プロローグ②
―――幾多有栖。
いくつものドラマや映画に出演し、多くの広告塔を務め、高校生ながら多くのメディアに顔を出し続けた少女。
父親は元プロ野球選手で、母親は今もなお人気の女優。
幼い頃から役者としての道へ進み、芸能人として一線で活躍し続けてきた。
学校では成績優秀、聞けば運動神経もいいらしい。
人当たりもよく、容姿は言わずもがな端麗。
艶やかな腰まで伸びた茶色い髪に、宝石のように透き通った双眸。小さく、あどけなさの残る綺麗な顔立ちに、潤んだ桜色の唇。
そんな彼女は校内でもとても有名であり、人気者だ。当たり前だと思うかもしれないが、クラスも違って遠巻きに見て感心すら寄せていなかった俺の耳にすら届くほどだということはよっぽどなのだと思う。
(い、いや……それより)
どうしてそんな彼女が俺の目の前にいる?
あの最後に見た人間は有栖だったというのか? しかし、コスプレでもしていない限りは制服なんか着ないはずだ。
それに、テレビで見た時よりも幼い。本当に高校時代の姿のようだ。
その証拠に―――
『ね、ねぇ……幾多さんが竜胆に声をかけたぞ』
『なんで幾多さんがヤクザの息子に声をかけるんだよ、こんな文化祭で盛り上がってる時に!』
『せ、先生呼んでくる……? 竜胆くんに何かされちゃうかもだし』
周りの風景が昔に通っていた高校とそっくりだ。
遠巻きから眺めている生徒から聞こえてくる懐かしい呼び名も、あの時とまったく同じ。
何故? どうして? 俺は組を継いで一人でいるところに風穴を開けられて死んだはずじゃなかったのか?
「おーい、聞いてるー?」
有栖が俺の目の前で小さく手を振った。
夢にしてはあまりにも風景のイメージが鮮明すぎる。
まさかとは思うが―――
(戻ったのか、高校時代に……?)
あの時俺が願ったからか?
やり直したいと、こいつの手を取ってみたかったと。そう最後に願ったからなのだろうか?
もし、こんなクソッタレな世界にいた神様がそうさせたのだとしたら……あまりにも喜劇がすぎる。
しかも、有栖に初めて話しかけられた時なんて。
「うわっ! い、いきなり笑ってどうしちゃったの……? もしかして、壊れちゃった?」
有栖が若干引いたように一歩後ろに下がる。
他の生徒だったら笑っただけでも気味悪がって怯えた姿を見せるというのに、有栖だけは違う。
大人になって、今こうしてもう一度見られたからよく分かった―――こいつは、きっと俺を俺として見てくれている。
ヤクザの息子としてではなく、竜胆桜花として。
周囲の声など無視して、自分のスタイルを貫いていた。
「いいや、なんでもねぇ」
口元に浮かんだ笑みが中々戻らない。
自然と笑みが出てしまうなんて、いつぶりだろうか?
「悪い悪い。それで、噂の人気若手女優さんはヤクザの息子になんか用か?」
あぁ、言わなくてもいいセリフだ、これは。
もし、本当に初めて有栖と言葉を交わした時に戻っているのであれば───
「あっ! そうだよ、そうそう!」
ググッ、と。有栖はその端麗な顔を俺に近づけた。
「私と一緒に文化祭でやる演劇に出てほしいの!」
眼前に迫った双眸には願望と不安が覗き、どこか胸元で握っている拳が震えているように感じる。
人にお願いをしようとしているからだろうか? それとも、メッシュを入れた髪と開けてぶら下がっているピアスが今更怖く感じたのか?
いずれにせよ、やり直しできたと思われるこの機会。
俺が口にする言葉なんて決まっていた。
「あぁ、いいぞ」
「無理だっていうのは分かってるけど、竜胆くんって何もしてな……って、うぇっ!?」
俺が肯定すると、有栖はあからさまに驚いた顔を見せた。
こんな年相応の姿から、どうすれば画面に時折映る大人びた顔が作られるのか。一瞬だけ、画面越しに見られる有栖の顔を想像して苦笑いを浮かべてしまう。
「なに、驚いてんだよ?」
「い、いや……まさか肯定されるとは思わなくって」
確かに、前の俺ならここで即座に断っていた。
クラスの出し物にも参加せず、準備はほったらかして適当に校内をぶらついて時間を潰して。
それは周囲の目が明らかに邪険なものだったから。一緒にいても馴染めないと思ったから。
ヤクザの息子というだけで突っかかってくる連中に舐められないためにした容姿が拍車をかけたのか、普段の行いが悪かったのか……あの輪に加われないという空気がヒシヒシと感じていた。
だから、有栖のお願いを聞いてもどうせ変わらないと思ったのだ。
というより、演劇なんて目立つような真似はこれ以上したくなかったし、そもそも興味がなかった。
けど、有栖の熱意に圧し負けて少しだけ手伝いをして芝居をして……最後で、放り投げた。
だって、その時の有栖が。
『もったいないよ! 桜花くんは絶対才能あるって!』
そんな淡い言葉を投げて。
『私と同じ世界にきてよ。桜花くんが役者になってくれたら……私、とても嬉しいな』
あまりにも眩しかったから。
空っぽな俺に対して、なんでも持っているお前。
羨むのがどっちか、劣等感を感じるのはどっちかなど言うまでもない。
けど、ヤクザの息子だという好きでもない風評のまま流され、組を継いだ俺が。
最後まで空っぽの人生を歩いて死んでいくというのなら―――
「その代わり、お前が俺に教えろ」
俺は有栖の顔に自分の顔を近づける。
そして、真っ直ぐにその瞳に向けて言い放った。
「俺は役者を目指す。それでお前が持っているもんを俺も持てるんなら」
二度目の人生。ステータスは変わらないままだが。
それでも、選ぶ選択肢は変えてみる。
そうすれば、お前の横に立つことで何もない俺が何かを手に入れられるのだと思ったから。
願わせたのは、他でもない……
───これはヤクザの息子が人気女優にあてられて役者を目指す、そういう話だ。
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