第30話:僕の考えたこと
翌日の水曜日。あらかた夕食の終わった席で、プレゼン資料を取り出した。
A4のコピー用紙に五枚を綴じた、写真や簡単な図解ばかりの視覚優先で作ったもの。求められれば、売上げに関する数値だけの資料もある。
「もっと、お客さんを呼びましょう。一日に百人、やろうと思えばやれます」
朝の収穫の時、相談があるとだけこのみさんから伝えてもらった。サプライズを気取ったわけでなく、不完全な情報は不安を呼ぶから。
「超現実体験、いうのは何ね? 栗拾いやらキャベツの収穫体験いうのは、よそでもやっとるじゃろ」
一枚目に目次というか、やりたいことの大見出しをすべて載せた。輝一さんの問いは、そのページだけを見てだ。
最後まで読めば、語彙を問われるはずがない。
良かった。
少なくとも。農業の”の”の字も知らない人間が勝手なことを言うなと、門前払いでないのだから。
「超現実体験型、農場アウトドアパーク。基本システムは、お客さんがお金を支払って労働することです。僕がやらしてもろうたみたいに、本気のやつを」
「……いや譲くん、あんたには小遣い出すけどなあ。朝も四時からこんな山奥ぅ来て、泥だらけの汗まみれで重いキャベツ運んで、日当払うどころか金をくれる言うんか? そんなバカな話はなあじゃろうよ」
堪え性のないクライアントなら、この時点で資料を放り投げる。もちろんそういう相手には、もっと取っつきやすい提案をするけれど。
僕の信じた通り、輝一さんは読み進めた位置から指を動かさない。
「そうですか? 最近、就農ブームじゃそうです。畑ぇ借りて、最低限の道具やら種も買って、何百万とか何千万の借金して、半年もせんでやめる。そういう人が数えきれんらしいです」
「まあ、そういう話はここらでもあるが」
「そこまで踏みきれんけど、やってみたいいう人は多いぃはずです。実際、八年前に東京都のアンケートで六割前後がそう答えとります」
数値の資料をヒラヒラさせると、輝一さんは手もとの資料を捲った。続きを読む気になったらしい。
「この仕組みは、海太くんの話も参考にしとります」
「あん?」
俺は関係ない。みたいな顔で黙っていた彼も、名を出すと顔を上げた。しかし直には答えてあげない。
「彼が修行した木工の先生を調べてみたんです。授業料は材料費と、当人の食費に当てるだけ。実際の授業料なんかは、生徒の作品を売って稼いどるみたいで」
「それをここでもやろう言うんか」
あくどいと言いたげに、海太くんは鼻で笑う。
たしかにそうだ。ここまでの説明では、お客さんの支払った部分の対価が存在しない。
「そこはちょっと違って、超現実体験——」
「そりゃあ、もうええけえ」
「活喜ファームでは、
「なんや、そのダッサイ名前は」
海太くんだけでなく、輝一さんも久嬉代さんも僕を見ている。ほとんど説明済みのこのみさんも。
「たとえば朝四時から、積み込みまでやった人は百ポイント。ダンボールの組み立てだけの人は十ポイント。そういう風に、難易度で差をつけるんよ。で、貯まったポイントは活喜ファームの買い物に使える」
「買い物いうて、商品は」
「土付きのキャベツとか、試しで作ったハーブとか」
給料の代わりに現物支給という話だ。訪れた時期によって品目の偏りはあるが、選べる楽しみは大きい。
「要するに、廃棄品のリサイクルいうことか」
「そうとも言えるかもしれんね。味には遜色ないもんを、山盛り持って帰れるんじゃけえ。お客さんは嬉しい思うけど」
失敗したキャベツがどうなるのか、案じない日はない。僕ほどでなくとも、輝一さんや久嬉代さんにも失敗はある。
それにちょっとした虫食いや、傷がついただけのとか。
「監督役の時給だけ、先にくださいいうことです。それだけで、たとえば一時間とか短いスパンの本気の農業ができる。ついでに野菜も、ようけ貰える。他ではやってないです」
「それにね。これ以上収穫したらKPが増える、とか。そういう競争心を満足さすようなんも面白い思う」
ゆうべ話した時点では「面白そうじゃけど」と、態度を保留していたこのみさんの助け舟。クライアントを目の前にしては当たり前の孤軍奮闘も、俄然としてやる気が出る。
と言っても輝一さん夫妻は資料を読み込み始めて、こちらを向かなくなったが。
「面白げな、いうんは否定せんけど。やっぱりKPがショボぅないか?」
唯一、海太くんだけが鉾を剥き出しにしたまま。ただの難くせでないのが彼らしい。
「ネーミングは仮じゃけえ、変えてもろうても」
「そうじゃなあわ。こんな山奥まで来にゃあ使えんのが、どうなんか言うとるんよ」
「使わずに帰ったら、いうことよね。そのために三ページ目があるんよ」
その時には欲しい物がなかった。貯めておいて一気に使いたい。といった要求はあるだろう。
想定しているし、答えも用意してあった。
「キラキラネット?」
「地域外との触れ合い、いうコンテンツがあるんよ。買い物のページやら、スケジュールの予約も作れる」
「ネット販売も並行さすんか。手が足るわけなあじゃろ」
輝一さんと久嬉代さんには、理解の難しい部分かもしれない。だから資料を読み終えるまで、こちらからは言わなかった。
しかし問われた以上、答えなければ。このみさんにも言っていない、一番の肝を含め。
「じゃね。そっちは正規に出せる作物を商品にしてもええと思うとる。収穫の増えた栗とか。で、足らん手数は誰かに来てもらうしかないわ。ネット販売を理解できる、二十代か三十代の人」
うんうん、と頷くこのみさん。家族と取引先の人しか写真を持たないこのみさん。
彼女に友達が居ないなんて信じられなかった。どうして、と問うのも憚られた。
これは想像だが、このみさんも鎖に縛られていると思った。
活喜ファームの立派な跡継ぎに相応しくある。というのは歴然として、友達と遊ぶことも許されないと。
そんな暇があったら仕事。亡くなった敬さんを差し置いて、自分だけが楽しむなんてあり得ない。
「あ、輝一さん。さっきのアンケートですけど」
「うん? ああ、試しに農業をやりたいいう」
「です。年代別だと、二十代と三十代は七十パーセントを超えるんです。中でも女性は、男性より数値が高うて」
活喜ファームの従業員として。お客さんとして。このみさんと同世代の人が増えたらいい。そこから友人が生まれるかまでは、僕にも分からないけど。
「はあん……ちょっと知り合いに、色々聞いてみるわ」
「あっ、ありがとうございます」
いいとも悪いとも、判断のできない重い声。どちらかと言えば良くなさそうだが、それなら聞いてみるとは言わないはず。
輝一さんはすぐさま、電話をかけに部屋を出ていった。
「おい、オッサン」
戸の閉まった途端。輪をかけて重い、鋭い声が飛ぶ。威嚇以外には受け取りようのないそんなものを、このみさんや久嬉代さんは発していない。
「なんやこの最後のページ」
「なんか、変なこと書いとった?」
「変どころじゃなあわ。木工教室いうて、誰がやる言うた」
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