本読み、開始
日がまだ高い位置にある。
秋の少し肌寒い空間に程よい暖かさを与えているおかげか、眩しくも不快な気分にならなかった。
雨も降っていないため、文化祭という大きなイベントは生徒達の期待通り盛り上がりを見せていた。
前の俺はついてくる有栖を撒くためにこの時間から家に帰ったんだったか?
結局、有栖は負けじと家にまで押しかけて来たのだが。
「いやぁー、盛り上がってるね、文化祭!」
あれから、俺は校舎の屋上へと連れてこさされていた。
やはり文化祭で盛り上がっているからか、開放されている屋上には人っ子一人いない。
「お前は文化祭回らなくてもいいのかよ? 今日のために休んだんだろうが」
教えてくれと言った手前もあるが、大事な仕事を調整してまで学校に来ているのだ。
今更ながら、こんなところで油を売っていてもいいものなのかと思う。
「いやぁー、私も初めはちょっと見て回ろうかと思ったんだけどね……事件が起きたんだよ」
「事件?」
「幾多有栖───集団拘束事件」
………………………………………………………………………………………………要は「人気者すぎて歩くと色んな人に絡まれた」ってことか。
理解するのに時間がかかったじゃねぇか。
「チッ、マウントって解釈でいいんだよな?」
「違うけども!?」
売られた喧嘩は買うぞ、有栖相手にマウントできる部分なんかないがな。
「純粋に楽しもうとしても、なんか皆が集まっちゃうんだよ……嬉しいけど、あれじゃあ楽しめなさそうだしね」
靡く髪を押さえながら、有栖はにっこりと笑う。
「桜花くんがもの凄いスピードで上達したら時間を作れて遊んで回れるかもね! ハッ……そ、そうだよ。桜花くんと一緒にいれば怖がって誰も近づかない。楽しい文化祭が送れるんじゃ!?」
「俺は魔除けか?」
まぁ、それぐらいなら教えてもらう対価として付き合ってもいいのかもしれない。
文化祭にはさして興味はないが、二度目ぐらいやってないことをやってみてもいいだろう。
「ってなわけで、桜花くんには期待してるぜっ☆ はい、これ台本」
そう言って、有栖は懐から小冊子を取り出して俺に手渡してきた。
無理やり四つ折りにしてポケットに入れたからか、一生懸命作ったであろう表紙がぐちゃぐちゃだ。
なんていうか───
「……可哀想に」
「……待って、元から折られてたから。私のせいじゃないから」
って言いながら、どうせこいつが持ち運びに邪魔だからということで折ったんだろう。
他人の苦労など興味はないが、丁寧に作られていると分かるせいでそんなことを思ってしまった。
「まぁ、いい。それより……」
小冊子には『ロミオとジュリエット』というタイトルが書かれてあった。
これだけでもいいのに、ご丁寧に手書きのイラストまで書かれてあるのだから、演劇部の気合いの入れようには苦笑いを浮かべてしまう。
……前見た時は本当にそこまで興味が湧かなかったんだがなぁ。
「ロミオとジュリエット、ねぇ」
「皆が聞いたことがあって、そこまで内容を知らない作品だよ。これなら、敷居も低くて皆も楽しめそうだよね!」
内容を知っている作品だと新鮮さがなくて足を運び難い。
かといって誰も知らない作品だと、そもそも興味を惹くことは難しいだろう。
いい塩梅のチョイスだと思う。
「桜花くんにやってほしいのはロミオ! いいねぇ、主役だよ! やる気が出るね!」
あぁ、そうだ。
一度目に頼まれた時も、同じロミオの役をやらされそうになったんだった。
あの時も思ったが―――
「……助っ人に主役を頼むとか、正気じゃねぇな」
「元はロミオもジュリエットも演劇部の人がやる予定だったんだけど、私がジュリエットをやるってなったら「恐れ多くてできない!」って言って降りちゃったんだ。なんでだろうね?」
そりゃ、今売れっ子の人気女優と主演という立場で共演すれば緊張するからだろう。
同じ世界に少し足を踏み入れているせいで、それは他の人間よりも強いはず。
故に、主演として舞台に立つことはできないと判断した。
緊張して舞台に立った時に変な芝居でもしてしまうかもしれない。下手な芝居をすれば、もしかしなくても。有栖の顔に泥を塗ってしまうかもしれない。あとは比べられるからだろうか?
