才能

 親父はどうやら帰ってきていないらしい。

 まぁ、さして影響があるわけでも、いた方がいいわけでもなかったから別に関係はないが。

 ただ、組長としての親父は久しく見ていない。

 何故か二回目の人生をやり直すことになるとは露にも思わなかったのだ。自分がいた席に誰かが座っていれば過去に戻ったという実感が湧くはず。

 確証のために見ておきたかった、というのがちょっと本音である。

 とはいえ、このまま時間が経てば顔を見る機会もあるだろう。やっぱり、気にするようなことじゃない。

 その代わり、目下気にしなきゃいけないのは―――


「……なんでお前が股の間に乗ってんだよ」


 有栖を家に招き、自分の部屋へとやって来た現在。

 畳に胡坐をかいている俺の股の間には何故か有栖が腰を下ろしていた。

 長い茶髪が視界を遮り、嗅ぎ慣れない甘い香りが鼻腔を擽って不覚にも胸がうるさい。

 視界に映るのは今にでも折れそうな華奢な体躯。繊細に扱わなければ壊れるんじゃないかと心配になるほど細く、綺麗だ。もちろん、抱き締めることなどしないが。


「えー、演劇を見るのに肩をくっつけて観るなんて恥ずかしくない?」

「すげぇよ、今の構図のままその発言が出るなんて」


 こいつ、俺が男って意識してないのか?

 こういう時ぐらいは俺がヤクザの息子だってことを頭に入れてほしいものである。


「おや~、それとも桜花くんは私とのスキンシップにドキがムネムネしてるのかにゃ~?」


 チャンスでも見つけたからか、有栖が振り返っていたずらめいた可愛らしい笑みを浮かべてくる。

 まぁ、さっきから胸がうるさいのは間違いないのだが―――


「もうちょっと大人になったら、な?」

「おい、それは私がお子ちゃまボディとでも言いたいのか?」

「もう少し周りを見てみろ」

「それは周りよりも劣ってるって言いたいのか!?」


 眼前にいる有栖は小柄で、どちらかというと小動物のような子だ。

 確かに発育がいいとは言えないし、他の子の方が男の視線を惹きつけるのかもしれない。

 かといって、有栖に魅力がないわけではない。

 そもそもの話、一回大人になった俺が今更ガキにどうこう思うわけがないのだ。


(……とはいえ、異性と接点がなかったから少しは思ってしまうが)


 あえてそれを有栖に言わなくてもいいだろう。

 自分の恥を晒すような真似になるからな。


「……今度、恋人役のドラマの出演が決まったから、ちょっと体験してるだけなんだよ。べーっ、だ」

「さいですか」


 俺が軽く頭を撫でると、有栖は頬を脹らませながらも手に持ったタブレットに視線を戻した。

 それに合わせて、俺も同じ画面に視線を向ける。


 ―——今タブレットに流れているのは、プロの劇団が過去に公演した舞台。

 内容はもちろん、ロミオとジュリエット。


「桜花くんの才能はそのまんま……こと」


 突然、有栖がそんなことを言い始める。


「誰もができるようで、誰もができない。だって、客観的でしか分からない誰かに成るなんてできると思う? 物真似芸人が『似てる』で止まっちゃうように、どれだけ情報を仕入れても全ては読み取ることができないんだ」

「……俺にはその才能があるって?」

「ううん、ちょっと違うかな? だって今すぐ「私の物真似して!」って言ってもできないでしょ?」


 まぁ、確かにできそうにもないな。

 性別云々は置いておいて、この無邪気さと根本にある性格は表現することが難しいだろう。


「桜花くんは自分のイメージをそのまま体現できるところだよ。簡単に言っちゃえば、自分で作ったキャラクターを自分に憑依ができるってことかな」

「…………」

「一番持ち合わせている才能は演技力でも想像力でもない……勝手な意見だけど、多分


 有栖の言葉に思わず首を傾げる。

 すると、有栖は俺の胸にもたれかかって見上げるように顔を向けた。


「ねぇ、私の想像だけどさ―――桜花くんはセリフとか噛まない自信があるでしょ?」

「あぁ……」


 有栖の言う通り、まだしっかりとやれていないからあまり力強く頷けないが、恐らくセリフを噛むことはないと思っている。

 それは何故か? 単純な話……日常生活で滅多に噛むことがないから。


「私達が普段話していても、話し難い言葉さえ出てこなかったらまず噛むことがない。役者じゃなくたって、誰だってただの会話に詰まることなんてない。それと一緒で、桜花くんは『その人自身』に成り切るから噛む気が湧かないんだと思う。桜花くんの中では、台本上のストーリーを自分の人生にできるから」

「自分の人生、ねぇ……?」


 有栖はそんなことを言ってくれているが、正直そこまで大層なものだと思ったことはない。

 ただ、有栖を目標にするのは高すぎたから。そもそもやり方なんか分からなかったから。

 とにかく演じる役を目標にしただけで、深く意識したことはない。そもそも、ちゃんと台本を読んだのは前と合わせて二回目だ。

 それに、前回のこともあったから今回も上手くいったというだけ。


(だが、有栖に言われると自信になるな……)


 胸に安堵とやる気が押し寄せてくる。

 自然と口元が綻んでいると、何故か眼前にある有栖の顔に陰りが浮かんだ。


「ちょっと悲しいことではあるんだけどね、でも凄い才能なのは分かるよ」

「悲しい?」

「言ったでしょ? 桜花くんの才能は抵抗のなさだって。それは自分が誰かに変わることを素直に受け入れられちゃうってこと。つまりは……」


 そう言いかけた途端、有栖は思い切り自分の頬を叩いた。

 そのことに、俺は思わず驚いてしまう。


「ど、どうした……?」

「ううん、なんでもない! これからいっぱい楽しいことすればいいしね! とにかく今は桜花くんの解釈とイメージの幅を広げよう!」


 いきなりどうしたのだというのだろうか?

 先の言葉が気になるんだが―――


「(、なんて言えないよ……でも、役者になりたいって言うし応援しなきゃだよね)」


 ボソリと、何か有栖が呟く。

 その言葉は今度こそ何一つ拾うことができなかった。


「……言いたいことがあるなら言えよ」

「桜花くんは才能がある私だって桜花くんが役者になるのを楽しみにしてる桜花くんの活躍に興味がある桜花くんには一緒に私の世界に来てほしいこれ全部ちゃんと私の本音ッッッ!!!」

「捲し立てるほどあったのか」


 だが、どれも嬉しい言葉ばかりだ。

 食い入るように向けられる瞳にお世辞も冗談も感じられなくて、なんだから気恥ずかしくなる。

 流石に、ここまでの言葉なんて求めていなかったのに。


「まぁ、これから一緒に頑張っていこ───」


 そして、その時だった。



「ただいま、坊ちゃん。なんかお父さん達が騒がしかったけど、何かしたの?」



 部屋の襖が突然開かれる。

 そこから姿を現したのは、艶やかな黒髪を揺らす一人の少女であった。


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