2度目のリスタート

 改めて薄い記憶を掘り返すと、有栖に初めて声をかけられたのは高校二年生に行われる文化祭の一日目。

 年に一回のイベント。校内はいつも以上に活気に溢れ、来賓や外部から来る人間も足を運んでいた。

 そのせいで、窓から覗く景色は様々な装飾に彩られた屋台と雑多な人混みが映る。

 うちの組の連中を軽く越している光景を見るのも、どこか久しぶりに感じた。


 しかし、そんなことより───


「今更思うが、文化祭の一日目に声をかけるって馬鹿じゃねぇの……」


 文化祭は計三日。

 演劇部のステージは最終日の午後に行われるのだが、その二日前に手伝えと言われても普通は頭を抱えそうなものだ。

 懐かしい。文化祭一日目に一日中追いかけ回されていたのを思い出す。

 そういえば、あの時家にまで押しかけて来たのだったか? 俺の家は組なんだが、気にせず押しかけて来た有栖には脱帽ものだと思う。


「し、仕方ないじゃん……私だってそんなに顔出せるわけじゃないんだよ」


 活気に溢れた校舎の廊下を歩く有栖が少しだけ頬を脹らませた。

 何年も姿を見ていなかったからか、こうして横に並んでいる姿は懐かしいというよりどこか新鮮に感じる。


『な、なんで幾多さんとヤクザの息子が一緒に並んでるんだ?』

『まさか、脅されたとか……』

『もしくは、今から校舎裏に……』


 歩いているだけで周囲から様々な声が聞こえてくる。

 相変わらずの嫌われようだ。ただ誰かと歩いているだけでこの言われよう。

 昔はいちいち癪に障っていたが、今では不思議とそのようなことは思わない。

 これも一度大人になったからだろう。それか、この程度が生温く感じる場所にいたからか。


「私、お仕事ばかりで学校あまり来れないし」

「流石、売れっ子女優さんは違うな。それなのによく文化祭に顔を出そうとしたもんだ」

「だって、一生に何回かしかない学生イベントだよ!? ここを逃したら一生できないかもだから!」


 知っている。

 だからわざわざ文化祭がある三日間にどうにかスケジュールを空けて参加したことも。

 それで、何かをしたいと思っていてもクラスの出し物は勝手に進んでいて、何もできないところに演劇部が人数少なくて困っていると聞いて参加表明したのも。


「まぁ、のことは知らねぇが―――」

「有栖?」

「……ぁ」


 しまった、そういえば出会った時は名字で呼んでいたんだったか。


「すまん、慣れ慣れしかったよな」

「ううん、別に全然! いきなりでびっくりしちゃっただけだから!」

「……そうか」


 人生の二回目です、なんて言えるわけもない。

 かといって、今までずっと名前で呼んでいたのに戻すとなるのも少し苦労する。

 だから、そのままでいいと言われるのは正直助かる。


「じゃあ、私も竜胆くんじゃなくて桜花くんって言うね!」

「好きにしてくれ」


 前も同じように言われていたのだ。

 今更ここで断るのもおかしな話だし、俺だけ呼んで相手には呼ばせないというのもおかしな話。断る理由もなかった。


「っていうか、なんかちょっとイメージと違ったかなぁ」


 有栖が横を歩きながら俺の顔を覗いてくる。

 ……少し、歩くスピードを落とすか。


「皆が「桜花くんはヤクザの息子だから怖い」とか「女の子の胸を見て鼻の下を伸ばすクソ野郎」とか言ってたけど……」


 後者は思春期男子なら誰でもなるだろ。

 どうして俺限定で罵倒されるんだ。


「うん、いい人そうでよかった! 所詮は見掛け倒しだね!」

「張り倒すぞ」


 失礼に拍車がかかってんじゃねぇのか、こいつ?

