一日目が終わって

 文化祭一日目終了。

 まだ一日目が終わっただけだからというべきか、学校には未だ喧噪が残っているような気がする。

 その証拠に、帰路に立つと未だに興奮が冷めきっていない生徒の姿が映った。

 茜色の陽射しが周囲の笑みを強調しているように感じ、夕方だというのにどこか眩しく感じる。


「いやぁー、今日は疲れたねー!」


 その中を、更に一際眩しく映る少女が歩いている。

 小さな体躯で思い切り背伸びをし、疲れながらも楽しさがありありと表情に残っていた。

 そのせいで、周囲の生徒の視線が一瞬集まってしまう。やはり人気若手女優は目を惹くということか。

 横を歩いている俺も、自然と視線が吸い寄せられてしまった。


 しかし、視線が集まってしまった故に周囲の声がざわめきへと変わっていく。


『どうしてヤクザの息子と幾多さんが……?』

『聞いたけど、なんか朝に幾多さんが声をかけてたって』

『そういえば、今日二人の姿を一回も見てなかったような?』


 ヤクザの息子と人気若手女優。

 異色で正反対な二人が一緒に歩けば注目されて声を立てられるのも理解できる。

 流石に疲れた帰り際に聞こえてくると若干不快ではあるが。

 だから小さく歩く生徒を睨むと、すぐさま視線を逸らされる。


「そりゃ、今日一日ずっとしてこなかったからな」


 そう、あのあと結局本読みは中断させられた。

 それから行われたのは、ただただひたすらに有栖と社交ダンス。芝居の「し」文字も消費しないまま一日が終わったのだ。


「ちっちっちー、分かってないなぁ、桜花くんは。試験で頭を抱える私ぐらいに分かってないよ!」


 分かってないのに、よくも学校にいられたもんだ。


「ダンスしかって言うけど、ダンスはちゃんと大事だよ? ほら、ロミオとジュリエットが仮面つけたままパーティーで踊るじゃん?」


 今回のロミオとジュリエットでは、舞踏会での様子はしっかりと内容に含まれていた。

 初めてジュリエットという存在と出会い、恋に落ちるという名場面。

 その際、ジュリエットとダンスを踊るシーンが演劇ではしっかりと用意されている。


「恋に落ちるシーンなのに「ダンスができません」って棒立ちのまま進める気? それじゃあ、せっかくのフルコースも一品足りなくてショックだよ」

「だが、他にもいっぱいやることがあるだろうが。少なくとも、合わせておかないとダンス云々の前に見苦しいものにならないか?」

「逆に即席で私が教えたとして、ちゃんと役者さんとして舞台に立てると思う?」

「……ッ!」


 有栖の言葉に、俺は思わず言葉が詰まってしまう。

 そう、自分で口にはしたが……正直、二日三日でしっかりと芝居を学んで活かせるとは思えない。

 どうしても、何をやっても付け焼刃の芝居にしかならないような気がする。


「舞台に興味がないお客さんでも、意外と分かるものだよ。所詮は付け焼刃、全然練習できてない、ただの違和感……そういう人間が一人いると、そもそもいい舞台なんか作れない。作品の崩壊かな? もちろん、これは演劇だけじゃなくて映画でもドラマでも一緒ね」

「……だったら、下手なまま舞台に上がれって?」

「あははっ! それは仕方ないと思うよ、こればっかりは演劇部の人と私が悪いと思うしね!」


 けど、と。横を歩く有栖がにっこりと笑みを浮かべた。


「ッ!?」

「ふふんっ! 今売れっ子の私が言うんだから間違いない! お世辞なんかじゃないぜ!」


 有栖は自慢げに胸を張る。

 でも、その時……俺は昔と同じ言葉を言われて、不意にも少し胸が温かくなった。

 一度言われたからといって二度あるかは分からない。

 気のせいだったかもしれないし、お世辞だったかもしれない。

 しかし、今回言われたことで両者は否定された。


(何もない俺でも、やっぱりあった……)


 有栖からもらった選択を選んでよかった。

 少しでも可能性が明確になってくると、不思議にも嬉しく感じてしまう。


「(空っぽの才能……なんて、ちょっぴり悲しいけどね)」

「あ? なんか言ったか?」

「ううん、なんでもない!」


 何か言われたような気がしたが、有栖は可愛らしく首を横に振った。


「まぁ、桜花くんは桜花くんのイメージしているロミオのままを演じればいいんだよ! 最悪、台本は無視! あとはお姉さんが合わせるから、大船に乗った気で任せなさい!」

「……姉?」

「……おいこら待てよ少年。今、私のどこを見て言った?」


 いや、別に背や胸を見て言ったわけじゃないが……まぁ、とても姉には見えないちんちくりんな体だが。


「ダンスは流石にね、芝居でどうこうなるもんじゃないしやっておかないと。私だって社交ダンスなんかやったことないからいい練習になったよ」

「マシってレベルにすらなったか怪しいがな」

「いいじゃん! 放課後、二人で動画見ながら練習……青春チックじゃない?」

「思い出に残るといいな、あの足踏んずけまくったことが」

「……ある意味残りそうだよねぇ、思い出に」


 互いに足を踏みまくって涙目になった思い出が黒歴史にならないことを祈る。


「とりあえず、お前の言う通りそっちはお前に任せるよ。今の俺は教えを乞う側だからな」

「ほんと、君は本当に役者になりたいんだね」


 本心から出た言葉か、そうじゃないのか。

 茜色の景色に溶け込んだ彼女の表情は、小さくてどこか深みのあるものであった。

 小石を投げても、やがて底へと沈んで姿形が見えなくなるような。何を思っているのか分からないもの。

 初めて見る顔———前には一度も見せなかった顔だ。


(別に役者になりたいってわけじゃい)


 役者はあくまで手段だ。

 有栖が持っている何かを手に入れるために有栖と同じ場所に立ちたい、横に立ちたいってだけ。

 芝居が好きだからとか、そういう気持ちは正直今の俺には抱いていないものである。


「っていうか、今更ながらに聞くが……」


 ふと、足を止める。

 すると、有栖も同じように足を止めて小さく首を傾げた。


「どうしたの?」

「いや、?」

「うんっ、行く!」


 瞳をこれでもかと好奇心で光らせる有栖。


「だ、だってまだまだ桜花くんには教えなきゃいけないことがあるしねっ! ロミオとジュリエットってそもそもどんな話なのかとか、他の舞台はどんな感じなのかとか、演劇での心得とか!」


 なるほど、放課後の貴重な時間を使ってでも俺に教えてくれるのか。

 今日はダンスしか教えてもらえなかったし、これはありがたい―――


「で、本音は?」

「ヤクザの家とか超興味ある!」


 だろうな。


「はぁ……来ても面白いもんとかねぇぞ?」

「それでもいいよ! っていうか、お友達の家に遊びに行くとかやったことなかったから、こう見えても今って結構嬉しいんだー!」


 こう見えてもというが、どこからどう見てもである。

 しかし、ふとどこか微笑ましい有栖の姿を見て小さく綻んでしまう。


(友達、か)


 初めて言われたな、そんな言葉。

 なんだろう……悪い気はしねぇ。


「茶菓子ぐらいは用意してやるよ」

「うんうん、お気遣いありがとうございます!」


 笑顔を浮かべる有栖。

 その姿を横で見ながら、俺は有栖の歩幅に合わせて帰路を進んでいくのであった。

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