんでしょ?」
一人、騒がしい喧騒にイラついている俺のとこへ、とある女の子がやって来た。
そいつとは会話を交わしたことはなかったが、クラスの連中がよく話しているのを耳にして認知はしていた。
小学生に入る前から子役としてデビューし、今もなおテレビで引っ張りだこな売れっ子女優。
容姿端麗、運動神経もよく、人当たりもいい。それで芸能人というステータスがあるのだから、本当に非の打ち所がない。
そんなやつがどうして俺の下に? そう疑問に思っていたが、俺が口にする前に向こうはすぐさま答えを提示してくる。
「なら、私と一緒に演劇部の助っ人をしてよ!」
初めはトチ狂っているのでは? と思った。
ヤクザの息子だと嫌われている俺にお願いしてきたこと、そもそも文化祭が始まっているのに助っ人を頼み込んできたこと。
何もかもが面倒くさい。だから俺はすぐさま突っぱねた。
「やるわけねぇだろ、阿呆が」
しかし、有栖は諦めることなく俺に付きまとった。
文化祭で忙しいからといって、他の人間がそこまで手一杯だとは思えない。
他を当たれば、有栖のお願いぐらい誰だって聞いてくれるだろう。
だが、有栖はその考えを無視して一日中俺に頼み込んできた。
「ねぇー、お願いだよー! 一緒に演劇部の助っ人やってよー!」
「てめぇ、家までついて来るとか正気か!?」
女が一人で男の家に押し掛ける。
そこいらの野郎ならともかく、俺は素行も悪い不良だ。家に来て何をされるかとか考えなかったのだろうか?
とはいえ、それだけ有栖が本気だったということ。どうして俺に執着するのかは分からなかったが、その熱意はやる気のなかった俺を折れさせるには充分であった。
「はぁ……ちくしょう、分かったよ」
「ほんと!? やったー!」
───それから、一日目の夜に台本を頭に叩き込まれた。
俺が放り投げようとすれば怒り、題材となったロミオとジュリエットのストーリーと背景を懇切丁寧に教え、俺がいい環境で頭に叩き込めるようサポートもしてくれた。
「は? なんでこいつジュリエットのところに行かねぇんだ? 柵ぐらい男ならよじ登れるだろ」
「ちっがーう! ここで柵を登ろうなんて発想がダメなの! 届かない想いで距離だからこそロミオとジュリエットっていいんじゃん!」
おかげで寝不足になるわ、夢にロミオとジュリエットが出てくるわ、疲れるわで散々であった。
だが、放り投げようと思えばいつでも放り投げられた。
有栖を家から追い出し、台本を捨てれば完了。いつもの日常に戻れたはずなんだ。
そうしなかったのは───
「知ってる? ロミオとジュリエットって勘違いしてる人が多いんだけど、実際は悲劇なんだよ! だからこそ、登場人物の愛の深さやそれぞれのストーリーに味が出てね! それでそれで……」
有栖という女の子に惹かれていたからだ。
あの時はそこまで意識したことはなかったが、大人になれば嫌でも理由が分かってくる。
あいつの瞳は輝いていて、たかが芝居にここまで熱くなれて、一生懸命になれて、疲れているはずなのに笑顔でいられて。
俺は何も持っていないから何も感じない。
有栖は何かを持っているから何かを感じらる。
その差が、酷く眩しかったんだと思う。
だからこそ、二日目に読み合わせした時に言われた言葉が……後悔のように胸に刺さったのだ。
「もったいないよ! 桜花くんは絶対才能があるって!」
「は? 何言ってんだ?」
「だって、初めて芝居したのに上手なんだよ!? まさに「ロミオ!」って感じで! 私もここまで役に成り切れる人は見たことがないよ!」
今も、あの発言がお世辞だとは思っていない。
何せ、その時の有栖の表情はどこか真面目で、玩具を見つけた時の子供のように瞳が輝いていて……どこか悲しそうだったから。
「桜花くんってあれだよね。空っぽ……うん、空っぽなんだと思う」
「……馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿にしたわけじゃないよ!? むしろそれって、すっごい才能だと思うんだ」
今思えば、この発言のせいで俺は放り投げてしまったのだろう。
有栖から与えられた選択が己の道を左右しそうで、怖くて前に進めなかった。
「役者になればさ、皆ヤクザの息子なんて気にしなくなるよ?」
そうなのかもしれないと思ったから。
あの幾田有栖が「才能がある」と言ってくれた……いや、何かを持っている有栖が言ったからこそ、変わってしまうのだと恐れたのだ。
「ねぇ、桜花くん───私と同じ世界に来てよ」
……でも、今度は。
恐れることはしない。
何もないまま死んでいく体験を、してしまったから。
♦️♦️♦️
『それでは、演劇部の皆さんによる演劇です───お話は、ロミオとジュリエット』
ふと、そんなアナウンスが耳に届く。
昔のことを思い出していたら、いつの間にか時間がきてしまったようだ。
「桜花くん」
横にいる有栖がそっと俺の手を握る。
「あんまりちゃんと教えてあげられなかったけど、今ちゃんと初めて私から一つ教えるね」
真っ直ぐに、今から舞台に立つ俺へと有栖の瞳が向けられる。
ゆっくりと、開始の幕が上がっているというのに。
「桜花くんは今からヤクザの息子じゃない。モンタギュー家のロミオだ」
あぁ、そうだ。
俺は今からロミオとして数十分の人生を歩く。
「セリフを間違えたっていい、客席から何か言われても気にしなくていい。桜花くんがロミオとして生きれば、誰もヤクザの息子だなんて思わない」
分かっている。
それは昔、お前から教えてもらった。
だから───
「行ってこい!」
「……あぁ」
今度こそ、お前の選択肢を取る。
怖がることなんかしない。これが、俺が何かを手に入れるための第一歩だ。
「さぁ、行くか───」
俺は襟首を整え、誰よりも先に足を踏み出す。
「舞台の幕開けだ」
文化祭、三日目。
演劇、ロミオとジュリエット───開演。
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