 この時でもちゃんと腕っぷしは強かったんだぞ。


「うーん……どうして皆、桜花くんのこと嫌っちゃうんだろ。私が学校にあんまり来てないから」


 有栖が腕を組みながら頭を悩ませる。


(きっと、有栖が学校にもし毎日通っていたとしても同じ反応だったろうよ)


 たった二日。

 文化祭の時にかかわった三日間だけで下の名前で呼び合うような濃い時間を過ごすことができた。

 それは他の人間だからできたことじゃない。有栖だからできたことで、俺もあの時は心を開けたのだと思う。

 だから、結果は同じだったはずだ。


「いいから話を戻せ。結局、俺は何をすればいい?」


 こうしている間にも時間は刻一刻と迫ってきている。

 ただでさえ時間が少ないっていうのに、こうして無駄足食っているのは時間がもったいない。

 前とは違い、今回は本気で取り組もうと考えている―――なら、何かしらこの時間を練習とかに充てた方がいいだろう。


「え、えーっとね……桜花くんには二つの選択肢があります」


 と、聞いてみてはいるが、実のところは知っている。

 何せ、最後に有栖に圧し負けた時に同じような言葉を言われたからだ。


「一つは小道具作り。実はまだ全然間に合ってないんだよねぇー」


 演劇部は人数が少ない。

 それでも出し物をやりたいと考えたのは、三年生が卒業する前にちゃんとやり切りたいという後輩の想いがあったからだ。

 そのおかげで調子に乗りすぎて数も手も足りなくなるという事態に陥ってしまっている。

 俺からしてみれば、たかが高校の文化祭程度に何本気になってんだか……と、今も昔も思っていた。


(まぁ、だからなんだろうが)


 何もないからそう思ってしまうのだろう。

 所詮、俺は空っぽの人間だ。感性が理解できないのも仕方ないのかもしれない。

 だからこそ、本気で挑んでその答えを知りたいとも思ってしまう。


「そしてもう一つは、舞台に立って一緒に演劇をすること!」


 ビシッと、有栖は指を突き立てる。

 そして、そのあとすぐに可愛らしい小悪魔めいた笑みを浮かべた。


「でも、正直こっちの方がお得だったり? 自分で言うのもなんだけど、私とお仕事以外で演劇ができるのって稀だからねどやぁ!」


 確かに、有栖と一緒の場所に立つのは魅力的だろう。

 有栖に憧れている役者、役者じゃない人間でも一度は同じ舞台に立ってみたいと考えるはず。

 今思うと、こうして声をかけられたのは幸運かもしれない。

 どこにも参加していなく、手持無沙汰だったから白羽の矢が立ったのだろうが。


 これが、最後の最後で手に取れなかった一つ目の選択。

 有栖と一緒に舞台に立つことを、途中で放棄してしまったもの。


「まぁ、時間もないしね。小道具作りの方が―――」

「言っただろ」


 選択肢を消そうとした有栖の指を咄嗟に掴む。

 いきなりのことで有栖が戸惑うが、俺は気にせず小さく挑発するような笑みを浮かべた。


「俺は役者を目指す。舞台に立つ一択だ」


 俺がそう言うと、何故か有栖は呆けたような顔を見せた。

 それが数秒か数十秒か。すると、今度は唐突に堪えきれなかったように吹き出した。


「あははっ! なにそれ、本気だったんだ!」

「……おかしいかよ」

「うんっ、おかしい! 言っておくけど、役者ってそんな簡単になれるものじゃないよ?」


 でもさ、と。

 有栖はにっこりと笑顔を浮かべた。


「いいね、そっちの方が面白そうだし……さっき言ってた言葉、ちゃんと履行するよ。私が君に芝居を教えるぜ♪」


 すると、今度は俺の手を握っていきなり走り出した。


「お、おいっ!」

「じゃあ、早速練習だ! 私の指導は厳しいからね? 覚悟しておくように!」


 引かれる腕を見て、またしても懐かしい気持ちになる。

 ヤクザの息子だということを気にもせず、己のマイペースさで振り回す。俺があの時押し負けたのも、彼女のこういう一面が己に向けられたからだ。


「そう、だな……分かってるよ」


 文化祭らしい騒がしい喧騒。

 雑音でしかなかったはずの音が懐かしさに掻き消されるようだ。

 それがどこか心地よく、腕を引かれながらも思わず笑みを浮かべてしまった。



「……っていうか、二日しかないから厳しくしないと間に合わないし」

「……俺が言うのもなんだが、てめぇらのスケジュール感覚ってどうなってんの?」

「し、仕方ないじゃん! 私だって今日お願いされたばっかりなんだもんそういうの知らないしッッッ!!!」

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