しかし、俺は首を横に振ることはしなかった。
「いいぜ、やるよ。ロミオ」
比べられても、俺には何もない。
そもそも、比べられて馬鹿にされようが、元より周囲の評価は最悪なんだ。
(役者を目指すんだったら、有栖との共演は糧になるはず)
目標は一度味合わないと、朧気な目標のままだ。
それに……追っていたファンとしては、一緒の舞台に立ってみたいという想いもある。
「そっか、そっか。桜花くん、意外とお芝居が大好きなんだね! 役者として、結構嬉しいかな♪ ふふっ、いっそのこと演劇部に入っちゃえばいいのに」
「いや、別に役者が好きってわけじゃ……まぁ、いい」
有栖が見蕩れるような笑みを浮かべているのを無視して、俺はざっくり台本を読み始める。
(ざっくりとした内容は……)
モンタギュー家の息子であるロミオはキャピュレット家のジュリエットに恋をしてしまう。
しかし、二人の家は互いを敵視しており、多くの壁が存在していた。
そのため、ロミオは両家の関係をよくしようと駆け回る───というお話。
(だが、ロミオとジュリエットは単純な恋愛劇じゃねぇ……悲劇だ)
友人を殺し、追放され、別の人と結婚させられそうになり、己が死に、最愛の人が死んだことで後追い自殺を謀る。
手の届かない恋愛に手が届く話ならいいだろう。
しかし、これは悲劇。バッドエンドに繋がる話だ。
とはいえ、そんなドロドロしたものを高校の舞台で行うわけにはいなかい。
そのため、しっかりと内容は書き換えられてハッピーエンドへと繋がっていた。
(あの時読まされた台本と同じ……)
やらないと言ったのにやらされた、あの時の台本のまま。
おかげで一から憶えなくとも、有栖のせいで無理やり頭に入った内容を思い出して補強するだけで済みそうだ。
「内容はいい、だいたい把握した」
「え、嘘。今初めて渡したよね?」
「俺でも知っている内容だったからな」
有栖が目を白黒させる。
お前に覚えさせられたんだ……なんて言えるわけもないし、このまま話を通させてもらおう。
「ほ、本当かなぁ……まぁ、そう言うんだったらいいけど。じゃあ、早速一回本読みでもしてみよっか。それなら仮に覚えてなくても問題ないだろうし」
有栖は一歩俺から距離を取る。
手には台本も何も持っていない。それでも本読みをするということは、もう頭に台本が入っているのだろう。
(てめぇだって今日渡されたのに覚えてるじゃねぇか、この天才め)
───さて、どうするべきか。
本読みをするということは、ただ台本を流し読みするだけじゃない。
頭に叩き込む作業。それでいて、自分のイメージや演技を他人に共有する時間でもあったりする。これは前に目の前にいるから教わったこと。
(つまり、俺の技量がここで有栖に理解される……)
本読みというぐらいだ。
ここで読み合せる場所はジュリエットとの掛け合いでいいだろう。
有栖の真似でもしてみるか?
言っちゃなんだが、有栖の芝居は舞台だけじゃなくてドラマでも映画でも誰よりも見てきた自負はある。
だから、そっちの寄せてみるのも───
(いや、馬鹿か)
有栖の真似をしても真似られるわけがない。
一朝一夕で真似できるような技術でもないし、そもそも俺は素人だ。どう足掻いても有栖の落胆を誘うだけ。二番煎じにすらならない。
(こいつみたいになるなんて無理だ。だから考えろ……)
どうして、有栖は前に才能があると言ってくれた?
どうして、あの後悔にしかならなかった言葉を残してくれた?
真似事をしたから言われたわけじゃねぇだろ。
あの時と、同じように。
けど、明確に違うのは……やるからには本読みでも全力で。
有栖みたいに何かを手に入れるために、本読みだろうができうる限りのことをするという気持ちだ。
あぁ、そうだ。俺にはこれしか自分ができるやり方を知らない。
(……イメージ)
モンタギュー家のロミオは、この台本では一途で諦めきれない真っ直ぐな男。
ジュリエットという女を愛し、両家の
その行動背景には常にジュリエットが存在し、人をも殺してしまうほどの強い感情が時に猟奇的、狂信的な側面もある脆い一面に変わる。
危うくも真っ直ぐな男。
書き換えられたとしても、それがこの台本でロミオを司る根本だ。
(……落とし込め)
ずぶな素人に役者の技術も高みの真似事なんてできない。
できないからこそ、上手い『芝居』をしようとするな。
───目指すはロミオ。
作中に出てくる人間になれ。
細かい部分などどうでもいい。ロミオになれさえすれば、舞台のロミオに誰も文句は言わないのだから。
スッ、と。
何かが俺の中で糸切れるような音が聞こえた。
数秒か数十秒か。それとも数分か数十分か。
ふと、頭の中に沈黙が支配する。
(……何も持っていない空っぽの俺だ)
器に水を注ぎ込め。
今の俺に未練なんかない。
今更誰かに移り変わったとしても、俺は悲しんだりしないだろう。
拘りも、固執も、愛着も、恐れも、惜しむことすらもない。
空っぽに何かが上書きされたとしても―――なんの抵抗すら抱かない。
ヤクザの息子なんて
読んで感じた解釈をイメージに。
頭に浮かんだイメージを俺なりに広げろ。
学校じゃない、屋上じゃない。この世界は多くの障害が残る、息苦しい世界。
それでも、真っ直ぐに添い遂げたいと願う二人の人間が住む場所。
俺は—――
【ジュリエット……】
モンダギュー家のロミオだ。
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