ロミオをやらない理由
文化祭二日目も着実に盛り上がりを見せていた。
他の高校に比べて三日間と長い間イベントとして開いているからか、二日目に入っても外部から足を運ぶ人の数が衰えることはなかった。
昔は騒がしいと思っていた今の喧騒も、一度大人になったが故にそこまで不快に思うことがない。
あとは、空を仰いで時間が過ぎるのを待っているのではなく……明確にやることがあるからだと思う。
「……なぁ」
「は、はい! ななななななななななんでしょう!?」
目の前の男が声をかけただけで驚く。
それでも逃げ出したりしないのは、現在俺が着ているロミオの衣装のサイズを合わせているからだろう。
「どうしてお前らがロミオをやらなかったんだ?」
一度目の時には演劇部の人間と話したことはなかった。
もしも前に途中で放り投げなければ、きっと目の前の男の顔ぐらいは見たことがあったかもしれない。
聞けば一つ上だと聞く。これがいいのか悪いのか。有栖からもらった選択を取らなければ出会うことすらなかった。
「り、竜胆くんは思わないかもしれないけど、なまじ同じ世界に足を踏み込んでいるから幾田さんと共演って恐れ多いんだよ」
演劇部の部室にて、先輩のそんな声が響き渡る。
「人数は足りなくって、ダメ元でお願いしてもらえたら了承をもらえて喜んでいたんだけど……冷静に考えて、幾田さんが助演なんて皆からクレームが入る。かといって、主演にしたら僕達のメンタルが持たないし」
予想通りの解答だ。
萎縮と実力差と抱いている憧れが不安へと変わって怖気づいたというだけ。
それで、結局ロミオの役を探す羽目になるんだから本末転倒もいいところである。
有栖を誘った手前、後出しで断るわけにはいかなかったんだろうけども。
「こう見えても、竜胆くんには感謝してるんだ……」
「本当にこう見えてもだな」
「し、仕方ないじゃないか! ならせめてその染めた髪と開けたピアスをどうにかしてくれ!」
今の発言はごもっともである。
ヤクザの息子だからと他の不良になめられないよう形を整えたが、周囲の反応に拍車をかけるのならやめた方がいいかもしれない。
開けた穴はどうにもならないが、髪ぐらいは染め直した方がいいだろう。
……時間を見つけて黒染めを買うか。
「でもさ、僕が言うのもなんだけど……大丈夫なの?」
「あ? まぁ、大丈夫だろ」
「でも、昨日台本渡されたんだよね?」
こればかりは一度見て読まされたのが大きい。
そうでなければ、内容から覚え始めなければならないところであった。
それに───
「
「確かに、幾田さんは実力派で有名だし、実際に上手いけど……」
「なら、不安がることじゃねぇだろ。有栖の腕は俺も理解している」
どれだけ上手くて、他人を惹き付ける演技なのか。
俺がこの時から有栖と出会い、離れた場所で追い続けてきたからこそ知っている。それこそ、先輩よりも有栖の凄さは理解しているだろう。
自慢じゃないが、俺の一度目の死因に有栖が関わるほどだ。追っかけは誰にも負けちゃいない。
「だが、有栖におんぶに抱っこ……っていうつもりはない」
俺は衣装を直してくれている先輩の瞳を真っ直ぐに見据える。
「俺はできる限り全力で挑む。あいつと一緒の舞台に立てるなんて、次がいつか分からないからな」
何事も経験だ。それは芝居にも当て嵌るはず。
実力派と言われる有栖と一緒に演劇をできる機会は貴重な体験となるだろう。
そうすれば、いつかの自分に役立つはずだ。
空っぽな自分が何かを手に入れるために。有栖のところまで立つために。
「だから、俺はお前らの気持ちなんて分かんねぇよ」
「…………」
「同じ世界にいるから舞台に立つんだろ。不安程度で足を止めても生きていけるような甘っちょろい世界なのかよ、ここは?」
まったく関わりがなかった俺ですら知っている、芸能界がどれだけ狭き門で過酷な場所なのかを。
一回のチャンスを棒に振れば、もう生きていけないかもしれない。次がやってこないかもしれない。
一度のチャンスを逃して後悔したからからこそ、一度の重みはよく分かっているつもりだ。
「価値観を押し付けるつもりはねぇよ。実際、お前らが足を止めくれたおかげで俺に機会が回ってきたんだからな」
ひとしきり言い終わると、俺は目の前にある鏡に視線を向けた。
まだ裾を直している途中だが、ある程度サイズも合っているように思える。似合ってはいないとは思うが。
「……そうだね」
先輩が裾を直しながら呟く。
「竜胆くんの言う通りだ。好きでこの世界で入ったのに、甘ったれたことを言ったね」
「……まぁ、目標はそれぞれだ。趣味程度でやってるかもしれないしな」
「ははっ、大学でも一応続けるつもりだったんだけどね。けど、その先は見てなかったかなぁ」
なら、考え方が違うのは仕方ないのかもしれない。
俺の目標はあくまで有栖の横という最前線なのだから。
「勝手な話だけど、僕の中で君の印象が変わったよ」
「は?」
「よろしくね、竜胆くん。一緒にいい舞台にしよう」
何を急に? そう思った瞬間、部室の扉が勢いよく開け放たれた。
「桜花くーん! 衣装合わせ終わったー?」
鏡越しに映るのは、元気いっぱいの有栖の姿。
俺と一緒に衣装合わせしていたはずなのに、その格好は学生服のままであった。恐らく、こっちよりも先に終わったのだろう。
「見れば分かんだろ。途中だよ」
俺はそんな姿を見て、振り向かずにため息を吐く。
「ふふっ、意外とよく似合ってんじゃん! 馬子にも衣装だね!」
「そう思うんだったら、お前の目はどうしようもないぐらい節穴だな」
「えー、そんなことないのにー!」
有栖は少しだけ頬を膨らませて、俺の隣に立つ。
ふわりと、部室に鼻腔を擽る甘い香りが現れた。
「衣装着たらさ、なんかちょっと興奮してきちゃった! あ、私が舞台に立つんだって! ねぇ、ドキドキしない?」
「……お前だったらいつも着てるだろ、衣装ぐらい」
「まぁ、ドラマとか映画ではよく着るけどね。でも、舞台に立つのはあんまりないから、新鮮なんだよ! それにさ───」
有栖は俺の顔を覗いて満面の笑みを浮かべる。
その表情は、まるで遠足にでも向かう子供のように愛らしいものであった。
「学生の思い出を君と過ごせるの、すっごい楽しみにしてるんだから!」
関わった期間は、前を含めてもたった数日のはず。
それなのに、どうして彼女はこんな風に笑みを浮かべてくれるんだろうか?
才能があると思ったから? 誘った手前の責任があるから? もしくは俺を安心させるため?
いずれにせよ───
「言ってろ、
「ふふっ、やってみろばーか。まだまだ素人さんには私は遠いよーだ」
俺も楽しみだと、素直にそう思ってしまう。
演劇なんて一度もやったことがないのに……まったくをもって、不思議な感覚だ。
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